「やってみたら分かる」を定量的に落とし込んでみる
「やってみないと分からないのだから、まずやってみよ。」
とはよく言うことなれど、
やってみれば全て分かるか?といえば、
私の経験上では「分かる」ことの方が少ないわけで、
「やってみて分かること」と、「やってみても分からないこと」の両方がある。
ただ、後者は
「やってみても分からないことが分かった」
という意味では「分かった」とも言えるわけで、
それらも全部ひっくるめて、
「やってみたら分かった」
のいうことなら分かる(笑)。
この日、子供の頃から象徴的にインプットされている、スヌーピーの定番「屋根の上おやすみスタイル」を見つけて、
考えてみたら、どんな気持ちになのだろうか?と思ってやってみたけど、
スヌーピーは気持ちは分からなくて、
ちょっと恥ずかしいことは分かった(苦笑)。
「やってみれば分かる」
と言うのは、実績のある人が言うぶんには説得力があるが、
誰でも言えるといえば、誰でも言えてしまうので、猫も杓子も使う言葉とも言える。
ということは、実績を上げた人というのは、
他人から見たら、やってみたところで意味があるのかないのか分からないようなことまで、
どれだけ多くのことを実際にやってきてみたのだろう?とも思う。
自分が努力していると自負していたり、継続していると自覚していることはあったりするけど、
にも関わらず、成果に繋がっていない場合に、同じことで成果を上げている人に具体的行動において話を聞いてみると、
同じように、努力や継続という言葉を使ってはいるものの、時間数や、回数や、ページ数や、訪問数といった定量面におけるその差に愕然とすることがある。
そう考えると、実績が伴わないうちは、やっていることの数そのものが、まだ圧倒的に足りないとも言えるのである。
ということが「分かった」とて、スヌーピーの前で寝転がることは、やってみた結果、もうやりませんが(苦笑)。