本音がないと「本音と建前」は成立しない

スーツの日でした。

ベストを着用していると、リラックスしてジャケットを脱いでいても、

なんか、ニューヨークとかイタリアの仕事のできる有能なビジネスマンが、

仕事帰りに、洒落たバルみたいな店で、打ち合わせがてらお酒を飲んでるようで、

自分がカッコいいと勘違いできていいなぁと思いました(笑)。

 

でも、見かけは有能なビジネスマン風でも、本当の中身は単なる無職の冴えない男だったりするわけですね(苦笑)。

人は公で何かを伝えている自分と、本当の自分に乖離があるのだろうなと、自分の無様な姿を見ながら(苦笑)時々思ったりします。

 

だからなのかどうか分かりませんが、人が公で伝えている行動や言動に、異常に違和感を覚えることがあります。

その真意をよくよく聞いてみると、なるほど、そういうことだったのか、と妙に安心することがあります。

 

例えば、「損得じゃない。使命感でやっているんだ。」と口では言っているけど、

よくよく聞いてみると「なぁんだ、結局のところ損得勘定で動いてるだけなんじゃん。」と分かった時なんかは、私はとても安心します(笑)。

 

メリットの定義にもよりますが、

人は、なんだかんだ言っても、自分にメリットを感じることにのみ動機付けされて行動し、

メリットを感じないことには、気持ちも行動も向かわない。

向かわないのにやらされるとストレスや苦痛を感じるわけですね。

 

 

「本音と建前」というのは、「そりゃ、本音と建前は違うでしょ。」というように日常会話でよく聞くのですが、

「本音と建前」というからには、「本音」部分と「建前」部分の両方がないと成立しません。

時々、「建前」が100%で、「本音」まで自覚していない人と出くわす時もあるわけで、

そういう時に、強烈な違和感を感じてしまうのだと思います。

両方あっていいんじゃないかと。

両方あるのが、人社会で生きるということなんじゃないかと。

 

「自分のメリットよりも、相手のメリットをまず考えよう。」

という人もいますが、本当の本当に相手のことだけをただただ100%考えて生きているのか?と疑問に思って、

「なんで?」と興味を持ってよくよく聞いてみると、

要するに、

「自分のメリットだけを考えていても誰も相手になんかしてくれない。

だから、まず相手のメリットを考えた方が、結果として自分のメリットに繋がる。」

ということを想定して言っているのだなということが分かると、それがごく自然だよな、と私は妙に納得します。

自分も自分のメリットがあることしか動かないように、他の誰もも皆そうなのだから、その両方の一致を考えるというのは、

ビジネスのみならず、社会で人と関わっていく以上、前提として考えるべきなんだろうな、と私は思っているのでしょう。

 

自分のメリットしか考えていない奴なんて、誰も相手にはしません。勝手に生きてればいいでしょう。

自分を犠牲にしてまで、他人のメリットの為だけに動かされるのは幸せとは感じないどころかまっぴらゴメンです。

 

自分と他人という、そもそも相容れない双方のメリットの一致をいかに考えていくのかがビジネスの根本であり、

「人」が「人間」になっていくということなのだろうなと思うわけです。

 

頭ではこうして分かったようなことを自覚し、こうして分かったようなことを書いているわけですから、

「私のメリットはこれです。あなたのメリットはこれです。いかがですか?」

と常々考えられるような、そんな人間になれたらいいなとは思うものの、

 

私なんかは、自分が一番大事というのが前提なわけで(苦笑)、

特に、こうして、スーツを着て、「お、俺もなかなか有能なビジネスマンみたいでカッコいいじゃん。」と調子にのってアホ面こいている時にこそ、

無能さ極りない自分を思い知らされるわけです(苦笑)。

まぁ、自覚しているだけ、マシだと思って(苦笑)、

少しでもまともになれるように、努力だけはいたします(苦笑)。

 

 

本音と建前は、本音を自覚していないと成立しない。
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