知らぬ間に分からなくなっている懸念

生きている中での日々というのは、

自分自身が生きていく為や、

周りの人が良い人生を歩む為に献身的にやっていることや、

本来はそういうことの為に、「日々」という単位を生きているのだろうけど、

 

日々というのは、時に喧騒にまみれる一つ一つをこなしていくことと同義であるが故、

本来の意図よりも、目の前の意図に忙殺されて、何か大切なことを忘れてしまうことがあるのではないか、

と、まるでマクロとミクロの境目を行ったり来たりするような錯覚に陥ったりします。

 

去年一年から、いまだ続くコロナ禍という環境は、

きっと誰にも、否応なしに、大きく、様々な変化があったが故、

 

毎日を過ごすということが、実はどれだけの変化にとんでいたことなのかを、

一年という単位を、振り返りながらの分析を、自らに強制することで、

改めて認識していたりしました。

 

環境変化に対応して、自分も変化していかねばならないことと、

いかに変化しようと、変化することなく大切にしていかねばならないことの分別は、

せめて自分の中では明確にしておけるよう、意図的に時間をもっておくことが、

何が、どっちなのか、が自分で理解する為に、必要なのではないかと、

 

日々の変化というものが普遍化しているが故に、

日々を懸命に生きているが故に、

とても大切なような気がしています。

 

行ったり来たりを繰り返しているうちに、自分でも知らぬ間に、

どっちがどっちなのか、分からなくなるなっているのではないか?

という自らへの懸念は持っておきたいと思います。

 

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正しい自分の価値は誰が決めるのか?

何に価値を感じて、何に価値を感じないかは、人それぞれです。

 

それは、例えば、対象がモノであれば、誰もが難なく理解するわけで、

私のように、レザージャケットに異常なほどに価値を見出す者もいれば、

そんなことはまるで理解できない人もたくさんいて、

時として理解どころかアホとしか思われません。

(そっちの方が恐らく圧倒的に多いと思うけど(笑)。)

 

そういうことなら、何の違和感もなく分かるわけですが、

こと人のこととなると、その認識は微妙になるから不思議です。

 

自分という存在に、価値を見出す他人もいれば、

まるで価値を見出さない他人もいる、

というのは、至極当然と言えば当然なのかも知れませんが、

 

何故だか、人は、周りの人全てから自分の価値を認識されないと、納得がいかないようです。

 

仮に、価値というものを、「好き嫌い」と同義だとすると、

自分は、自分以外の誰かのことを好きだったり、嫌いだったりと、

他人のことは選択するのだけど、

 

こと自分のことになると、誰かから嫌われると、とてもイヤなようで、

 

そうなると、自分は他人のことは勝手に選択しても良いけど、

自分だけは誰からも選択されることなく、万人から好かれていないと気がすまないという、

客観視してみれば、どう考えてもおかしなことを、

ごく普通で当たり前の感情として持ち合わせているのは、

いったい何なのだろう?と時々思ったりします(苦笑)。

(仮に、本当にどこの誰からも100%好かれるようなことがあるとしたら、それを望むのだろうか?)

 

果たして自分は価値がある人間なのか、はたまた無価値であるのか、

レザージャケットのように、誰かからは価値があり、

誰かからは無価値であるのと同じように、

そもそもが、そんなことは、他人からの一方的な価値観や感情があるだけで、

本当のことなど、どこまでいってもまるで分からないのだから、

どうせ分からないのなら、自分が一番都合が良いように、自分のことなど決めておけばいいと思うわけで、

 

いや、むしろ、そんなことを考えること自体、どぉでもいいことなのかも知れないので、

ただ何も考えずに生きているだけの方が、幸せでいいのかとも思うわけです。

 

というわけで、私は今日も何も考えずに生きていることを、何とか肯定するのでした(笑)。

 

 

 

それじゃ単なるアホだ(笑)。
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春の日はどうして切ないのか?(苦笑)

柏原芳恵さんの歌で「春なのに」というのがあって、

「春なのに〜、お別〜れですぅ〜か〜」

というサビがあって、当時、そこだけ鼻歌で歌っていたような気がしますが(笑)、

 

どっちかっつーと、春だから、卒業とかがあって、お別れなんじゃねーのか?

と思ってたりしてたし、

そもそもお別れなんてのは、季節がどうあれ、悲しかったり切なかったりするんだろうから、

いちいち「春なのに」なんて強調しなくていいじゃんね、

なんて思ったり、

 

どうせ、また、いくらかも経たないうちに、次の新しい出会いとかで、

ケロっと恋愛して、私、今が一番幸せで、幸せ過ぎてなんだかこわい、

なんて言ってたりするんだろうから、

 

一つ一つのことを、あんまりギャアギャアと大騒ぎしなくていいじゃんね、

要するに、自分の思い通りになれば幸せだし、

思い通りにならなきゃ悲しくて不幸せ真っ只中だってことを、

ご丁寧に自己紹介して、誰かにかまって欲しいだけなんだろ?

なんてことを思ったりしたけど、

 

そんなこと思ってるから、人の気持ちが分からない人なのね、みたいな感じで、

よく女性にフラれたんだろうな、という悲しくて切ない出来事を、

春の日はよく思い出しては、とてつもなく切なくなる私です(笑)。

 

春の日はなんだか切ないね(笑)。
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