大切な相手のイメージをブチ壊しているのは自分かも知れないリスクを知ろう(苦笑)
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ちょっと外に出てやりたいことがあって、喫茶店に入ってコーヒーでも飲みながらやろうかなと思って、席に着いたはいいけど、
ま隣に座ったオッさん達が気持ちよく大声で話す会話が、私ですら、私ですらですよ(苦笑)、耳を覆いたくなる程に下品で(笑)、
よくそんなこと大声で喋れるなぁ、この人達、どんな生態系なんだろう?と興味が湧いてしまって、
本来の用事を反故にして、色々観察するに至っていまったんだけど(笑)、
観察してるうちに、その中の一人が履いていたスニーカーに気づいたり、一人の腕時計が目に入ったんですね。
ちゃんとしたスポーツブランドのファッションとしては定番スニーカーだったり、時計は高機能で丈夫で背景もちゃんとしてるモノだったりして、
ファッション雑誌とかにちゃんとページを割いて紹介されてるくらいのモノなんですけどね。
それ見ながら、「うわっ、俺、絶対それ買うのやめよ。」と思ってしまいました(笑)。
そもそも嗜好じゃないから買わない対象ではあるから買わないんだけど、
例えば、スニーカーなら普段履き程度ならいいかな?とか、腕時計ならセカンドウォッチとしては購入候補に上がってもいいかな?と思える対象くらいではあったんだけど、
この一発で、私のリストからは完全除外されました(笑)。
いや、こういうことって結構ありません?(笑)
こういうことがあるから、シェアが大きくなって、一般に広く認知されて、流行りになって、定番的な対象となって、扱う店舗も増えて、メインカルチャーになるってのは、
それは、企業にとって商業的にはとってもいいことだけど、
反面、ブランドイメージや、本来の構築していきたいコンセプトに対しては、リスキーだよなぁ、と思ってしまったのでした(笑)。
基となっているイメージや価値というのは、時として、提供側ではなくて、その周りの人達や、サービスを受けている側や、購入している人達によって、
市場イメージは勝手に作られていっていまう、というのはありますもんね。
お気に入りのブランドが、嫌いな芸能人やスポーツ選手や芸人が着ているのを見て、いきなりイヤんなるとか(笑)。
それは、別に今に始まったことではなくて、永きに渡って、イメージを大切にしたい企業やブランドの抱える悩みの一つでしょう(苦笑)。
前衛者とか追随者といった、マーケティング用語に出てくる消費段階のある一定線を越えると、もうどうにもコントロールできなくなる段階というのは確実にあるのだと思うし、
イメージを大切にしたいと思っているほど、「理念と利益」という狭間の迷宮の闘いを続けているのでしょうね。
社会に出てから、拡大志向が経営における前提で、それに疑いなど持っていなかった世代とも言える私にとって、
自分のビジネスに対しては、改めて考えておくべき事はあるのでしょうね。
それは、きっと、一般に言われている自分以外の誰かが言う成功とか成果の定義とか、それはそれとして、ちゃんと参考にしつつも、
肝心の自分は、何をどこまでやることが、果たして、幸せで豊かで愉しいと思えるかどうかなのでしょうね。
そう考えると、自分の価値観・・・・、仕事観とか、人生観とか、そういう「○○観」というものは明確にしておくのは、必須なのだと改めて思うのでした。
憧れや、欲しかった何かが手に入ることは、誰もが幸せを感じられたり、嬉しいことの一つなのだと思います。
しかしながら、手に入れた瞬間に、自らが、その憧れをブチ壊す存在になるかもしれないという、恐ろしいリスクも自らが持っているとも言えるわけですね(笑)。
ここまで偉そうに書きながら、気づくわけですが、
最大の問題は、私は私で、どこかで私を見た他人から、あのオッさん達同様に思われて、
お世話になっている多くの方々や、商品やサービスの提供側の迷惑になっているかも知れないと思うと、身の縮こまるような気持ちに見舞われるのでした(笑)。
言われているのではないか?
「いやいやいやいや、あんた、他人のことはいいから、私達の商品やサービスのイメージを、あんたが壊さないように気をつけてよ。」
はい、気をつけます(苦笑)。
そういえば、以前、清水さんという知り合い(笑)に、
「仮に、俺が全部お金出すとしたら、俺の選んだ通りにコーディネートした洋服着る?」
と聞いたら、
「・・・・いや、それでも、ツヴォイさんのは断ります・・・・。」
と答えられたことがあったな(苦笑)。
あれは、趣味志向が明確であるがゆえ違い過ぎるという意味なのか、
私のように見られたくないという意味なのか、
勉強のため、しつこくしつこく聞いてみたいと思います(笑)。