当たり前が無くならないと新たな価値観が生まれない時に自分の不遜を知る(苦笑)
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2024年3月6日AM1:00頃、いきなりFacebookが再ログインの画面になって、
3月8日PM5:00頃に、無事に復旧しました。
私の場合はですが、生活していく上で、人との接点や繋がり・関わり・コミュニケーションは元より、
特に、今の仕事の中心が、いかにFacebook中心だっかを改めて実感するわけで、
普段当たり前になっている環境が、一気になくなる時の不安というのは、
様々な切り口で、一定期間ごとにやってくるのですが、
今回もご多分に漏れず、かつ、色んなドタバタが重なっていた時だったので、
焦り・不安・ビビり・焦燥・感謝といった感情が身体中を駆け巡る日々となりました(苦笑)。
私は、大物に魅せたいだけの、実際はビビりの小心者です(苦笑)。
こういうことが起こると、新たな気づきとか感謝とか謙虚とか不遜とか、
普段考えてもいない当たり前のことに対する価値観が変わるわけで、
それは、すなわち次の人生のステージを創っていく機会とも言えるわけで、
一つ一つを、しっかり言語化して纏めておきたいな、とは思っているところです。
まずは、期中、ご迷惑・ご心配・ご協力頂いた皆様に心から感謝申し上げております。
とりあえずのご報告とお礼まで。
仕事における最適な「場」の最大の落とし穴(苦笑)

仕事であれ、食事であれ、「人が集まる」には、集まるだけの「テーマ」が必須ですが、
同じように、集まる「場」や「環境」の設定というのは、同じくらい大事だと思っています。
さらに「次回」に続くかどうかです。
「集客」の要素と、その設定には、
①「テーマ」の設定
②「場」の設定
③「次回」の設定
の三つの設定が必要と考えています。
私の場合は、そもそも、「仕事がしたくない」という根本的欠陥があるが故(苦笑)、
他人が集まるどころか、まずは、私自身を「仕事」というテーマに基づいて、「私を集客」するという難関と向き合う必要があったし、今でもあります(苦笑)。
そもそも、「集中力なし」「継続性なし」「落ち着きなし」という三重苦は自覚していたわけで(苦笑)、
仮に仕事してても、すぐやりたくなくなって、遊びだす自分を知っていたので(苦笑)、
いっそのこと、ずっと遊んでられる場所にしてしまえば、ずっと仕事場にいて、
そしたらずっと仕事をし続けて、
そしたら、24時間ずっと仕事して、誰よりも仕事をする「できる奴」になるだろう、という、
自分への裏の裏をかいて(笑)、仕事に向かうことを目論んだわけで、

そうなると、
①「テーマ」の設定=「誰よりも仕事をする長時間労働」
②「場」の設定=「どこよりも楽しい環境」
③「次回」の設定=「ずっと居続けるから次回もへったくれもない(笑)」
となって、これが実現できたなら、
本人の根本は、実は仕事なんて全然したくないのだけど、
他人から見たら、いつも長時間を仕事に向き合っているストイックな仕事人間と見られて信頼が集まるという、
我ながら、これは素晴らしい、俺は天才か!?という仮説に基づいて、この10年、ずっと実践しているわけですが・・・・・、

確かに目論んだ通りに、仕事場なのに何のストレスもなく、
ずっといても居心地が良く、
飽きることもなく、
一人で事務所に引きこもる時間が圧倒的に増えて、
たのはいいのだけど・・・・・・、

肝心の仕事は全然せずに、遊び続けてしまうのは、何故だろう・・・・(苦笑)。
まぁ、いいや、この場所から色んなお仕事が発生していってるのも事実と言えば事実なんだからな(笑)。

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よく見たら、アホ過ぎて、ジーンズの前、空いてるし、腹も見えとるし、パンツも見えとるし(苦笑)、
そもそもがアホ過ぎるから仕方ないんだわな(苦笑)。
まぁ、何とかと天才と紙一重って言うからな(笑)。
人生のアンカーで何を刻むのか
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2013年以降、毎年2月14日というのは、私にとっては特別の日で、
それは、バレンタインとか、チョコレートの数とかではなくて(笑)、
(高校時代はいくつもらえるかに必死だっけけど(苦笑))、
2013年2月14日に株式上場の経験をさせて頂けたからで、
もう11年も経つと、そんなのはもうとうの昔のことで、過去の実績にぶら下がることなど毛頭なく、とっくに忘れているのだけど、
Facebookの思い出で、当時の投稿が上がってきてくれて、
「あぁ、そうか、あれからもう〇年経ったのか・・・」
と思い出すからです。
今年は、あれからもう「11回目の2月14日」になりました。
株式上場のセレモニーで東京に向かう当日の明け方まで書いていたブログでは、
廃業から上場に至る10年の様々な想いが去来しながらも、その時の感情を何とか文字にしていて、
今でも読み返しては、何が同じで、何が変わってきて、それから、何を新しくやってきたのか?の、確認を自分でしています。
当時のブログのリライト
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つい、昨日のようにも思ったりもしますが、もう11年経ったのですね。
筆舌に尽くしがたいその時の感情は、こういうことを繰り返しながら、解像度が上がり、鮮明になり、刻まれていくものだと思います。
そういう意味でも、私にとっては株式上場の経験は、過去のものでありながらも、人生でとても大きなものだったと思うし、
その後の人生に大きな影響を与えてくれているのだと思います。
最近は、情報発信やコミュニケーションの中心が動画やライブになって、なかなか文字情報を出せていませんが、
1つ言えるのは、同じ記録でも、動画を観返すことはほぼありませんが、こうして文字情報というのは読み返すし、その時の感情がリアルに蘇ることが自分で分かります。
記憶と記録というのは、どちらかだけではなく、それぞれに必要で、それぞれの特性があるのだろうと思うし、
一つの感情の塊や、考えている事を「言語化」できるかできないかというのは、ビジネスの場においてどれほど大事なのかも理解できたりもします。
なんとなく考えている程度のことは、自分では考えているつもりでいても、
言語化できない以上は、相手に伝わらないどころか、何より、自分にも理解できていないと言えるので、何も考えていないのと同じと言えます。
こうして文字入力しながらも、ただ喋るよりも、随分面倒だなと思う自分がいて(苦笑)、
それだけ頭を使うということなのでしょう。
20年前に購入して、あんなに硬くて着にくかったレザージャケットは、
10年の上場へ向けての人生を終え、
上場の鐘を叩くセレモニーに持って行き、リハでは着用し、本番ではスーツにして自分を許せずに、
さらに11年の月日を経て、こうして着用してみると、
やっとストレスなく、気軽に羽織れるようになったと改めて思います。
当時の逸話をまとめたブログ
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レザージャケットに、シワやキズやクセがついて自分のものになっていくように、
感情や記憶もまた、こうして繰り返しながら、解像度は上がり、新たな価値を刻みながら、少しづづ自分のものになっていくものかもしれません。
そうでありたいな、と思いながら、あれからの10年と、この1年の自分を整理しながら、これからの9年をどう重ねるかを、
今日は、一緒に人生を重ねてきたレザージャケットと、また一つ重ねられればいいな、と思いながら羽織っています。
「言語化」を刻む。
これをテーマに、ブログを継続できたらいいな、と思っています。