単なる煩悩を論理化すると詩的になる(笑)

「タバコが吸いたいんじゃないのさ、

あの人から授かったこのオイルライターに火を付けるのは、

あの人との思い出にふける儀式なのさ。」

煩悩の言い訳は、どうとでも作れる(苦笑)。

快楽のまま、本能のまま、ただ生きているだけの自分を開け入れる勇気の方が大事だ(笑)。

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ボッサ―としている一秒の連続が人生になる恐怖を味わう月末の日曜日(苦笑)

そうか、今日は日曜後か、とボッケーとしていたら、

そうか、今日は、5/31だと気が付いて、

今月は何やったんか?と振り返ってみたら、これといって思い出せなくて、

こうして毎日ボッサ―と過ごしながら、気が付いたら時間が経過していて、

そのトータルが人生になるとすると、いよいよヤベェんじゃないか?と思いながら、

一秒一秒を噛みしめることが大事なんだろうな、と、ストップウォッチを眺めながら、ボッサ―と過ごしいます(苦笑)。

気づいたところで、やらない=終わってるな(苦笑)。

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

否定はしないけど関われない人

社会に出ると、自分の基準で人を見下すことで「しか」、自分を保てなかったり、

相手によって、感情を表に出すことを変える人はいる。

お互いに色んな経験をして、久しぶりに会っても、初動の態度で、変わっていないと感じることは多い。

人を、自分の都合の良い道具のようにしか思っていないのだろうなと思える人に出くわすことはあります。

生まれつきの個体としての問題であれ、後天的な育ちの影響であれ、

理由はどうあれ、そんな風になって、後になって何かに気づいたとしても、

きっともう変えられなくて、その人はその人の基準で普通に生きているだけなのに、泥沼のまま生きていくしかないことを思うと、私は哀しみに包まれます。

せめて、「人は、多くの人がいる。」ということを教えてくれた一人として感謝することくらいしかできません。

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

続きを見る

ページの先頭へ