「上り」も「下り」も登るしかない
1つの事業の「利益」(※売上でなく利益)には「上りエスカレーター」と「下りエスカレーター」があります。
それが「事業環境」「業界環境」や「時流」という端的な言葉で表されているのだと思います。
「上り」の乗っていれば、極論、立っているだけで何もしなくても上がっていくし、
「下り」に入ったら、人の倍以上働いても、やっと同じか、今まで以下の報酬(利益や給与)にしかならないということです。
時系列の違いや、要因の違いはあるものの、
どんな「上りエスカレーター」も、いつか必ず「下りエスカレーター」になるのが事業の前提です。
自分の「廃業」と「上場」の事例や、多くの経営者の事例を見てきての範囲ですが、
一度「下りエスカレーター」に入ったら、事業そのものが変わらない限り、元の事業の利益が上向くことはありません。
私の場合で言うと、
後継者で「廃業」した「洋傘製造販売」の環境は「下りエスカレーター」で、
上場した「リサイクルショップ店舗展開」の新たな環境は「上りエスカレーター」だった、
ということです。
私個人の実力があったからだと思い込みたいものの、現実は、そもそも、実力という領域そのものがないのは分かっています(苦笑)。
成熟期である現代ビジネスの大きなリスクの一つは「上り」が「下り」になるスパンがどんどん短くなることです。
自分の今の事業が、「上り」か「下り」かは一定の指数によって仮設することはできますが、
現実は、「上り」だろうと「下り」だろうと、要するに「登り続ける」ことくらいしかできません。
ただし「登り方」は大事で、これを「努力の方向性」というのだと思っていて、
「努力」の定義と、「方向性」の創り方はとても大事だと思っています。
でも、どんなに仮説を立てたところで、まだ見ぬ「未来」に対する仮設に過ぎないので、
煎じ詰めれば「登り続ける」ことくらいしか前提はないのだろうな、と、
そんなことを考えながら、
エスカレーターを登っているの画像を見て、
これは「上り」を登っているのか、「下り」を登っているのか、忘れてしまっているけど、
まぁ登っている感じなのだから、まぁいいか、と思うのでした(笑)。
街の喧騒は男の哀愁を誘うのか(笑)
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名古屋駅の高島屋のエントランスディスプレイがバレンタイン色になってました。
ついこの前まで、クリスマスで、
ちょっと前が、お正月で、
もう次のバレンタインと、
街は何だか慌ただしいですが、
そのほとんどは、個人的には関係がない現実になっていて(笑)、
子供の頃とか高校生の頃は、あんなにドキドキして楽しかったのに、
いつの間にか関係がなくなっている感覚になっているというのは、
それは、いつの間にか夢を忘れたつまらん大人になっていくことなんじゃないか?
それは、何だか哀しい人生になっていくということなんじゃないか?
それではいかんよな、
と思って、バレンタインに夢を馳せるポーズをとっていたら、
同じく写真を撮りたくて待っていたと思しき若い女性3人が、
何だか哀しい人を見るように佇んでいました(苦笑)。
「悲哀」「哀愁」という言葉が似合うカッコいい大人の男性になりたいと思いました・・・・・(苦笑)。
頑張る基準は人それぞれの具体事例(苦笑)
久しぶりの外出なので、
頑張ってカッコよくなろうとして、カッコいいツートーンのエンジニアブーツを久しぶりに履こうとしたら、
エンジニアブーツなんて、履くの久しぶり過ぎて、
片足を履く時に足がつりそうになって、
履くのやめようかと思ったけど、脱ぐ方が時間がかかると思ったので、
もう片方も頑張って履いて、
そんなことやってるもんだから、新幹線の時間に遅れそうになって、
名古屋駅まで頑張って急いで歩いたら、
急いで歩くのが久しぶり過ぎて、歩きながら足がつりそうになって、
でも、頑張ったので、何とか新幹線の中。
今日はすでに、3回も4回も頑張った(笑)。
こういう時に、私は今日も頑張って生きている、と実感します(苦笑)。