「不必要」と「必要」の架け橋に宿る価値


子供の頃、欲しかった未来の機械のオモチャがあった。

その夢は、時が経ち、今、当たり前のように使えていて、勝手に夢が叶ったっていたりする。

(本人は何の努力もせず(笑))。

 

時を隔てて、昔に夢見ていた頃のそれが、期せずして見つかることがある。

それは、とても心が豊かになって嬉しくなる時間でもあり、

そして、当時より何倍も高い金額に悩みながら購入してしまったりする。

 

昔、夢だったものは、今、現実となり、必要なものになり、

そして、昔の夢は不必要になったけど、

その不必要なものが、自分にとっては必要になっている。

 

必要なものは、誰にも必要な機能上の価値があり、

不必要なものには、個人との関係によってのみ、万人が理解しないけど、高い価値が宿る。

 

どっちの価値が正しいかよりも、

自分がどっちの価値を提供するかは、

例えば、広く万人に安く売るか、狭く限られた人に高く売るかの、

今の自分の立ち位置で意図すべきだと思うのです。

 

こういうが見つかった時の、自分のリアルな消費体験に、そういうことを、ついつい考えてしまうのですが、

もっと思い出すのは、「そんないらんもんばっかり買って!」と叱られたことだったりします(苦笑)。

 

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逃げたいときの「距離×時間×回数」の使い方(苦笑)


関わる人が増えると、気がつけばブラックホールのように延々と生気を吸い取っていく人も必ず出てくる(苦笑)。

社会で生きている中で、遭遇してしまったら、逃げるしかない(苦笑)。

逃げても、何とかして追いかけてくるから、どうしようもないけど、どんな方法を使ってでも、何とか逃げるしかない(苦笑)。

 

人間関係は、

「距離×時間×回数」

で決まる。

 

ということは、

良くしたければ、三つとも1項目でも増やしに行き、

逃げたければ、何とか、一つでも多く、その逆を意図することが基本である(苦笑)。

 

相手を変えることはできない。

それなら、解決の方法はないので、何とか逃げて、相手に諦めさせるしかない(苦笑)。

相手は、それを察知する能力だけは高く(笑)、何とか近づいて、何とかしようとしてくるけど、

そしたら、それでもできる限り逃げるしかない(苦笑)。

 

理由や原因はどうあれ、自分を雑に使ってきたり、

言いたければ言いたいことを何でも全部一方的にぶつけても、受け取ってもらって当たり前だと思っている相手に、

こっちが無理して、何とか対応しようと試みると、自分の命が持ってかれる(苦笑)。

そういう人は、誰も寄ってこないので、またどっかに行くしかないので、別のどっかに行ってもらって、落ち着くまで、何とか持久戦に耐えるしかない(苦笑)。

 

基本原則とは、近づきたいときも、離れたいときも、同じだから、基本原則なのである(笑)。

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何でもできるようになって、できたものと分かったこと(笑)


AIが何でもやってくれるというから、わーい、じゃあ、もう何もしなくてよくなって、自分の自由な時間ができるぞ!

と思って、やってみたら、

今までは4時間もかけてやっていた作業が、たった数分でできるんだ!と気づいて、

わーい、4時間も時間ができたぞ、スゲェ、と思って、

もっとAIを勉強すれば、一体どれだけの時間ができるんだろう!?、と思って、

別のAIも、使い方を憶えて使えるようにしているうちに、

また新しいAIが出てきて、それも使えるようになった方が、もっと時間ができると思って、やってみて、

やっと使いこなせるようになった頃に、

また、どんどん新しいAIが増えてきたので、AIセミナーにも出て勉強して、それも全部やってみたら、

どんどん何でもできようになって、これなら、もうホントに、何もしなくても、どんな仕事でもできるぞ、

と思って、この2ヵ月の1440時間をフルに使って、何ができたんだろう?と思って、調べてみたら、

2ヵ月前に、4時間かけてやっていた最初の作業の分だけだった(笑)。

そして、それはもう必要なくなっていた(笑)。

何でもできる最新機能も、使う人間がバカだと、何もできないことが、やってみた結果、よく分かった(笑)。

やってみた者だけが、自分がバカだと分かる権利があるのだ(笑)。

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