「上場」と「革ジャン」と「人生」と

「2月14日」は特別な日

バレンタインには縁も所縁もない私ですが(苦笑)、

「2月14日」は、私にとっては「株式上場」を経験させて頂いた特別な日です。

恐らく、私は私の人生で、この日のことだけは特別な日として、これからもずっと忘れない程にインパクトのある日として記憶し続け、

この日を更新していくのだと思います。

10年前の朝、レザージャケットをスーツケースに詰め込んだ

今から10年前の、2013年2月14日、

早朝の新幹線で、東京証券取引所に向かう直前まで、

この日の想いを書き留めておこうとブログを書いていて、

案の定、長文になって(苦笑)、徹夜になって(苦笑)、

当時のブログのリライト記事

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https://tosboi.com/rewrite/4304/

 

時間ギリギリになって、慌ててスーツに着替えて、そして、これだけは絶対に忘れてはいけないと思いながら、

スーツケースの中に一枚のレザージャケットを放り込みました。

それが画像で着用しているレザージャケットです。

レザーの傷や皺に刻まれた日々

2002年当時、私は家業を三代目で廃業することになり、

次のステージのチャンスを頂いて、リサイクルショップの経営者として株式上場へと向かうことになりました。

100%の資本を持たない、いわば「プロフェッショナル経営者」としての立場を問われる立場は、

夢と逆転を目論んで、1店舗目からスタートさせた若干37歳、青くて、甘くて、慣れないボンクラ経営者の私にとって、

その現実の数々は、嫌という程に勉強させて頂くことの連続で、故に厳しくもあり大変でした。

店舗運営や作業や会議やトラブルや勉強会や、もう今日のこと、目の前のことしか考えられない程に、目まぐるしい日々の連続の中、

いつもトレードマークのように着ていたこのレザージャケットには、その毎日が刻み込まれるように皺や傷が増えていきました。

 

面倒くさいことや、逃げ出したくなる色んなことが起こるたびに、

「このレザージャケットと一緒に越えていって、絶対に一緒に上場してやる。」

と、密かに心の中で誓うようになっていきました。

何より、それが実現できたら、オレってすげぇカッコ良くねぇか?、という程度のことでしたが、何よりものモチベーションでした。

レザージャケットとの約束を果たしに・・

それから10年、何が何だか分からないことをたくさん越えながら、私は運よく、その日を迎えさせて頂くことになりました。

もうさほど着なくなっていたこのレザージャケットでしたが、私は万感の想いを込めて、スーツケースの中に入れました。

実家から出ていこうとしていたので、玄関で母がたまたまその姿を見ていて、

「あんた、こんな大事に日に何を考えとるんか知らんけど、皆さんもいらっしゃるんだから、あんまり変なことせんようにしなさいよ・・・・。」

と心配そうに言っていましたが(笑)、

私は、説明したところでしょうがない(苦笑)、とばかりに、スーツケースを持って飛び出し、新幹線に乗り込みました。

私は48歳になろうとしていました。

経った月日の重みを自覚する時

東京証券取引所では、朝からの予定通りのスケジュールをこなしながら、

最大の儀式である「上場の鐘」を鳴らすリハーサルがやってきました。

私は、持ってきたこのレザージャケットに着替えました。

身内は誰も何も言いませんでしたが、初めての場であり、厳かな雰囲気の中だったので、

念のため、進行担当の方に確認をしました。

「あの、仮にこのレザージャケットで鐘を鳴らしても、儀式として皆さんに失礼ではないでしょうか?」

担当の方はやや困ったような怪訝な顔をしながら言いました。

「あの・・・、正式な制服とかなんでしょうか?違うんですか・・・・・。

私としては何とも言えませんが・・・・・、

ここは皆さん、命賭けの結果来られる神聖な場でもあるので、そこは何とも・・・・・。」

いやいや、俺も死ぬほど命賭けでここにやってきた張本人なんだから、ふざけてるわけじゃなくてよ、と思いましたが(笑)、

改めて周りを見渡すと、その10年で関わって来たたくさんの関係者がいて、もちろん全員が全員スーツを着ていて、

一緒に闘ってきたその一人一人の姿を見ながら、

今更ながら、もう自分だけの上場でもなければ、自分だけの想いをブチ込んで好きなようにやっていい場でも立場でもなくなっているんだな・・・・と現実が頭をよぎりました。

正しい選択は誰のもの?

本番のセレモニーがやってきました。

迷いに迷った私でしたが、結果、スーツで「上場の鐘」を鳴らす瞬間を選択しました・・・・。

JQ上場79-1.jpg

恐らく、もう二度とない人生の瞬間を私は選択しました。

人にとっては、恐らく、もちろん、どうでもいいことだと思いますが、

私は、自分のこの瞬間を、自分に許せませんでした。

もし、私が向こう側でスーツを着ていたら、私は私にどう思うだろう?

私が私でいいのであれば、それなら、誰が何と言おうと、自分の人生を選択すればいいだろう?

これから公の人と見られる立場になる自分は、これでいいのだろうか?

私のせいで、他の多くの人がどう見られるかも含めて責任が取れるのか?

2人の自分を、もう一人が俯瞰的に見た時に、様々な想いが頭の中を駆け巡り、

私は大人になったのだと思います。

社会の中の自分はどこにいる?

当日は、何もかもが目まぐるしく、

何もかもが、凄く嬉しく、その筆舌に変えがたい喜びの感情は忘れがたく、

まるで夢の中のようで、

こんなことを落ち着いて反芻するようなことはありませんでしたが、

 

しかし、この日が終わってから、この瞬間のことは、何故だか、ずっと心に刺さったままでした。

そして、この後、すぐに、私は退任の選択をすることになります。

ほとんどの人は、こう言いました。

「え・・・・、どうして・・・・・」

「えぇ!何で!」

もちろん、その他の複雑で多くの理由はありますが、この瞬間のことも確実で大きな理由の一つでもあります。

上場後にこうして続いていくであろう自分の選択に対し、

(私は、これから、ずっとこうして、一つの成果に乗っかって、自分に悶々としながら生きていくのだろうか?)

(そういう自分を、自分に許せるのだろうか?)

(もし死ぬときに、オレはやるだけやったと、自分に誇れるのだろうか?)

(祖父や父に対して、廃業した申し訳なさを、こうして克服するのはいいとして、こういう今の自分をあの人達は喜んでくれるのだろうか?)

そういう悶々とした思いを、誰にどう説明していいのか、良く分からずにいました。

というより、短時間で説明するのも面倒くさいし、簡単に説明できるほど、私の中では軽いものではありませんでした。

私の経営の限界と、故に分かったフレーム

一つ言えることは、私の経営はそこまでだったということです。

上場して次のステージに向かうというのは、やはり、身内からも外からも多くの人から観られるということです。

それには、経営者の立ち振る舞いや言葉など、とても大切で重要な要素です。

私のように、いつまでもウ〇コとか、チ〇〇コと言っては、本気でキャッキャッと笑っていたい人は、

そのステージには行かなければいいだけのことです。

それが、私の経営者としての限界だということであり、

立場やお金や安定よりも、守りたい自分の価値観が明確であるとも言えます。

選択肢がある中で、ギリギリで選択したのだから、他人から見たら変人でも、自分の中では極めてまっとうです。

ここが分かったのはとても大きい。

そうなってみないと、自分とは分からないものだな、ということがよく分かります。

そのお陰で、私が経営において人様に貢献できる範囲は「廃業から上場」までと設定することができています。

ほんどの中小・零細・個人企業はここに当てはまります。

この範囲で私が私にできる知識と経験でお役に立てたら、そんなに嬉しいことはない。

結果の価値よりも、発見の価値

2月14日は上場したから忘れないのではなく、

自分が大切にしている何かを見つけられた、すなわち、まだ見ぬ自分を発見できて、次の未来へと向かうことができたから、

だから大切なのでしょう。

私にとっては、何にも代えがたい価値なのです。

私は、過去の手柄や栄光にすがるような「過去に生きる」つもりはありません。

でも、過去に起こったことや自分とどこまでも真正面から向き合う「過去と共に生きる」のはとても大事だと思っています。

きっと、また来年、次の一年で経験したことで、この日のことを思い出しては、初期化したり更新していくのだと思うし、

全力でやってみようとするのは、それが楽しみだから、とも言えます。

自分に相応しい自分でいる為に

このレザージャケットは、あえなく今も私の手を離れずに、ここに居られています。

そして、今年もこのレザージャケットを気持ちよく羽織る、自分だけの儀式を迎えることができています。

これから色んなことが起こるたび、きっとこのレザージャケットとお別れするかどうかの選択になると思います。

それは、その時までか、死ぬまでか・・・・。

その時は、成長を諦めた時なのか、次の何かが見つかった時なのか・・・・。

この10年は、講演やセミナーの場で、次の代のレザージャケット達に、その座を譲ってはいますが、

ここからの10年を考えると、どうやらまだお付き合いは続きそうで、

まだもうちょっと頼むな、君が何とか似合うカッコいいオッサンでいられるように、俺も頑張るからな・・・・。

自分に相応しい自分でいられるよう、私はまだ頑張ります。

「ツヴォイ式・人生発見塾」の開校も近いかも知れませんね(笑)。

ご支援もご指導もよろしくお願いいたします。

まだ何とかいけるぜ、と思える今年(笑)。
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「株式上場」後、「無職」の10年で気づけた大切なこと

何の商品力もない「無職の男」の見様見真似の10年

最近、とっても大事なことに気づいたんです。

2013年の「株式上場」経験後、この10年、私は、ご縁を頂いている方達の経営の業績アップや、事業戦略や新規事業開発のご相談、

あるいは問題・課題解決のアシストをさせて頂いてきましたが、

当時は、その専門たる定型のフォーマットを持っていませんでした。

 

そもそも、経営の第一線の経験はあるものの、経営コンサルタントやセミナー講師の専門的な知識も経験もあるわけではなく、

それを仕事にしようとしていたわけではありません。

だから、業績アップや事業戦略や新規事業開発といった経営セミナーや講演や、コンサルティングの依頼を受けて、相当に戸惑いました。

戸惑いながらも、ご依頼を頂き、お受けしたからには、全力でやらせて頂いた自負は持っています。

極めて後発の仕事ながら、ご縁にご縁を頂きながら、やりながら、気が付けば10年が経ってしまいました。

記憶のない「廃業~上場」への10年

そして、相変わらず、定型のフォーマットや仕組みはありません。

途中、何度も、お金を頂くプロとしてやっているのなら、ちゃんと纏めて、誰でも使えるフォーマットにしていかないと、とは思いましたが、できていません。

正直に言うと、「廃業から上場」への10年、

必死になって、色んなことをやってきたのだけど、

いざ纏めようとすると、何をどうやっていたのか、まるで思い出せないのです。

一日も欠かさず、何から何までやっていたはずなのに、一つ一つを憶えていないくらいに、

今思えば、信じられないくらいに、きっと無茶苦茶というか異常な期間だったのではないか?と思います。

どこで何をやっていた、とか、どこで寝たとか、そういう記憶すら、なんとなくの映像はあるものの、曖昧なのです。

当時、幼少だった子供達との記憶もほとんどなく、ごめんね、と、やっと今になって思っています(苦笑)。

「できないことができるようになる」ギャップの価値

私の場合

「できる人がやっていたからできた」

のではなく、

「まるでできない人ができるようになってできた」

ということなのでしょう。

何しろ

「廃業から10年で上場」

なんてのは、「0から+」のギャップどころか、「-から+」なわけで、

今思うと、きっと、とんでもない異常とも言える期間だったのだろうと思います。

自分ではいたって普通のつもりでしたし、当然、グダグダの自分しか認識できていませんでしたが、

当時からずっと定期的に会っていた経営者勉強会の友人が、

「あの時のツヴォイさんは、何というか、近寄りがたいような異常な雰囲気でしたよ・・・。」

と、今になって言われたりしますね。

価値はどこに宿っているのか

だから、「必死で色々やった」という感情的な記憶があるだけで、「何をどうした」という具体的な知識と行動の一つ一つの記憶がまるでなく、

ないから、纏めたり、編集して、定型の形にすることができない、というのが私の認識です。

 

ところが、この10年もまた、他人様の経営やビジネスという、

様々な新鮮なご依頼や相談や問題・課題の解決という、

「やってないことをやっていく」

ことになり、それなりに必死で(やる時だけは(笑))やってきたわけで、その中で気づくことがありました。

経験により脳と体に叩きこまれて染みついた価値

私には顕在的な記憶がまるでないのに、相手の具体的な相談内容や問題や課題が目の前に現れると、

それまで、グダグダでダラダラで何もやる気がなかったのに、

突然スイッチが入ったように、

まるでDVDの映像のように、明確に克明に、当時の記憶も感情も蘇り、当時の知識と経験も蘇り、

火が付いたように速射砲のように、解決や打開に向けて、一気に喋りまくる自分がいたりします。

(お相手はたまったもんじゃないかと思うわけで、いつもごめんなさい(苦笑)。)

 

要するに完全カスタムですね。

人には一つづつの人生と経営があります。

それぞれに、才能も能力も価値観もあります。

相手の状況や、目的や目標や現状に対して、格納されている、一番適切と思える引き出しを開けるわけですから、

なんか知らんけどフォーマットみたいなもんはあるんだろうけど、

相手によって引き出しの場所とか順番が変わってんだろうな。

 

そうか、そういうことか、

きっと、実践で身に付いた知識と経験というのは、きっとこういうことなんだろうな、

ということです。

人前に出る時は、何をどうしたらいいのか分からずに、出るだけ出て、

でも、その時その時を何とか形にすることができてきた、ということは、

身体と脳に叩きこまれて、刻み込まれてしまうだけの、理屈では説明しきれない経験があったということなんだろうな、と思っています。

きっと、これが「本物」とか「実力」とか、そういうことと思い込んでいいのではないか?と(笑)。

だって、そうじゃないと、「無職」というこの職業は(笑)、この混沌とした10年は続けられていないと思うのです。

気がつけた何より大切なもの

なんか必死でやっただけで、何も身についていなくて、案の定、無能な自分・・・・としか認識できていませんでしたが、

そうか、ホントはちゃんと身に付いていたのかも知れないな、良かったじゃんオレ・・・・・、

ということに、あれからまた10年経って、気が付いたということですね(笑)。

うん、あの時頑張ってきといて良かったじゃん、オレ(笑)。

 

要するに、私はこの10年をかけて、あの「廃業~上場」への10年を、やっと自己承認できたということかも知れません。

思えば、10年前に、株式上場した時に、

その前の家業廃業に至る10年を自己承認できたものでした。

あの時もそうでしたね。

そういう意味では、廃業という結果に終わった、そのまた前の10年の家業継承期も、大きな価値を積み重ねていたということになりますね。

 

人はそうやって、自分という存在を積み重ねて、認識できていくものなのかも知れませんね。

だからね、あなたも私も、とりあえず、何がどうあれ、とりあえず頑張っていていいと思うのです。

頑張れ、あなた。頑張れ、自分。

とりあえず、安心して頑張ってていいよ、あなたも自分も。

無責任ながら、このブログ読んでてくれる人は、絶対、大丈夫(笑)。

元10年と、前10年と、現10年で得た自分の価値

そうか・・・・・、今日は2023年2月12日、

あと2日で、10前に「株式上場」の鐘を鳴らせてもらえた日、

あれから、もう10年経つんだな。

あれから、また10年経っちゃったんだな・・・・。

 

この10年の活動の中、関わって頂いた皆さんのお陰で、

私は、きっと自信を持って、喜んで、人様の経営に関わるご相談を受けられるようになったということだと思います。

2年前に胃ガンが発覚して、胃を2/3切りました。

大したことはなかったものの、病名が病名だっただけに、一応、死は覚悟しました。

その後は、胃は順調ながら、手術後には喉の調子がとても悪くなりました。

今は変わらずに、ベラベラと喋りまくってはいますが、

一応、いつか声がでなくなることも覚悟し始めました。

だから、使えるうちにできるだけ、人様に役立てるように使い切りたいという想いも出てきています。

次の10年を誰に何に使うのか

誰の為に使うのか。

もし、私の人生の何かが、誰かの経営のお役に立つのなら、

自信をもって、喜んで、徹底的に使ってやろうと思っています。

使い切る前に、私で良かったら、何でも相談して下さい。

全力で、これまでの知識も経験も声も、全て使い切らせて下さい(笑)。

いつか無くなることが分かってきただけに、ここからは徹底的に使い切って、すなわち、売り込んでいってやろうかと(笑)目論んでいます。

これからの10年の指針になっていきそうです。

「ツヴォイ式・経営何でも出たとこ相談所」

の開設が近いかも知れません(笑)。

楽しみです(笑)。

ご予約はお早めに(笑)。

 

次の10年に向かいます。
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ビジネスで「結果」を出す為のたった一つの思考

「結果」を出す思考はたった一つ

ビジネスにおける、業績を上げる、すなわち「結果」を出す為の必要な思考は、私の答えは、たった一つ、

「なぜ?」

です。

私にとってのビジネス脳とは、たった、一つこれだけです。

ビジネスで求められるものは何か?

ビジネスの上で何が欲しいか?と言えば、共通するのは「結果」です。

人によって、何だかんだあれこれ言ったとしても、ビジネスである以上、万人に共通しているのは結局のところ「結果」です。

私が観てきた、いつの時代も一定の「結果」を出し続けている人の特徴があります。

ビジネスで結果を出し続けている人の共通要素3つ

①圧倒的行動量

②要因分析

③仮説シナリオ

の三つです。

ただ、何もせずに「結果」だけが付いてくることはあり得ません。

「結果を出し続けている人」は

「なぜ、この人は結果を出し続けられているのだろう?」と、

要因を分析していくと、その全ての人に共通しているのは、少なくともこの三つがあります。

圧倒差がついているのは「要因分析」

特に②の「要因分析」は必須ですね。

これがないと次の「クリエイティブ」ができません。

すなわち、「新たな価値」を生み出す前提は、「なぜ?」による「要因分析」であり、

「要点分析」の前提は、「行動量」による自分のデータです。

ビジネスと認識できるもの

私も仕事をしている以上、任意の「結果」が欲しくてやっています。

人は、それを「目標」と言ったり「数値」と言ったり「実績」と置き換えたりもします。

一番分かりやすく、えげつない例えは「お金」でしょう。

これは、ビジネスである以上(全てではないにせよ)共通です。

そうじゃない、という場合は、私の場合はそれをビジネスとは認識しません。

ビジネス系勉強会で湧き出た疑問

これまで受けてきた、全てのビジネス系の勉強会やセミナーに参加したり、本を読んできた私の目的は、

全て自社や自分の「業績アップ」という「結果」が欲しくて行っていました。

アプローチとして、楽しいとか、厳しいとか、の手法があるわけで、それは好みの問題として割り切っていました。

 

たくさんの場に行かせて頂くうちに、一つの疑問が湧いてきました。

どんな素晴らしい勉強の場に行っても、

「結果」を出す人は、どこに行っても結果を出し続けているし、

「結果」を出せない人は、どこに行っても結果を出せない、

ということです。

 

ということは、その場に行けば「結果」が出るのではないのだから、

勉強という情報や知識そのものに価値があるかどうかではなく、

どこに行っても「結果を出す人」と「結果を出せない人」がいるわけで、

その特性の違いは何か?

をずっと考えてきました。

「結果を出す人」と「結果を出さない人」の圧倒的違いはどこからか?

「結果を出し続ける」人を、観ては考え、また観ては考え、の連続で、

時に性格だとか、キャラクターだとか、果てはナンチャラタイプ別とか、

色んな切り口からも観てみましたが、どれも共通する要素にはなりません。

その明確な答えは出ぬまま、そうこうしながら、私は「株式上場」という着地、すなわち「一つの結果」を頂くことができました。

その10年は、こんな程度の私にとっては、もう二度としたくないという程に、とてもとても大変な日々の連続でしたが、

(何といっても50年続く家業を廃業に至らせる、そもそもがクソボンクラの権化(苦笑))

上場に向かう、いろんな側面からの、制約や管理や強制や監視や監修のもと、いつの間にか、きっと知らぬ間に鍛えられていたのだろうと思います。

鍛えられた結果、いつの間にか身に付いたのが「なぜ?」に対する思考の連続でした。

要因分析とは「なぜ?」の連続

「株式上場」というのは、いわば「結果」だけが求められ、「結果」だけを判断される場です。

何かをすれば、必ず何らかの結果は出ます。

なぜ、売れたのか?

なぜ、売れなかったのか?

なぜ、買ったのか?

なぜ、買わなかったのか?

なぜ、集客できたのか?

なぜ、集客できなかったのか?

なぜ、採用できたのか?

なぜ、採用できなかったのか?

なぜ、続けるのか?

なぜ、やめるのか?

なぜ、やる気になったのか?

なぜ、やる気を失ったのか?

何しろ、毎日がこの連続と言っても過言ではなく、身体を安めることはできても、心と頭が休まることはありませんでした。

適当に逃避することはできても、ずっとずっと頭から離れないので、ずっとずっと、まるで歯の痛みのように、何かしらの答えがでるまで、延々と続くのです。

まぁ、だから、上場したから逃げ出したとも言えますが(笑)。

だから、面倒くさい、と言って逃げる人を私は攻めません。

適当なところ、あるいは限界で、逃げたきゃ逃げればいいのです。

その変わり、欲しい「結果」も捨てなきゃいけませんがね。

どっちか、好きな方を選べば良いのだと思います。

ただ、経験上ですが、

何とか結果が出た、全ての新しい企画の、商品も、サービスも、販促も、採用も、育成も、

この思考の連続と繋がりからであり、

逆に短命に終わったり、悲惨な結果が出たものは、よく考えもせず(要因分析もせず)に、

とりあえず他社のうまく行っている表層をそのままパクったり、したことでした。

後者の方の打撃の大きさの方が私は印象に残っています。

「結果」は一つの大きな塊

「結果」というのは、まさしく結果であり、まとまった一つの塊です。

その塊をどんどん分解・分析していくと、

「なぜ?」のバリエーションと深さは果てしなく続きます。

他者からも聞かれ、自問も果てしなく続きます。

故に、そのバリエーションも果てしなく増えていきます。

 

やっていくうちに、もう嫌になって限界が来ます。

でも、正解などいつまで経っても出ません。

相手によって、あるいは、聞かれ方や言われ方によって、時にブチ切れます(笑)。

要因分析の断片やカケラは次の結果の素材

ただ、やっていくうちに、たくさんのたくさんの断片のカケラが増え続けます。

たくさん増えると、そのカケラのいいところの一つ一つを繋ぎ合わせて、

いつの間にか、結果を出せるパターンと、結果に結びつかないパターンが見えてくる段階がやってくることが分かってきました。

それで、次の仮説やシナリオを立てて、やってみると、また結果が出てしまうわけで(苦笑)。

続けていくと、これを肌感覚で分かってきて、意識しなくても自然とやっている段階に入っていくのだと思います。

言葉だけ覚えるアホ丸出しパターン

「なぜ?」と聞くことは誰にでもできます。

しかし、強烈な落とし穴はあります。

「なぜ?」と聞けばいいとだけ思って、何のストックもないのに聞き続けるバカです。

これは、聞いている側が着地させることができません。

文言だけパクってやるタイプがコレで、まさしく「要因分析」ができていないアホ丸出しパターンです。

実は、何人も観てきました(笑)。

言葉を表層でパクって憶えても、中身がない、すなわち、その人なりの思考のバリエーションとパターンがないのです。

「脳なし」というやつですね(笑)。

「なぜ?」から始まる解像度アップパターン

「なぜ?」に対する一つの回答に対し、

「ほんとに?」が生まれ、

「そんで?」が続きます。

余談なので、ここでは詳しくは省きますが、

「なぜ?」「ほんとに?」「そんで?」

これが思考の解像度を上げていくバリエーションです。

とになく、一つのことに対する要因の一つが出たら、また繰り返しています。

そういう場と時間を持って、やってみます。

次々と新しい何かを生み出していく人は、自動的にこの問答を自分の頭の中で繰り返しています。

無意識だから質問を繰り返さないと出てこないのですが、私は何かができている人に、根掘り葉掘り聞きまくる癖があるので(笑)、

聞けば出てくる要素を観てみると、この思考パターンをもった人が、次々に何かを生み出しては、成功確率が高い傾向にあるのは間違いないです。

鍛えられた自分と、やっていない人との違いに教えられる

これをとにかく繰り返しては、次の仮説を立てては、行動量を増やし、

また出た結果の要因分析をし、カケラの情報量が増え、また繋ぎ合わせたパターンを作り、次の仮説を立て・・・・

と、この繰り返しを、これでもかとグルグルグルグル回し続けます。

だから、もともとがダラダラの私には、とても大変で、死ぬほどきつかったわけで(笑)、当たり前と言えば当たり前です。

 

そうこうするうちに、いつの間にか鍛えられて、あぁ、もしかしたら無意識に自然とできるようになったんじゃないか?と思うようになったのは、つい最近です。

今、他人の業績アップに纏わるお仕事をさせて頂いているわけですが、関わっていく中で、

この思考がある人とない人の違い、あるいは、いつの間にか出来上がったであろう自分と、結果が出せない人の圧倒的違いをここに見出すからです。

 

私は、「結果を出し続ける人」と「自分自身の経験」から、一つの結論を持ったといえます。

今のところのその結論が、上記の三つ

①圧倒的行動量

②要因分析

③仮説シナリオ

ということです。

「結果」を出せない人のよくあるパターン

結果が出せない人の特徴は、

①まず結果そのものを観ていない

②要因分析をしていない

③要因分析の深堀りが足らない

のどれかです。

経営における「結果」というのは、全て「数字」に表されます。

「良い・悪い」という評価の問題ではなく、「数字」という現実を観ない限りは、「要因分析」もへったくれもありません。

「なぜ?」と自問しようとしたところで、何に対して「なぜ?」なのかが発生していないので、ステージにものっていないのです。

もちろん「結果」を観ただけでは、業績は上がりません。

しかし、「結果」を観ないことには、未来の仮説を立てることができないので、

肝心の結果を出す為の「行動」ができないのです。

「行動が全て」は間違い

時に、①の行動をたくさんする人はいます。

とてもいいと思います。

でも、行動量が多くても、「結果」に結びつけることができない人はいます。

そういう人は、やみくもに行動しているだけで、行動した結果を観て「要因分析」をしていません。

だから、ただ動いているだけになって、結果、「結果」が得られずに疲弊していくだけということになってしまいます。

「行動だけ」でいいならサルもビジネスできる

そういう人のパターンは、この三つのサイクルをやらずに、何かうまい方法はないものかと、あっちにそっちにフラフラと動き続けたりします。

決まり文句は決まって「行動が大事だ。」です。

確かに行動は大事です。とても大事です。

でも、行動だけで何とかなるなら、三歳児でもビジネスの「結果」を出せるとなってしまうだろうに、思うわけです。

もっと言うなら、サルでも何かしら行動しているのだから、サルでもビジネスで結果を残せるということになってしまいます。

でも、ビジネスや経営をしているサルは一匹もいません。

(サル顔している立派な経営者はたくさんいると思います(笑)。)

行動だけの人によく見られるフラフラパターン

「行動だけ」の人は、何も考えず、何かうまい方法はないものかと、フラフラと動き続けます。

あっちに行ってはフラフラ、こっちに行ってはフラフラ。

どこの勉強会に行っても、勉強熱心な人は結構一緒になるし、どこそこの勉強会出身で一緒みたいなことになるのですが、

冒頭にも書いたように、どこに行っても「結果を出す人」は出すし、どこに行っても「結果を出せない人は出せない」という、

このパターンは、私の知る限り、絶対に変わりません。

「要因分析」などしなくても、誰かのやっていることを、表層だけパクって、同じことやって、

適当に関わって、売りつける相手見つけて、

それで、うまく当たり続けて結果が出続ければいいのですが、

そういう博打で長期にわたって勝ち続けている人を私は知りません。

もし、いれば、それはそれでいいと思いますし、それでずっとやっていけばとても良いと思います。

もう天才の領域ですから追いつけません。

無能の凡人の私には無理だというだけです。

「よく考えろ」とは何をどうすることを言うのか?

「よく考えろ」という言葉をよく聞きます。

私もよく言われてきました。

でも何をどうすることを言っているのか、誰も教えてくれませんでした。

私にしてみれば、その時の私なりに「よく考えて」やったつもりが、誰かにとっては「よく考えていない」わけで、

「考えた」のに、「考えてない」と言う、それだけで期待する「考えることができる人」になるなら、とっくに「考える人」になっているのだから、

私から言わせれば、そもそもが、そのアプローチがおかしいわけです。

「『考える』って何をどうするってことですか?」と聞くと、せいぜい、「お前は素直さが足らない」だの、「お前の屁理屈はもういい」だのと叱られる程度です。

私の結論は、「あぁ、この人『考える』ということを考えてないんだな。」ということでした。

ビジネスの「考える」の定義

私は、この「よく考えろ」とは何をしろということなのかを、それこそよく考えました。

書いてきたような積み重ねの結果、私の定義する「よく考える」というのは、「要因分析をする」「仮説シナリオ」ということになりました。

「なぜ?」に対する一つ一つの答えをたくさん炙り出し、次の行動の仮説を立てることが、「よく考える」ということです。

それは、三歳児にも、サルにもできないはずです。

私が最も欲しいチカラ

ビジネスの結果を出すにあたり、私がいま一番欲しい能力は、それは、どんな時代も、新たな価値を生み出せる能力でありチカラです。

それは例えば、「クリエイティブ」という言葉です。

それがないと、これからの未曽有の時代に何をどうすればいいのか分からない故に、とても恐いのです。

恐くて恐くて、不安で不安で仕方ない。

「クリエイティブ」のチカラは、思考なので、欲しいと思ったところで、手に入りません。

誰かに創ってほしくても、自分の思考は誰も代わりに創ってくれません。

自分で創るしかないのです。

それこそが、唯一、これからのビジネスで、新たな価値を生み出し、「結果」を出せる力を鍛えていくと、私は信じています。

「なぜ?」に悶絶しながら結果を出す人達

いま、私の主催しているオンラインサロンや、グループコンサルや、個別コンサルのメンバーの人達は、

この私の、何かの結果や現象に対して、一旦興味を持たれたが最後、「なぜ?」「なぜ?」と聞かれまくって、

きっとヘキエキとしていると思います(笑)。

それでも、その思考の面倒くささを越えて、何かを求めて続けている人達は、

様々な出来事の、色んな人の、結果に対する要因のカケラが積み重なり、

少しづつ、自分で次のビジネスのヒントや、具体的にやる事が生まれてきたり、自分のビジネスの軸や、次のシナリオが出てきているのを、私は目の当たりにしています。

(結果が出たら出たで、また私に聞かれるから、また面倒くさいけど(笑)。)

ご興味があれば、もし、良かったら、オンラインサロンからでもご一緒しましょう。

私も、メンバーの皆さんと一緒に、要因分析のカケラをたくさん増やして、

次のシナリオへと向かいたい。

ツヴォイの新商品、「ツヴォイ式・経営なぜなぜ問答クリエイティブ塾」の開校も間近かも知れません(笑)。

最後まで読んでくれた人へと、書いた自分へ

最後まで、読んでいただいてありがとうございます。

ここまで読んでいただいた方で、良かったら、

「なぜ、読もうと思ったのか?」

「なぜ、最後まで読んだのか?」

の要因を分析してみて下さい。

一つではないはずです。断片やカケラをたくさん出してみて下さい。

ね、面倒くさいでしょ(笑)。

もちろん、面倒くさければ、やらなくて結構です。

誰を信じてもいいし、何を信じてもいいし、それも、その人の勝手であり、人それぞれの人生です。

でも、「結果」を出せる思考になる「要因分析」の、小さな一歩になることは間違いありません。それは確信しています。

できれば、書き出してみてみて下さい。

それはあなたのかけがえのない価値へと向かっていきます。

 

私も、なぜ、このブログを書いたのか、その要因を分析してみようと思います。

聞けば失望感と不安しかない、この時代に、

それでも、新たな商品・サービスの創造と、新しい顧客や、そこから繋がるファンの創造と、

この面倒くささと付き合いながら越えていくだけの価値はあると思うのです。

私は、私を信じてみようと思っています。

 

しかし、なぜ、こんな面倒くせぇ長文書いたんだろうな(苦笑)。
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