アホはアホらしく潔く生きれば良いか(笑)
人のブログやSNSを見ていて、
「よくこんなことが書けるよなぁ。画像が出せるよなぁ。」
「こんなこと書いて(画像を出して)恥ずかしくないのかなぁ。」
「どの面下げてこんな偉そうなこと書いてんだろうなぁ。」
と思うことはよくある話で(笑)、それはきっと口には出さないまでも、誰もが誰かにその人の基準や価値観で勝手に感じていることだと思っています(苦笑)。
そういう私は私で、何らかの意図に基づいて文章や画像や、ラクガキや図画工作を恥ずかしげもなくこうして出していますが、
どうあれ、私は私の基準で、どう見られるか、どう思われるかを気にしながら出している訳で、
アホ画像であれ、分不相応な文章であれ、すなわち、それは私が出してもいいだろうという、私の中では「まとも」な範疇でもあると言えます。
とは言え、情報というのは常に受け手に委ねられるわけで、どこかの誰かに
「よくもまぁ、こんなこと、いけしゃあしゃあとオープンにできるもんだなぁ。」
と思われていることは当然ながら覚悟しているわけで、自分を通して情報を発信する以上は、360度から色んな価値観や基準や実績や経験の様々な人から見られるわけで、
情報を出す以上は、そういう認識は普通であると思っています。
ただ、普通であるが故に、そんなことはいちいち意識しなくなるわけで、言ってみれば忘れている日常で生きていると言えるでしょう(笑)。
そんなある日、先日、経営者勉強会で久しぶりにお会いしたお世話になった方がいて、少しだけ話ができたのですが、
少しの時間にここぞとばかり出たお言葉が、
「しかし、お前、よくあんな恥ずかしい写真を毎日毎日出せるよなぁ・・・・(笑)。信じられんわ(笑)。」
でした(笑)。
少しの時間ということは、日頃感じていることを研ぎ澄ましたピンポイントとも言える訳で、
よほどそう思われていたのだなぁと、久しぶりに自分の滑稽さを自覚するのでした(笑)。
でも、私は私で、その方の圧倒的な個性と、その哲学や独自のリーダーシップのあり方に対して、
「この人、よくもまぁ、ここまでできるよなぁ。なんでこんな生き方ができるんだよ・・・・(笑)。」
と尊敬の念も込めながらも、呆れるほどにブっ飛んだ方だったわけで(笑)、
さすがに、
「いや、いや、いや、それを言うなら、〇〇さんの存在そのもののことですよ。」
とは口では言えなかったものの(笑)、心の中で明確に言葉を喋る私がいました(笑)。
誰かを滑稽でアホだと思っている私ですが、
そういう私を誰かは滑稽でアホだと思い、
さらに、その誰かのことを私は滑稽でアホだと思っているという、
その迷宮のスパイラルが、世の中なのかも知れませんね(笑)。
人は皆、自分は普通でマトモで正しいと思っていて、
人は皆、滑稽で愚かでアホでマヌケ、ということなんでしょうね(笑)。
それを真摯に受け止めながら、それでも全力で生き、人と関わり続ける生き方こそが潔いのかもしれませんね。
当時の研修真っ只中に、あまりの厳しさや、やっている現象面からはその意味が理解ができず、本気で挑めない私達に、
「お前ら、ええか!俺たちはもともとアホなんやぞ!アホなんだから徹底的にアホになり切ってやらんか!」
と何度も叱咤されたことを思い出し、そしてそれは、20年以上経った今、
あんな研修は、もう二度とはできんなぁ、思いながらも(笑)、極めて本質をついた指導であったとも思ったりもするわけです。
ということは、
「よくあんなこと出せるなぁ。」
と呆れていたあの方は、皮肉にも自らの指導の賜物を見て、理解できないという結果を招いたとも言えるわけですね(笑)。
私の発信が滑稽でアホでマヌケである程に、どうか責任をとってもらいたいものだという思いが、短い会話の中で、一瞬にして脳を駆け巡るのでした(笑)。
そして、これからもアホはアホらしく、潔く自らを露呈していきたいと思うのでした(笑)。