憧れと絶望のファッション哲学・57「ハラコレザージャケット」(結果とプロセスの価値に終止符)

会社経営における組織の中にいると、
「プロセスをみるべきだ。」「プロセスを評価すべきだ。」
と主張する人が必ず一定数出てくるが、それを言う人は、やっぱり成果を上げていないけど評価だけはして欲しいという人しかいない(笑)。
そんなバカを評価して報酬を増やしていたら、会社が破綻することも分からないくらいの脳だから、だから成果をあげられないのだ(笑)。
成果を上げられないからバカなのか、バカだから成果をあげられないのかは知らんけど(笑)。
私の所に来る経営者やビジネスリーダーで、
「努力したプロセスを認めて欲しい。」
経営者やリーダーという立場に関わらず平気で言うバカが稀にいるが、
それを言う人は、私が家業廃業した時は、私のことなど知らなくて、私が株式上場してから私を知って、そのプロセスに興味を持った人だ(笑)。
プロセスで言うなら、私の自覚は、廃業時も上場時も変わらないほどの量があったのだから、
それを言う当の本人は、私のプロセスそのものなど見てもいなくて、成果だけを見て私を評価しているのに、
なのに、なぜ他人には自分のプロセス評価を求めるのか不思議でならない(笑)。
自分のプロセスを認めて欲しいと言う人は、成果を上げていない人のプロセスを認識し、常に認めることができるのだろうか?(笑)
あんたはエスパーか?(笑)
それとも自分は人間だけど、私にはエスパーになれというのか?(笑)
それは私はできませんから、できる人に求めた方がいいですね、としか言いようがない(笑)。
要するに、
「他人はともかく、私の事だけを認めて評価して金銭的報酬を増やして欲しい。認めてもらえるだけの理由はないけど、私を認めて評価してお金を増やして欲しい。私は他人の為には何もしないけど、他人からは評価されて、私は何もせずにお金だけ得て、欲しいモノ買ったり、行きたいとこ行ったり、やりたいことやって自分には価値があると自覚して人生を送りたい。」
ということを真顔で言ってるバカな人としか、私は認識できないのである(苦笑)。
人は、成果を上げた人のプロセスに興味を持つが、
成果も上げていない人のプロセスになど興味を持たない、どころか知ることすらしない。
人は「実績」にしか認識も興味も持てないのである。
と、私は思っています。
少なくとも、私の周りの人は100%私に対してはそうでしたから、そう信じ込んでいます。
以前から、「実績」か「プロセス」かというバカとしか思えない議論はあったが、私から言わせれば、議論のテーブルに上げる余地すらない、どうでもいい話です(笑)。
「プロセス」は「結果」ありきです。
「結果」に対して、「どうやったらそれができたの?」となって初めて「プロセス」の価値が宿ります。
偶然「結果」が出た人もいるかも恐らくたくさんいると思いますが、それが「本物」か「偶然のスカスカ野郎」だっかの評価は「プロセス」で何を得たかの話で問われるということなんだろうと思っています。
ということは「プロセスの価値」は、「なぜできたか?」だけではなく「なぜできなかったのか?」の中にも宿っているということになるので、
私は「結果に向かうその過程から何を学び得たのか?」を自分の経験から答えられるか、それを次の結果にいかに活かそうとできるかの方が大事だと思っています。
プロセスの価値とは所詮その程度であって、社会の評価や報酬というのは「結果」に対してしか得られない現実に、目を背けては生きられないということです。
問題なのは、今のように、成果を出せる確率が低い時代になると、
「成果を出せる人の絶対数が少なくなる=成果を出せない人の数が増える」
のだから、自分が認められていない自覚のストレスを、プロセス評価を他人に委ねる人の数も増える傾向にあることで、
だとすると、それは他人に迷惑をかけることなく、勝手に自分で処理する能力は身につけておくのが健全である、
ということを、
何でもいいけどレザージャケットを着てさえいれば、とりあえずご機嫌になれて、自分のプロセス評価など他人に求めなくて済む、というのも、人生を豊かに生きる能力と言ってもいいのではないか?(笑)、と
何をやっても成果も実績もへったくれもない人類最低あたりの自分を見ていると思うのです(苦笑)。
今一番やりたいこと(笑)⑤
入れ替えるだけで、性能が飛躍的にアップする、嘘みたいな「バイク専用オイル」を作って、
バイクに乗って有刺鉄線の柵を飛び越えようとして失敗するけど、新しいオイルを入れたら絶好調で飛び越える、
あの映画の有名シーンをオマージュした素敵なTVCMつくりたい(笑)。
それの為だけに、オイル会社をわざわざ立ち上げたい(笑)。
