ツヴォイ式お絵描き044「ビル・ロビンソン」02
プロレス名勝負の多い「アントニオ猪木」の、「生涯の名勝負ナンバー1」はどの試合か?と聞かれたら、
プロレスファンからは様々な試合が挙げられるのでしょうが、
私の場合は、誰が何と言おうと(笑)、
「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」(1975年12月11日・蔵前国技館)
ですね。
それまで、「タイガー・ジェットシン」を始め、「キラー・カール・クラップ」「ブルート・バーナード」「ベア・キッャト・ライト」「ザ・シーク」といった、
当時の新日本プロレスに来襲する、反則攻撃丸出しの凶悪外人レスラーを「技」で撃破し、
「カール・ゴッチ」「ルー・テーズ」といった、大御所・正統派外人レスラーも「技」で撃破し、
「坂口征二」「ストロング小林」「大木金太郎」といった、大物日本人レスラーとの対決も「技」で撃破し、
どんな試合であれ、最後はプロレスの正統的な「技」で、全ての対戦相手を撃破し続けていく猪木を観ながら、
当時小学生だった私は、「技」の世界一はアントニオ猪木だと信じていました。
ところが、この「ビル・ロビンソン」戦に限っては、全く違います。
終始、大技・小技の「技」と「技」で先手先手を打たれながらキリキリ舞いさせられ、延々と続くグランドレスリングでも思い通りにさせてもらえず、試合そのものをコントロールされて、
(小学生でもそれまでの猪木の試合とは、明らかに違和感を持った(笑))
一本目は、マッハの「逆さ抑え込み」で取られてしまいます。
ダブルアーム・スープレックス、ワンハンド・バックブリーカー・ジャーマン・スープレックスと、随所にブチかまされる大技も強烈で、
事前の、「技」と「技」、史上最高のテクニック合戦という予測を遥かに越え、
「あ・・・あの猪木が・・・・・、」
と60分フルタイム中(当時のテレビ中継は当然フル放送じゃない(笑))に、何度も思わされる連続に、
小学生ながら、それまでにない悶絶と興奮という感情(笑)を覚えるのでした。
たった一度のこの試合でしたが、以来、私はすっかり「ビル・ロビンソン」の試合に魅了されていき、今なおプロレスラーの中でも別格の存在です。
その後は「全日本プロレス」に主戦場を変えての「ジャンボ鶴田」戦での、
「ダブルアーム・スープレックス」は、「ブン投げる」というインパクトですが、
この猪木戦の2回にわたるそれは、まさしく強引に「ブッコ抜く」という感じ。
あの猪木が、「人間風車」の技の通り、ロビンソンの思うように振り回されるというシーンは、私にとっては衝撃で、
あまりの衝撃は脳裏に刻まれ続け、時は流れ47年経った今、なんとしても動画にしたい衝動に駆られて、頑張った次第です(笑)。