AI時代に気づく、根拠が何だろうと逃げきれない現実(苦笑)


要するに、

「そぉかぁ、これやればいいんだぁ、分かったぞぉ。」

とか何とか、自分で思い込めさえすれば、

その根拠の対象が、AIだろうと、水晶玉だろうと、宇宙だろうと、スピリチュアルだろうと、何かと繋がってようと、勉強会だろうと、セミナーだろうと、

何でも良くて、

問題は、それで、そのあと、自分で実際に動くか動かんかだけのような気がするな(苦笑)。

人を見てて、そう思うってことは、やれよ、俺(苦笑)。

だって、何やるにしても常に面倒くさいんだもん(苦笑)。

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理想を叶えるには経験が必要だから面倒なのだと思ふ(苦笑)


夕暮れの古い街並みで、古びたコートを羽織って、疲れて歩く、

切なさや、悲しみが似合う、粋な男になりたいとは思うのだけど、

そうなるには、実際に、切なさや悲しみを背負わなければできないわけで、

それは嫌だったりするから、ややこしいのだと思ふ(苦笑)。

それは、業績は上げたいけれど、実際に考えたり行動するのは嫌だという実態とよく似ているようで、身悶えるのです(苦笑)。

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どれが本来の人生のペースだと納得すればいいのか?(苦笑)


まぁ、何となく、ペースで順調に進んでいて、このまま行けるかなぁ、と思って調子に乗ってる時ほど、

いきなり、ドシャってなることは月に2~3回あったりして、

それがペースなんだよな、と思ってると、

もっと大きなドシャってなるようなことがあったりして、

それはそれで、こういうのが人生のペースなんだよな、と思い込もうとしたところで、

やっぱり、そういうのは、いい加減嫌んなるよな(苦笑)。

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