成果は正解よりも人による

どんな状況下でも成果を上げ続ける人はいる
環境や状況がどんな時になっても、シコシコと前年を越え目標達成していく人というはいます。
例えば、コロナだから業績が落ちる人もいれば、逆にコロナだから業績が上がる人もいます。
ところが、コロナであろうがなかろうが、一貫して成果だけは上げるという、帳尻合わせる人というのは実際にいるわけで、
何でこの人はそんなことができるんだろう?と思って、そのやり方や方法を、聞いたり、よくよく観た結果、
目標設定の立て方と、達成に至る方法において、大きく二つあることに気づきました。
A・目標を高くして、着地を合わせるタイプ
A・一つ目は、
①目標値を、強引に敢えて上げて、
②達成する為の方法を意図・計画して、
③その通りに行動量を増やして、
④着地した結果を判断する
タイプです。
例えば、
前年が100万円・今期目標が105万円だとします。
前年比105%です。
①これに対して、敢えて強引に120万円の目標を立て、
前年比120%アップを目標にします。
②達成できるかどうかは別として、達成できる為の企画や計画を考えたり、方法を探ります。論理的には合えば、
③取敢えず、その行動だけはしてみようとします。この場合、全て行動できなくても、やるだけやってみようとします。
④行動量が増えるので、ヒット率は低くなっても、成功数は上がる可能性は増え、結果105%アップで着地する。
簡単な表にするとこのようになります。
| 目標① | 目標② | 企画数 | 行動数 | 着地 | |
| A | 105% | 120% | 120% | 110% | 105% |
B・目標を低くして、着地を合わせるタイプ
B・二つ目は、
①目標値を敢えて下げるか、前年と同じにして、
②過去ストックの成果の上がった方法を思い出して、
③その通りに行動して、期間内に達成して、もっと良くしようとモチベーションが上がって
④結果、前年より着地した結果が良くなった。
タイプです。
例えば、
前年が100万円・今期目標が105万円だとします。
前年比105%です。
①これに対して、市況も景気も悪くなっているので、せいぜい前年並みか、少し悪くても良しとしようと、95万~100万円の目標を立て、
前年比95~100%でいい、にします。
②前年までのやり方から、良かった方法を選んだり、他の人がやっている方法で自分もできそうな方法を付け足します。
③それまでと変わらないペースで、その行動します。
④期間内に前年並みの結果が出ると、モチベーションが上がって、もっとやろうと行動量が増えて、成功数は上がるので、結果105%アップで着地する。
簡単な表にするとこうなります。
| 目標① | 目標② | 企画数 | 行動数 | 着地 | |
| B | 105% | 95% | 95% | 110% | 105% |
それぞれの対比と、自分と他人の違い
AとBの両者を比較すると、こうなります。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
| 目標① | 目標② | 企画数 | 行動数 | 着地 | |
| A | 105% | 120% | 120% | 110% | 105% |
| B | 105% | 95% | 95% | 110% | 105% |
大事なのは、自分がどちらのパターンなのか?
というここと、
他人(部下)はどちらのタイプか?
ということです。
要は、自分と他人がどちらのタイプなのかを知ることが大事と言えます。
自分がAだからといって、Bの人にAを押し付けると、打ち合わせの段階でこじれます。
これは、一定期間やってきながら、見て判断して行くしかないでしょう。
それぞれのリスクと、先に考えておくべきケア
目標は105%が達成されることですから、アプローチはどちらでも良いといえば良いと言えます。
ただ、それぞれのリスクがあります。
Aの場合、120%の目標に対して105%の着地ですから、
本来は達成してるのですが、本人はいつまでも達成感の喜びが得られないことや、非効率を実感することです。
それに対していかにケアしていくかは先に考えておく必要があります。
Bの場合は、方法を考えたり、企画する思考がいつまでも育たず、市況や環境が良く伸びている時はいいのですが、
いざピンチになった時に、何をやったらいいのかを自分で考えなければならない時に、思考するというそもそものスキルが育っていないので、何をやったら分かりません。
特に、今のような正解が分からない時代は、自分で考えて、やってみて、自分の具体事例を積み重ねることが大切で、
それができないというのは致命的とも言えますから、
リスクヘッジとしては、案出しやディスカッションの場は、意図的に作ることだったりします。
選ばせると無能になる確率は高い
この場合、どちらも105%アップを実現していますから、どちらも成果を上げられる人ということを前提にしています。
どちらも、目標を達成できる人ですから、そもそもが優秀ということが前提です。
よって、結果を出していない人に、好きな方を選ばせると、大抵の場合Bを選びます。
最初からBを選ぶ人の傾向は、結果が悪くなります。
比較してみると、行動量を増やすことは、共通していますから、成果の方程式の初動は、まずは行動量を増やすのが必須となります。
そもそも、これができません。
目標はあるのだけど、どうしていいのか分からない。
そもそもの、目標に対して何をしたら良いのか知識のストックがないのだから、何をどうしたらいいのかを知らない。
次に、方法を知ったところで、それは行動したくない。
だから、結果がついてこないのであって、そんなのに選ばせたら、いつまで経っても、結果は出てきません。
人は、そもそも、できるだけ行動したくないのです。
あるいは、すでに習慣化されたペース以上には行動したくない、すなわち、自分は変わらずに成果だけは欲しいという前提があります。
私など、その権化なようなものです(笑)。
無能を有能にする段階と、
有能のバリエーションを観て、アプローチを変える段階というのは、
全くの別問題です。
この時代に気づく私のおススメは
私のおススメはAです。
短期で言えば非効率かも知れませんが、長期で見た場合、思考力や設計力や事例数で、圧倒的な差がつきます。
行動量を増やせる人は、それだけで成果を出せる確率は増えますが、
この限界は、時間です。
一日24時間しかないので、年間8,760時間を使ったら、一年以内は、それ以上できないことになることです。
(まぁ、この領域に行ける人がいませんが。)
そうなると、いかに限られた時間で、成果を上げられるか?という領域になります。
「短期」と「長期」・「点」と「線」の相関関係
ここの段階からが実は恐ろしいと思っています。
長期的に見ると、変数的な組み合わせによる思考法に差がつきます。
今の時代は、何をやっていいのか、誰もが分からないので、その具体的方法の知識から得るというのは誰もが同じです。
ただ、その知識を「点」で捉えるのと、「線」で認識するのとでは全く違います。
例えば、
①この時代に何をやっていいのか分からない。
②何をしたらいいのだろう?そうだ、勉強しよう。
③SNSで成果を上げている人がいると聞いたので、その勉強をしよう。
④SNSの使い方を知る。
ここまでは、やろうと思えば誰もができます。
「短期」と「点」で終わる人のリスク
ただ、ここでいう「SNSの使い方」というのは「点」に過ぎません。
知ったところで、それを、どの線に組み合わせたらいいのかを思考して、組み立てて、設計できなければ、結果には繋がりません。
・出会いの場として、それまでの場の置き換えとして使うのか、
・出会った人と関係構築する場面で使うのか、
・商品紹介の場で使うのか、
・注文してもらう時の簡便さで使うのか、
「点」を知るだけでは、自分の持っている「線」上の、どこに「点」を置くのかが分からなければ、成果の確率には繋がらないのです。
あるいは、新たな「点」を、すでにストックしている「点」と組み合わせて、新たな「線」を生み出せるかどうか?
これらは、発想とか着想とか組み合わせといった思考上の問題です。
こればかりは、過去に鍛えられた、「点」の数と、「線」の数のストックが多い方が圧倒的に有利です。
ということは、新たな発想や、新たな価値というのは、
過去にストックされた「点」と「線」の数に影響されるので、
こればっかりは、今日・明日では一気に増やすことはできません。
増やすには、どうしたらいいのか?
「考える」(点を線にする)と「行動」の数を増やし続けた方がいい。
だとすると、同じ結果が105%だとしても、Aの方が将来的に圧倒差がついて、追いつこうにも追いつけないステージになっていることになります。
実験を分解する
私も何をしたらいいのか分かりません。
だから実験してみるしかないのです。
この実験というのは、
①点
②線
③仮説の行動
④結果検証
による連鎖をして、初めて実験と言えます。
「点」を増やすことを行動という人もいるし、
「行動」を増やすことを行動という人もいるので、
「実験」の定義が合いません。
最後は自分で好きな方を選べばいい
これを増やすには、増やそうとする時に増やそうとしても増えないのだから、その前に、増やしておくしかないのです。
私はそう思っていますが、
・「企画数」を増やすのか、
・「行動数」を増やすのか、
・どちらも増やすのか、
・どちらも増やさないのか、
成果に繋がる方程式は、人それぞれでしょう。
年齢もあるし、好き嫌いもあるし、得意かどうかもあると思うので、
よって、バリエーションを知って、まぁ、最後は、自分で選べばいいと思っています。
私は、面倒くさがり屋なので、どれも増やしたくない故に、それでも成果を上げるのはどうしたらいいのか?という姑息な方法を、必死で考えて、実験してみます(笑)。
と、結局、どうあがいても、構造上は同じサイクルになるので、
成果が欲しければ、腹くくるしかないのだなと思っています(笑)。
これを完成させれば、
「ツヴォイ式・姑息破壊的成果塾」
の開校が近いかもしれません(笑)。
「上場」と「革ジャン」と「人生」と

「2月14日」は特別な日
バレンタインには縁も所縁もない私ですが(苦笑)、
「2月14日」は、私にとっては「株式上場」を経験させて頂いた特別な日です。
恐らく、私は私の人生で、この日のことだけは特別な日として、これからもずっと忘れない程にインパクトのある日として記憶し続け、
この日を更新していくのだと思います。
10年前の朝、レザージャケットをスーツケースに詰め込んだ
今から10年前の、2013年2月14日、
早朝の新幹線で、東京証券取引所に向かう直前まで、
この日の想いを書き留めておこうとブログを書いていて、
案の定、長文になって(苦笑)、徹夜になって(苦笑)、
当時のブログのリライト記事
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
https://tosboi.com/rewrite/4304/
時間ギリギリになって、慌ててスーツに着替えて、そして、これだけは絶対に忘れてはいけないと思いながら、
スーツケースの中に一枚のレザージャケットを放り込みました。
それが画像で着用しているレザージャケットです。
レザーの傷や皺に刻まれた日々
2002年当時、私は家業を三代目で廃業することになり、
次のステージのチャンスを頂いて、リサイクルショップの経営者として株式上場へと向かうことになりました。
100%の資本を持たない、いわば「プロフェッショナル経営者」としての立場を問われる立場は、
夢と逆転を目論んで、1店舗目からスタートさせた若干37歳、青くて、甘くて、慣れないボンクラ経営者の私にとって、
その現実の数々は、嫌という程に勉強させて頂くことの連続で、故に厳しくもあり大変でした。
店舗運営や作業や会議やトラブルや勉強会や、もう今日のこと、目の前のことしか考えられない程に、目まぐるしい日々の連続の中、
いつもトレードマークのように着ていたこのレザージャケットには、その毎日が刻み込まれるように皺や傷が増えていきました。
面倒くさいことや、逃げ出したくなる色んなことが起こるたびに、
「このレザージャケットと一緒に越えていって、絶対に一緒に上場してやる。」
と、密かに心の中で誓うようになっていきました。
何より、それが実現できたら、オレってすげぇカッコ良くねぇか?、という程度のことでしたが、何よりものモチベーションでした。
レザージャケットとの約束を果たしに・・
それから10年、何が何だか分からないことをたくさん越えながら、私は運よく、その日を迎えさせて頂くことになりました。
もうさほど着なくなっていたこのレザージャケットでしたが、私は万感の想いを込めて、スーツケースの中に入れました。
実家から出ていこうとしていたので、玄関で母がたまたまその姿を見ていて、
「あんた、こんな大事に日に何を考えとるんか知らんけど、皆さんもいらっしゃるんだから、あんまり変なことせんようにしなさいよ・・・・。」
と心配そうに言っていましたが(笑)、
私は、説明したところでしょうがない(苦笑)、とばかりに、スーツケースを持って飛び出し、新幹線に乗り込みました。
私は48歳になろうとしていました。
経った月日の重みを自覚する時
東京証券取引所では、朝からの予定通りのスケジュールをこなしながら、
最大の儀式である「上場の鐘」を鳴らすリハーサルがやってきました。
私は、持ってきたこのレザージャケットに着替えました。
身内は誰も何も言いませんでしたが、初めての場であり、厳かな雰囲気の中だったので、
念のため、進行担当の方に確認をしました。
「あの、仮にこのレザージャケットで鐘を鳴らしても、儀式として皆さんに失礼ではないでしょうか?」
担当の方はやや困ったような怪訝な顔をしながら言いました。
「あの・・・、正式な制服とかなんでしょうか?違うんですか・・・・・。
私としては何とも言えませんが・・・・・、
ここは皆さん、命賭けの結果来られる神聖な場でもあるので、そこは何とも・・・・・。」
いやいや、俺も死ぬほど命賭けでここにやってきた張本人なんだから、ふざけてるわけじゃなくてよ、と思いましたが(笑)、
改めて周りを見渡すと、その10年で関わって来たたくさんの関係者がいて、もちろん全員が全員スーツを着ていて、
一緒に闘ってきたその一人一人の姿を見ながら、
今更ながら、もう自分だけの上場でもなければ、自分だけの想いをブチ込んで好きなようにやっていい場でも立場でもなくなっているんだな・・・・と現実が頭をよぎりました。
正しい選択は誰のもの?
本番のセレモニーがやってきました。
迷いに迷った私でしたが、結果、スーツで「上場の鐘」を鳴らす瞬間を選択しました・・・・。

恐らく、もう二度とない人生の瞬間を私は選択しました。
人にとっては、恐らく、もちろん、どうでもいいことだと思いますが、
私は、自分のこの瞬間を、自分に許せませんでした。
もし、私が向こう側でスーツを着ていたら、私は私にどう思うだろう?
私が私でいいのであれば、それなら、誰が何と言おうと、自分の人生を選択すればいいだろう?
これから公の人と見られる立場になる自分は、これでいいのだろうか?
私のせいで、他の多くの人がどう見られるかも含めて責任が取れるのか?
2人の自分を、もう一人が俯瞰的に見た時に、様々な想いが頭の中を駆け巡り、
私は大人になったのだと思います。
社会の中の自分はどこにいる?
当日は、何もかもが目まぐるしく、
何もかもが、凄く嬉しく、その筆舌に変えがたい喜びの感情は忘れがたく、
まるで夢の中のようで、
こんなことを落ち着いて反芻するようなことはありませんでしたが、
しかし、この日が終わってから、この瞬間のことは、何故だか、ずっと心に刺さったままでした。
そして、この後、すぐに、私は退任の選択をすることになります。
ほとんどの人は、こう言いました。
「え・・・・、どうして・・・・・」
「えぇ!何で!」
もちろん、その他の複雑で多くの理由はありますが、この瞬間のことも確実で大きな理由の一つでもあります。
上場後にこうして続いていくであろう自分の選択に対し、
(私は、これから、ずっとこうして、一つの成果に乗っかって、自分に悶々としながら生きていくのだろうか?)
(そういう自分を、自分に許せるのだろうか?)
(もし死ぬときに、オレはやるだけやったと、自分に誇れるのだろうか?)
(祖父や父に対して、廃業した申し訳なさを、こうして克服するのはいいとして、こういう今の自分をあの人達は喜んでくれるのだろうか?)
そういう悶々とした思いを、誰にどう説明していいのか、良く分からずにいました。
というより、短時間で説明するのも面倒くさいし、簡単に説明できるほど、私の中では軽いものではありませんでした。
私の経営の限界と、故に分かったフレーム
一つ言えることは、私の経営はそこまでだったということです。
上場して次のステージに向かうというのは、やはり、身内からも外からも多くの人から観られるということです。
それには、経営者の立ち振る舞いや言葉など、とても大切で重要な要素です。
私のように、いつまでもウ〇コとか、チ〇〇コと言っては、本気でキャッキャッと笑っていたい人は、
そのステージには行かなければいいだけのことです。
それが、私の経営者としての限界だということであり、
立場やお金や安定よりも、守りたい自分の価値観が明確であるとも言えます。
選択肢がある中で、ギリギリで選択したのだから、他人から見たら変人でも、自分の中では極めてまっとうです。
ここが分かったのはとても大きい。
そうなってみないと、自分とは分からないものだな、ということがよく分かります。
そのお陰で、私が経営において人様に貢献できる範囲は「廃業から上場」までと設定することができています。
ほんどの中小・零細・個人企業はここに当てはまります。
この範囲で私が私にできる知識と経験でお役に立てたら、そんなに嬉しいことはない。
結果の価値よりも、発見の価値
2月14日は上場したから忘れないのではなく、
自分が大切にしている何かを見つけられた、すなわち、まだ見ぬ自分を発見できて、次の未来へと向かうことができたから、
だから大切なのでしょう。
私にとっては、何にも代えがたい価値なのです。
私は、過去の手柄や栄光にすがるような「過去に生きる」つもりはありません。
でも、過去に起こったことや自分とどこまでも真正面から向き合う「過去と共に生きる」のはとても大事だと思っています。
きっと、また来年、次の一年で経験したことで、この日のことを思い出しては、初期化したり更新していくのだと思うし、
全力でやってみようとするのは、それが楽しみだから、とも言えます。
自分に相応しい自分でいる為に

このレザージャケットは、あえなく今も私の手を離れずに、ここに居られています。
そして、今年もこのレザージャケットを気持ちよく羽織る、自分だけの儀式を迎えることができています。
これから色んなことが起こるたび、きっとこのレザージャケットとお別れするかどうかの選択になると思います。
それは、その時までか、死ぬまでか・・・・。
その時は、成長を諦めた時なのか、次の何かが見つかった時なのか・・・・。
この10年は、講演やセミナーの場で、次の代のレザージャケット達に、その座を譲ってはいますが、
ここからの10年を考えると、どうやらまだお付き合いは続きそうで、
まだもうちょっと頼むな、君が何とか似合うカッコいいオッサンでいられるように、俺も頑張るからな・・・・。
自分に相応しい自分でいられるよう、私はまだ頑張ります。
「ツヴォイ式・人生発見塾」の開校も近いかも知れませんね(笑)。
ご支援もご指導もよろしくお願いいたします。
「株式上場」後、「無職」の10年で気づけた大切なこと

何の商品力もない「無職の男」の見様見真似の10年
最近、とっても大事なことに気づいたんです。
2013年の「株式上場」経験後、この10年、私は、ご縁を頂いている方達の経営の業績アップや、事業戦略や新規事業開発のご相談、
あるいは問題・課題解決のアシストをさせて頂いてきましたが、
当時は、その専門たる定型のフォーマットを持っていませんでした。
そもそも、経営の第一線の経験はあるものの、経営コンサルタントやセミナー講師の専門的な知識も経験もあるわけではなく、
それを仕事にしようとしていたわけではありません。
だから、業績アップや事業戦略や新規事業開発といった経営セミナーや講演や、コンサルティングの依頼を受けて、相当に戸惑いました。
戸惑いながらも、ご依頼を頂き、お受けしたからには、全力でやらせて頂いた自負は持っています。
極めて後発の仕事ながら、ご縁にご縁を頂きながら、やりながら、気が付けば10年が経ってしまいました。
記憶のない「廃業~上場」への10年
そして、相変わらず、定型のフォーマットや仕組みはありません。
途中、何度も、お金を頂くプロとしてやっているのなら、ちゃんと纏めて、誰でも使えるフォーマットにしていかないと、とは思いましたが、できていません。
正直に言うと、「廃業から上場」への10年、
必死になって、色んなことをやってきたのだけど、
いざ纏めようとすると、何をどうやっていたのか、まるで思い出せないのです。
一日も欠かさず、何から何までやっていたはずなのに、一つ一つを憶えていないくらいに、
今思えば、信じられないくらいに、きっと無茶苦茶というか異常な期間だったのではないか?と思います。
どこで何をやっていた、とか、どこで寝たとか、そういう記憶すら、なんとなくの映像はあるものの、曖昧なのです。
当時、幼少だった子供達との記憶もほとんどなく、ごめんね、と、やっと今になって思っています(苦笑)。
「できないことができるようになる」ギャップの価値
私の場合
「できる人がやっていたからできた」
のではなく、
「まるでできない人ができるようになってできた」
ということなのでしょう。
何しろ
「廃業から10年で上場」
なんてのは、「0から+」のギャップどころか、「-から+」なわけで、
今思うと、きっと、とんでもない異常とも言える期間だったのだろうと思います。
自分ではいたって普通のつもりでしたし、当然、グダグダの自分しか認識できていませんでしたが、
当時からずっと定期的に会っていた経営者勉強会の友人が、
「あの時のツヴォイさんは、何というか、近寄りがたいような異常な雰囲気でしたよ・・・。」
と、今になって言われたりしますね。
価値はどこに宿っているのか
だから、「必死で色々やった」という感情的な記憶があるだけで、「何をどうした」という具体的な知識と行動の一つ一つの記憶がまるでなく、
ないから、纏めたり、編集して、定型の形にすることができない、というのが私の認識です。
ところが、この10年もまた、他人様の経営やビジネスという、
様々な新鮮なご依頼や相談や問題・課題の解決という、
「やってないことをやっていく」
ことになり、それなりに必死で(やる時だけは(笑))やってきたわけで、その中で気づくことがありました。
経験により脳と体に叩きこまれて染みついた価値
私には顕在的な記憶がまるでないのに、相手の具体的な相談内容や問題や課題が目の前に現れると、
それまで、グダグダでダラダラで何もやる気がなかったのに、
突然スイッチが入ったように、
まるでDVDの映像のように、明確に克明に、当時の記憶も感情も蘇り、当時の知識と経験も蘇り、
火が付いたように速射砲のように、解決や打開に向けて、一気に喋りまくる自分がいたりします。
(お相手はたまったもんじゃないかと思うわけで、いつもごめんなさい(苦笑)。)
要するに完全カスタムですね。
人には一つづつの人生と経営があります。
それぞれに、才能も能力も価値観もあります。
相手の状況や、目的や目標や現状に対して、格納されている、一番適切と思える引き出しを開けるわけですから、
なんか知らんけどフォーマットみたいなもんはあるんだろうけど、
相手によって引き出しの場所とか順番が変わってんだろうな。
そうか、そういうことか、
きっと、実践で身に付いた知識と経験というのは、きっとこういうことなんだろうな、
ということです。
人前に出る時は、何をどうしたらいいのか分からずに、出るだけ出て、
でも、その時その時を何とか形にすることができてきた、ということは、
身体と脳に叩きこまれて、刻み込まれてしまうだけの、理屈では説明しきれない経験があったということなんだろうな、と思っています。
きっと、これが「本物」とか「実力」とか、そういうことと思い込んでいいのではないか?と(笑)。
だって、そうじゃないと、「無職」というこの職業は(笑)、この混沌とした10年は続けられていないと思うのです。
気がつけた何より大切なもの
なんか必死でやっただけで、何も身についていなくて、案の定、無能な自分・・・・としか認識できていませんでしたが、
そうか、ホントはちゃんと身に付いていたのかも知れないな、良かったじゃんオレ・・・・・、
ということに、あれからまた10年経って、気が付いたということですね(笑)。
うん、あの時頑張ってきといて良かったじゃん、オレ(笑)。
要するに、私はこの10年をかけて、あの「廃業~上場」への10年を、やっと自己承認できたということかも知れません。
思えば、10年前に、株式上場した時に、
その前の家業廃業に至る10年を自己承認できたものでした。
あの時もそうでしたね。
そういう意味では、廃業という結果に終わった、そのまた前の10年の家業継承期も、大きな価値を積み重ねていたということになりますね。
人はそうやって、自分という存在を積み重ねて、認識できていくものなのかも知れませんね。
だからね、あなたも私も、とりあえず、何がどうあれ、とりあえず頑張っていていいと思うのです。
頑張れ、あなた。頑張れ、自分。
とりあえず、安心して頑張ってていいよ、あなたも自分も。
無責任ながら、このブログ読んでてくれる人は、絶対、大丈夫(笑)。
元10年と、前10年と、現10年で得た自分の価値
そうか・・・・・、今日は2023年2月12日、
あと2日で、10前に「株式上場」の鐘を鳴らせてもらえた日、
あれから、もう10年経つんだな。
あれから、また10年経っちゃったんだな・・・・。
この10年の活動の中、関わって頂いた皆さんのお陰で、
私は、きっと自信を持って、喜んで、人様の経営に関わるご相談を受けられるようになったということだと思います。
2年前に胃ガンが発覚して、胃を2/3切りました。
大したことはなかったものの、病名が病名だっただけに、一応、死は覚悟しました。
その後は、胃は順調ながら、手術後には喉の調子がとても悪くなりました。
今は変わらずに、ベラベラと喋りまくってはいますが、
一応、いつか声がでなくなることも覚悟し始めました。
だから、使えるうちにできるだけ、人様に役立てるように使い切りたいという想いも出てきています。
次の10年を誰に何に使うのか
誰の為に使うのか。
もし、私の人生の何かが、誰かの経営のお役に立つのなら、
自信をもって、喜んで、徹底的に使ってやろうと思っています。
使い切る前に、私で良かったら、何でも相談して下さい。
全力で、これまでの知識も経験も声も、全て使い切らせて下さい(笑)。
いつか無くなることが分かってきただけに、ここからは徹底的に使い切って、すなわち、売り込んでいってやろうかと(笑)目論んでいます。
これからの10年の指針になっていきそうです。
「ツヴォイ式・経営何でも出たとこ相談所」
の開設が近いかも知れません(笑)。
楽しみです(笑)。
ご予約はお早めに(笑)。