「その言葉」を言わずに「それ」を伝えられるか?

魅力的なプレゼンテーションができるようになる研修を受けている時に、尊敬する先生が言いました。

「相手から言われたい『その言葉を』」

「自分から言わずに」

「相手にそう思ってもらう為には」

「どうしたらいいのか」

「それを考えて、実際に行動したり、情報を伝えることが大事です。」

確か、別の何かの話をしている時に、ポロっと出た感じだったのですが、

「なるほど、そういうことか。」

と、それまで自分の中で言葉で説明するのが難解だったことが、スッキリ腑に落ちたことがあります。

以来、私の中では、自分から情報発信するにあたり重要な指標の一つになっています。

 

私は人前で喋る機会も含め、販促物やイラスト、ブログの文章や写真等、

果ては、店舗の看板や売場、商品POPに至るまで、

考えていることを何らかの表現で伝える機会が多くありましたが、

その当時、情報発信した後に、受け取った相手から、私が欲しかった評価は、

「ツヴォイさん、スゲェ。」

の言葉でした。

私は「スゴイ」と言われたかったのです。

 

ところが、評価頂く言葉の多くは、

「ツヴォイさんは、上手いよねぇ。「役者だよねぇ。」「パフォーマーだよねぇ。」

そんな感じでした。

 

それは、決して悪い評価と思っていたわけではなく、光栄とも思いつつも、

「何が違うんだろう?」とモヤモヤした違和感は残り続けていました。

自分が「伝えたいこと」が、「伝わっていないこと」に違和感を感じながらも、何がそうさせているのかが分かりませんでした。

 

「伝わる」という言葉を、私なりに言い換えてみるなら、

『「自分がどう見られたいか」と「相手がどう見るか」の両方が一致している状態』

『「自分が伝えたかったこと」と「相手が受け取ってくれたこと」の両方が一致していると実感できる状態』

と言えます。

 

情報の発信側からすれば、それが実感できた時は感動すらおぼえし、人の一体感というものを感じらる瞬間です。

私はそういう瞬間が欲しかったのだと思うし、それができる人になりたかったのだと思います。

 

私はもしかしたら

「上手く伝えよう、何とか上手いこと伝えよう」

とばかりしていたんじゃないか?と振り返りながら気づきました。

 

自分が素直に、

「この人スゲェな。」「このイラストスゲェな。」「こんな文章書けるなんてスゲェな。」「この人の話はスゲェな。」

と心で感じる相手や対象を改めて観察しながら、

「なんで、それをスゲェと思えるんだろう?」

と、断片情報や要素を一つ一つ自分なりに拾い出しては、まとめるようとしたりして考えてみることにしました。

「自分の体験経験に基づくこと」「行動行為」「そこから自分が心で感じたこと」「具体事例」「映像の共有化」「ストーリー」等、

いくつかのキーワードが出てきましたが、結局のところ

「本当に自分の中にある、本当の自分のことしか伝わらないんだな。」

ということでした。

 

私が「スゲェ」と感じる人や対象は、本当にその人の中にある目に見えない何かを、

時に、人前で喋り、時に文章で、時にイラストで、時に写真で表現している、すなわち、

「自分の中にある目に見えない何かを、目に見える何かにして伝えている」

人であり、コトである、という私なりの仮説というか基準ができました。

 

ある意味、それは恐いことでした。「自分の全て」が人前で露呈すということですから。

人前で喋ること自体は多くを経験してきた私でしたが、それ以来、人前に立つことが少し恐くなったのを覚えています。

良くも悪くも、全部がバレるということですからね。全部をさらけ出すということですからね。隠しても全部透けて見えるということですもんね。

 

私は、前も今も、講演前に逃げ出したいほどの気持ちに駆られるのは変わりませんが、それはもしかしたら、

「今の自分にウソはないか?」「本当に自分でやって心で感じたことなのか?」「上手いことやろうとだけしていないか?」という自分と問答しながら、

「上手くやりたい」という気持ちと、「本当のことを伝えたい」という気持ちの両方を戦わせているからなのかも知れません。

 

私の「伝わる」仮説が合っているかどうか分かりませんが、それ以来、

「いや、スゴかったですね。」

「今日の公演は、スゴかったです。」

(あるいは同義と思える言葉)

と、少しづつですが言われるようになってきたのは事実なので、

理想にはまだまだですが、もう少しこの方向での探求は繰り返したいと思ってはいます。

 

まぁ、もともと、

「私の講演はスゴイです。」

などと自分の口から言うなど、そんな恥ずかしいことは、私はしませんが、

この実体験や出来事は、他の情報発信に置き換えることはできました。

 

例えば、自分の店のことを販促物とかで伝えようとする時に、

「楽しいお店です。」

と、ついつい聞こえの良い言葉で言いたくなるし、

 

採用告知の時は、

「楽しい職場で、楽しい仲間と一緒に」

と、ついつい聞こえの良い言葉で言いたくなります。

 

何がどう楽しいのが、聞く側は何がなんだかさっぱり分かりません、

 

「楽しい」と思うのなら、「楽しい」という言葉を使わずして、どうしたら相手に「楽しい」と感じてもらえるかを具体的な形で表現できるか?です。

それには、自分の人生の体験・経験を通したリアルな具体的情報がないと出せないのです。

 

「癒し」「エレガント」「カッコいい」「おしゃれ」「自由」「上質」「落ち着き」「感謝」等々、

およそ属人的な感覚の言葉ほど、この考え方は当てはまることなのだと思っています。

 

私は、仕事で、販促やコンセプトの相談に乗る時で人の話を聞く時、

「誰もが楽しめる店を作りたい。」

「みんなが楽しめる職場にしたい。」

という抽象論が出た時は、

「あなたが言う『楽しい』って何?どんな時に感じたことがあるの?実際に経験した具体的な出来事を教えて。」

と聞いてしまいます。

 

逆に、

「この前、こんなことがあったんですよぉ。」

と具体的事例が出た時は、

「それはあなたにとってどんな感情や価値観になるの?」

と聞いてしまいます。

 

時々、大いに面倒がられますが、でも、抽象論と具体論を一致させていかないと、本人の考えや価値観を理解ができないわけですから。

私が理解できないということは、他人も理解できない確率が高いと思うのです。

 

ビジネスの基本の一つは、社内外に渡り、

「自分以外の誰かを心を動かすことであり、動機づけしていくこと」

であると思うと同時に、それができるかどうかは、とても重要だと思っているからです。

 

「共感」「人の心を動かす」「感動」といった、キーワードはよく分かるつもりですが、

それは、私にとっては難解で、現実には難しく、そして興味は尽きず、まだまだ勉強が必要で、

その訓練の意味も含めて、自分向けにこうしてブログも書いているのだと思います。

 

ちなみに、最初の画像は、「カッコいい」と思われたくて、「カッコつけて」撮った結果、

「カッコ良く見られたい」意図がバリバリに感じられるわけで、

書いている内容がまるで投影されていません(苦笑)。

 

そもそも「カッコよく見られたい」ということは、「カッコよくない自分」を自覚している証明とも言えるのですから。

分かったようなこと書いてて、実際にはまるでできていない自分を露呈していますね(苦笑)。

 

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