「SNSは気がつくと大きく差がついているから恐い」の再考

2014年8月9日に書いたアメブロ時代のブログ

「SNSは気がつくと大きく差がついているから恐い」

というのがあって、反応が多かったことを記憶しているのですが、

それから4年経った今、更にその気持ちを強くすることがありました。

リライトしようかと思いながら、加筆・修正をしていたら、ほとんど新たに書いたような内容になってしまいました(苦笑)。

私なりの、中小零細個人企業は、ブログ・SNSは必須という見解を書いています。

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(当時の画像はコレ(笑))

1500人を越えるほどの大人数の集団に属していて、年に数回の一堂に会する場に行きます。

そこには、

「ブログ・SNSでいつも情報を発信・受信している少数の人」と、

「リアルな場でしか会えない大多数の人」とがいて、

前者と後者の人との、自分の距離感の違いを圧倒的に感じることは毎回あります。

 

その感じ方は年々強まる一方で、今年もここまで実感するか?と改めて思えることの連続でした。

半年あるいは一年に一回程度、リアルでのみ会えるかどうかの人というのは、

日常ではほとんど関係していないと言っても過言ではありません。

 

数多くの方達と、ほんの一言程度しか言葉が交わせない連続の中で、

① 近況程度で終わるか、

② いきなり核心に近い話ができるか、

 

あるいは、

① 何を話していいかのか手探りになるか、

② あれもこれも話題が展開するのか、

というのは、

一定期間内の関係の深さによるものが大きく、それは、互いの情報の受発信の多さに比例する、

即ち、その期間中のブログやSNSでの受発信の多さに比例するものであることを改めて実感します。

 

スマホから流れてくる膨大な量の情報は、日常のリアルの関係と何ら変わりなくその人のことを知ることでもあり、

むしろ、リアルで「お久しぶりです。」と挨拶するより人よりも、

毎日スマホの画面で見る人のことが日常的に分かるという側面もあると、改めて認識するのでした。

 

例えば、短い時間の中で、

「凄いビジネスモデルを思いついたから、また今度聞いて欲しい。」

と言われて、

「そうですか。じゃ、また今度ゆっくり聞かせて下さい。」

と言ったとして、

「また今度」の間に凄いスピードで時間は進んでしまっていて、

その人が何をやろうとしているのか、サッパリ分からないまま時間が進んでしまいます。

 

あるいは、

「いや、大変なんだよね。また相談に乗って下さい。」

と言われても、何をやっていて、何をやろうとしていて、何がどう大変なのかはその場ではサッパリ分かりません。

ちゃんと聞こうと思うと、現状把握だけでも相当な時間を要することになります。

 

恐らくは、そうやって適当に言葉だけ交わして何も起こらない、という関係が続くと思うのです。

そういう距離感の関係性がずっとずっと続いて、お互いいつか死んでいくんだろうな、と思います。

 

そういうことを如実にリアルに感じる時間の中にいると、

ブログやSNSの発信をやるのとやらないのとでは、

同じ集団・団体の中にいても、その中ですら、知らぬ間に距離感や関係に大きく差がついてしまう、ということをどうしても感じてしまうわけです。

 

私から挨拶する方もいるし、私にお声を掛けて下さる方もいますが、

「私の情報発信を見てくれている人・見ていない人」

「私が相手の情報発信を見ている人・見ていない人」

の4つの組み合わせによって、最初の出だしの言葉から、まるで違うことがよく分かります。

 

難しいのは、やっている人は益々実感し、やっていない人はやっていない人同士、何ら変わらずに、そのまま関係は続いているということです。

それぞれに、そのまま進んでいるのです。

だから、「知らぬ間」になるのです。

 

今更ながら、ここにきて、やはり、これからの中小零細個人企業のビジネスにおいては、ブログやSNSでの情報発信というのは、マストだと思うのです。

 

「パソコンやスマホだけで仕事はできない。実際に身体を使うことが大事だ。」

と言う方もいます。

それはそうかもしれません。

でも、それを言う人は、SNSをやっていて言っているのか、やっていなくて言っているのかの問題はあって、

やっていて言うのであれば何らかの考えがあるのだろうと思えますが、やっていない人がそう言うことが往々にしてあります。

 

ブログ・SNSでの情報発信も、身体を実際に使うことも、両方をやっているかも知れませんよね。

 

「スマホで商売できるなんて考えは甘い。」と、酒でも飲みながら、

具体性のない経営談義や、日頃のうっぷんをさんざん晴らしている間に、

ブログ・SNSを発信している人は、その時間に情報発信したりします。

 

酔っ払って疲れて帰って、グースカ寝ている人を尻目に、やっている人はその時間にSNSで発信していたりします。

やっていない人は、それを知りません。

やっていないから知りようもないのです。

 

「身体を使ってリアルで頑張っている人」と、

「身体を使ってリアルで頑張って、そこから更にブログ・SNSで発信している人」とでは、

情報発信の量と質において、 より多くの人との関わりが増えるかどうか等、様々な側面で差がついて当然だと私は思っています。

 

自分のビジネスをうまく行かせたいのなら、自分のことや自分のビジネスを、誰かに知ってもらうことが大前提なわけで、

知ってもらうには、自ら情報発信するしかありません。

情報発信していない人をどうこう言う前に、情報発信していないのだから、そもそも知りようがない。

 

その結果、例えば、同じ集団・組織にいながらにしても、一生知らずに互いに死んでいく人数の比率は、人数が多くなればなるほど高くなっていきます。

 

私は、この15年近く、継続的にブログやSNSで何かしらのアホな情報発信をしながら、

① リアルのみで繋がっている人

② ブログ・SNSのみで繋がっている人

③ 両方で繋がっている人

の3つの人との関わりができてきていることに気づきます。

そのうち、ビジネス上でご縁がある方の比率は、経年に比例してどんどん③へと向かっている現実があります。

 

ブログ・SNSで発信したからといって、すぐにビジネス上で何らかの成果・効果が現れるわけではなく、即効性があるとは思えません。

成果を実感して、確信に近いものを得るには、やり続ける一定期間が必要です。

 

それは、初めて会った人と、気を使いながら30分程度一緒にいて話したところで、その人のことが分かるわけではないように、

SNSでもまた同じで、一定期間の日常のやり取りを繰り返しながら、互いのことが分かってきて、結果、信頼できる人なのかどうか判断するのと同じなのだと思うのです。

 

考えてみれば、

① 一生知らない人は、人生において知らない人

② リアルに会うのが一年に一回しかない人は、一年に一回以外は知らない人

(半年にせよ、三ヶ月にせよ)

③ 毎日リアルに顔を合わせる人は、毎日知っている人

そして、ここに、

④ ブログ・SNSで毎日のように顔を見ている人は、毎日知っている人

が現れた時に、それまでの「知っている人」の概念や関係性というのは、果たして同じなのか?、と考えてしまうんですね。

 

私は、ブログ・SNSをやった方が好かれたり、ビジネスが上手く行く、と言っているのではなく、

「知り合いになる人」の概念が圧倒的に変わるということが大きいということを言っています。

関係性というのは、全ては、その人のことを「知って」からということになります。

知らなければ、関係性もへったくれもありません。

「好きだ・嫌いだ」というのは、「知って」から始めて得られる感情であって、

知らなければ、そもそも好きも嫌いもない、すなわち、存在そのものがないのも同じなわけです。

 

ですから、ブログやSNSをやれば、好かれるか?と言えば、そんなことは分からなくて、

嫌われたり、あんな奴には絶対に一緒に仕事はしたくないとか、そう思われるリスクも当然あるでしょう。

 

でも、それは、リアルで1,000人と知り合っていても、

リアル+ブログ・SNSで10,000人と知り合っていても、

同じ比率ではないかと思うわけで、リアルだろうとSNSだろうと、

好かれる人はやっぱり好かれて、嫌われる人はやっぱり嫌われるという、元も子もないような話で、

それはまた、どういう人が人気者になるのかという別の話ですからね。

 

ただ、ビジネスモデルとして、300人の顧客が年間で必要だとして、

「好かれる:嫌われる」の比率が「3:7」の人がいたとしても、

100人の知り合いだと、30人にしか好かれないのだから、ビジネスは成立しませんが、

1,000人の知り合いがいたら、300人は計算上成立するという単純計算は成り立ったりします。

 

そういう意味で、中小零細個人企業においては、ブログ・SNSは必須かと思っています。

中小零細個人企業は、独自性がなければ、資本に有利な大手にやられて当然なわけで、

独自性というのは、別の言い方をすれば「変わり者」ともいえるわけで、

「変わり者」というのは、以前は大勢からは支持されない存在とも言えたわけで、

しかし、市場半径が広がって、「知り合い」の絶対数が増えれば、「変わり者」を好む人数も増える可能性は十分にあるという論法ですね。

「価値観の多様化」と「スマホの普遍化」という今の時代において、

それまでのビジネスモデルの概念が変わるというのは確実にあると思っています。

 

自分という存在に共感し合える人とリアルに出会える素晴らしさと、

人にリアルに会わずしても感じてもらえる素晴らしさがあるとしたら、

私は両方の素晴らしさがあった方がより素晴らしいと思うのですね。

 

さらに、こういう投稿を読んで共感する人はドンドン進み、また、焦ってやり始める人はやり始めますが、

読んでもいない人は共感も焦りもへったくれもなく、何も知らずに時間が過ぎていくから、

気がつけば、もう圧倒的どころか、どうしようもないくらい差がついてしまっていきます。

 

それぞれのビジネスモデルや仕事観もあるでしょうし、ライフスタイルや生活パターンもあるでしょうから、

やらないと決めている人や、面倒くさいと思う人は、それはそれで、その人の人生だし、ビジネスなのだからいいのでしょうが、

私個人としては、廃業〜上場〜現在の仕事という経緯の中で、

リアルと、ブログやSNSの情報発信によってご縁を頂けた方々に、人生を救われたという気持ちがあるだけに、

これからも信じて進めていこうと、改めて思うのです。

 

まぁ、いちいち考えて、文字を入力するという所作の連続は、それなりに脳を使うので面倒くさいでしょうけど(笑)、

それでも、私はやった方がいいと思いますよ。

ビジネス環境や、価値観の多様化に伴い、関係の構築の仕方もまた変わってきているのでしょうから。

 

 

やる人はやってて、やってない人は誰かがやってることすら知らないんだな。
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言葉にできない想いはありますね。

大学の夏休みで横浜から帰ってきた娘と、少しの時間一緒でした。

名古屋駅の商業施設に付き合わされたわけですが、私がほとんどイヤイヤに映ったのか、

「普通はパパが娘を誘って、娘が嫌がるのに、何で娘の私が誘ってるのに、パパの方が嫌がるわけ?それ違うくない??」

とか言われました(苦笑)。

 

髪の毛があまりに薄茶色過ぎるので、お前はいったい何を考えて生きているのか?と聞いたところ(笑)、

色が抜け過ぎたとかで、今日、染めてくるそうです(笑)。

 

スマホのカメラロールで、私が講演で横浜に行って、赤レンガ倉庫で撮った画像を見せたら、

「こういうのをインスタにあげて、いっぱいハッシュタグつければいいんだよ。『赤レンガ』とか、『インスタ映え』とか書いて。」

と言っていました(笑)。

 

大きなお世話です(笑)、とか思いながら、いつの間にか、

髪の毛の色がどーだ、SNSがどーだ、

私が入ることのないレディースの店に入って、あの靴が可愛いから欲しい、この服が可愛い、とそういう話をしているのだな、とも思うのでした。

 

娘からしたら、仕事一辺倒だった私との思い出はほとんどないのも当然で、

今ですら、私の生存確認の為、時々、このブログをチェックする(笑)くらい放ったらかしのパパらしい(苦笑)。

 

いつかこのブログも読むのかも知れません。

 

私がどれだけの想いを持っていたのか、今はもう閉じてしまった、彼女がまだ子供だった時のブログを、リライトしてアップしておこうかなと思うのでした(笑)。

 

娘に対して、一つ一つ、私には私の想いはあるにせよ、

娘のことになると、いつもの長文のように素直にストレートには書けないのが不思議と言えば不思議です(苦笑)。

 

髪の毛染めてきなさい(苦笑)。
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どんなに意味を考えてみても、やっぱりダメなもんはダメ(苦笑)

このクソ暑いのに、なんでまたスーツなんて着なきゃいかんのかい?

とスーツを着用する度に思うし、スーツを着用する度に同じようなブログを書いてて(苦笑)、

えぇ加減、 毎回毎回おんなじようなネタでどうすんねん、という感じですが(苦笑)、

それでも書かずにはいられないほど、スーツ着るのが暑くて面倒なわけです(苦笑)。

 

そんなに嫌なら着なきゃいいじゃん、そもそも着て行くという選択をしなきゃいいじゃん、となるわけですが(笑)、

それでも、「ねばならない」環境に身を投じることはあるわけで、それは何でか?という自問を繰り返すことで、

自らの価値観を見出そうとしていると言えば、しているわけです、と、

都合良く、ちょっとは考えている自分を投影することはできたりするわけで(笑)、

 

あるいは、個性的でいろ、という反面、一定の枠を越えてまで個人的な要素を出すとなると、それは、礼を失する、マナー違反だとなるならば、

一定の枠の中でいろ、と言いながら、個性を出せ、などという無茶な論理は成立しないわけで(笑)、

果たして、そもそも「個性」とか「独自性」とか言うことそのものが、ナンセンスなのか?と、

自らの推し進めている、自社ビジネスの「独自化」というものは、そもそも不毛の訴えなのか?という根本的な問題を自らに問うてみたりする機会だな、

と気づこうとしていると錯覚しようといたりできるわけで(笑)、

 

まぁ、人というのは、時として、論理的・合理的・効率的ではない何かに突き動かされながら生きていることは、多かれ少なかれあるわけで、

そこにこそ、独自性とか、中小零細個人企業が生き残る可能性があるとも信じていて、

そういうことを、いちいち考えるには、クソ暑い最中、好きでもないスーツを着る意味はあるのかもしれない、と、思いつつ、

 

でも、暑いもんはやっぱり暑いし、着たくないもんはやっぱり着たくない、と、

結局は素直に思うわけで(苦笑)、やっぱり、私は自分に弱い人間なんだということだけが理解できるのでした(苦笑)。

 

涼しい顔してスーツ着てる人は本当にカッコいいと思います(苦笑)。
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