分かっていると思っていることなんて、分かっていないことがほとんどなんだろうな
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晴れていたので、今日は前回の富士山が見えるかな?と思って、随分手前から、ずっと見てて分かったことがあったんだけど、
「雲のかかる富士山」って、富士山に雲がかかってる時と、富士山の手前に雲があって、雲がかかってるように見える時の両方があるんだなぁ、て。
新幹線の中から見てると、富士山に対してこっちの視点が変わっていかのがよくわかって、
一枚の画像の断片情報だけでは分かんねーことはあるなぁ、と。
なんだか、いつも、ある側面から見るだけで、相手への何かを勝手に思ってて、
「ゴメンね。」
という気持ちになりました(苦笑)。
一つの側面は側面としては確かだし、断片情報も一つの確かな情報。それはそれで一人の確か。
でも、それが全てじゃないわけで、まるで全てを分かったような気になってることって結構多いんだろうな、と改めて思うのでした。
分かったと思っていることは、実は分かってなんていない。
きっと、そんなことがほとんどなんだろうと思うのでした。
断片情報によってのみで、人や事柄の全てを分かったように吹聴するのは愚かなんだろうな、とも思うし、
あるいは、一つ一つの断片情報の瞬間に何かを感じるのはとても大切ながら、固執することなく柔軟にしなやかに流れるように生きていいたいなぁ、と思うのでした。