本当の「成功」とはどこにあるんでしょうかね

一言に「成功」とは言いますが、その定義は人それぞれ違うと思っています。

その人の成功とはどこにあるのでしょうね?

人が口で言っている成功と、本心から本当に欲しい成功は違います。

私の今のところの見解です。

 

27歳で家業に戻った時、赤字体質に陥っている経営状態に父は困っていました。

それは、本当に困っていたのだと思います。

 

まだ、青い私なりにではありますが、それなりに勉強したり、経営の師匠に教えを頂き、いくつも再建への案を出し、父と話し合いました。

私なりに悩み、必死のつもりではありました。

ご多聞にもれず、私の思い通りには行かず、時には喧嘩になることもありながら、

少しづつ譲ってもらったり、実験したり、挫折感を味わいながら、少しづつは進んではいきました。

 

ただ、少々の改善では、大きく振りかぶる衰退状態を止めることなどできず、

また、旧態依然とした社内体制や風土まで変えることなど力及ばず、

黒字転換して健全な状態になるまではとてもとても遠く、業績はどんどん悪化していきました。

 

祖父から事業と社員を引き継ぎ、私へ後継しようとする父が、業績回復したいという気持ちについては、疑うことはなく、再建については本気だと思っていたし、

私も、祖父が立ち上げた事業を再建したい気持ちや、子供の頃からお世話になった30人の社員さん達への想いもあったし、そして何より私自身の面子もあって、

私も再建へは本気の自負はありました。

ただ、再建への方法論が違うだけだと思っていました。

 

ある時から、感情や感覚だけでなく、論理や論拠に基づかないと何も進まないと痛感した私は、

昔ながらの成り行きで出来上がってしまった複雑な全体を、一つ一つ分かりやすく事業部別にして、

採算部門と不採算部門に分け、効率的な部分を残し、かつ、社員の誰もこちらからは切らずに、全員で再建して行こうという計画を出しました。

 

今考えても、その方法は、その時点では完璧に近かったとも言えると思います。

論理も数値も、誰がどう見ても正しい現状が分かるし、今後の方向性も理解しやすいものだったはずです。

父はもちろんのこと、社員さん一人一人に説明して、新体制で進むことになりました。

納得したというより、納得せざるを得ないほど論理的で正しい方法だったとのだと思います。

 

無論、物事は論理通りにはいかないことや、論理で進める限界があることくらいは分かっていましたが、

それでも、古株の社員それぞれが、それぞれの言い分や価値基準や考え方を訴えるだけで、何も進まない状況の中、

それを打破するには、私にとっては、それしか手はありませんでした。

多少、強引かと思いましたが、資金の状況と残された時間を考えると、突き進むしかないと思いました。

 

何故なら、私の目的は、会社を黒字転換させ、利益を出し、社員の雇用を維持し、継続することでしたから。

それは、私だけではなく、父も、誰もが同じだと信じていました。

周りの理解と協力を得て、新体制はスタートしました。

それまで、それなりの苦労をしてきたことがやっとスタートできて、私は私で少し報われた気持ちになりました。

 

新体制で一年も経った頃、早くも一つの決済をしなくてはならない状況になりました。

一つの事業部・部門・商品群の不採算が明確になり、カットせねばならなくなりました。

それは、私は大体の予想はついていました。

いや、私だけではなく、父はもちろん、ほとんどの人は気づいていたのかも知れません。

限られた資金を、どの部門に投資するのかと言えば、最も効率的な部門に投資せねばなりません。

限られた資源の中、不採算部門のカットを断行しなければ、黒字転換は無理な状況でした。

 

部門長会議の場で、その部門の責任者は、もう言い訳のきかない論理と数値を前にして、申し訳無さそうにしていて、その姿に私も心が苦しくなりました。

その人は、優しくてとてもいい人で、私も大好きな人でした。

 

私は、その人の雇用だけは何とか維持しようと思ってはいましたが、

不採算であるその部門と商品群を辞めることは仕方ないと自分に言い聞かせ、

断腸の思いで、部門カットの方向で話を進めようとしました。

 

ところが、父は、その部門の継続を主張しました。

「いま止めるわけにはいかない。」「止めさせるわけにはいかないだろう。」と。

その時の、私をジッと見る、父の困ったような、申し訳なさそうな顔は脳裏に焼き付いています。

会議に出ていた歳をとった社員さん達は、一人は目をつむり腕組みし、一人は机をジッと見つめ、一人は素知らぬ顔をし、一人は下をうつむいたまま・・・・、そんな感じでした。

 

その後の話し合いの結果、結局、その部門は継続されることになり、変わらぬ体制と組織のままとなりました。

 

私の頭の中で、様々な思いがよぎりました。

「利益を出し、黒字転換し、会社を良くしたかったのではないのか?」

「私のやってきたことは何だったのだろうか?」

「本当に利益を上げたいのだろうか?」

「このままでは会社が潰れることが何より辛いことだったのではないのか?」

「本当は何がしたかったんだろうか?」

「何が一番欲しかったんだろうか?」

 

怒りと諦めにも似た気持ちも交錯し、もう何がなんだか分からないし、どうでもいいと投げやりな気持ちになりました。

 

「本当の父の成功とは何だろう?」

「父にとっての成功とは一体何なのだろう?」

気がついたら、そんなことだけを考えていました。

考えに考えて、自分なりに一つの仮説が立ちました。

 

「父にとって、本当の成功とは、利益を出して、黒字転換することではないのではないか?口ではそう言っているが、本当の本当はそこではないのか?」

「祖父から引き継いだ家業と社員を、最後の最後まで、自分の給料を減らしてまで雇用を守りきり、社員からも感謝され、世間からも『あの人は優しい立派な経営者だったね』と言われることなのではないか?」

「だとしたら、自分が無理して変わることなく、人を無理して変えることなく、今の生活やペースを守り続けることが何より大切なのではないか?」

「だとしたら・・・・、残る手は、父はじめ、社員さん達が何も変わることなく、それまで通りに仕事して、それでもなおかつ利益を出す方法を、俺が一人で考えて、一人でやってみて、一人でひっくり返すしか手がないのではないか・・・。」

「できるんかい、そんなこと。そもそも俺は、やりたいんかい、そんなこと。」

「みんなで良くしようなんて、あんなの口でうまいこと言ってるだけで、要するに、お前だけが苦労してやれってことなんかい。」

「なんで俺だけ・・・、何で俺ばっかりがこんな思いをしなきゃいかんのか?何で俺だけやらにゃいかんのか?そもそも俺が頼んだわけじゃないのに。」

 

四苦八苦とも言える問答を一人でした結果、

ここで背を向けたら後悔するのは自分だということだけは、自分で分かっていたので、

もともとダメなんだから、ダメ元でやって、ダメならダメで、そん時はそん時考えればいいか、と、なかばヤケクソで意思決定だけはした記憶があります。

こうして言葉にすると美談ですが、当時の私としては相当苦しんだ結果でもありました。

 

それ以降、父が黒字転換したい旨を口から出した時は、良くも悪くも信じないようにしました。

父の本当の成功は、黒字転換が一番ではないと確信したからです。

良く言えば、私には一人で何ができるかだけに思考をシフトチェンジしました。

その後、運もあって、一時的に黒字転換はしましたが、さらにその後、一番の得意先が倒産したことも影響し、力及ばず廃業へと向かうことになります。

私はもちろんのこと、社員さん達も、それぞれがそれぞれの道へと進むことになります。

50年の会社の歴史と、10年程の私の後継期間は、廃業という形で幕を閉じることになりました。

 

月日が経ち、そんなことも忘れて、私は私で10年が経ち、ご縁に恵まれて、リサイクルショップの経営で上場の経験をさせて頂きました。

私は私の人生を経過していく中、父は父の人生が過ぎ、

上場の報告ができたその年に、父は亡くなりました。

 

葬儀の時、当時の社員さん達の何人かと、そのご家族が参列してくれ、私にご挨拶もしてくれました。

皆さん、年老いたものの、忘れるはずもない社員さん一人一人の顔でしたが、

「坪井商店時代、お世話になった◯◯です。」

と私に頭を下げてくれる人もいました。

言ってみれば、父や私の経営能力のなさで、住み込み時代から長年勤めた職場を追われた立場の方々です。

 

私は、その時、

「あぁ、父は立派に成功したんだな。自分の人生を成功したんだな。

親父はすげぇな。こんなこと、俺にはとてもできない・・・・。」

と思ったものでした。

 

私とは全く違うし、とても理解できないというのが本音だけれど、

でも、人には、人それぞれに「本当の成功」があることを、父に教えられたような気がします。

 

私は、仕事や勉強会の場で多くの経営者の方々とお会いします。

業績アップの相談や悩みや、具体的な解決法は、絶えずと言ってもいいほど聞かれ、聞かされます。

できる範囲ながら、具体的なアドバイスもさせて頂くし、直接入らせて頂いたりもします。

 

しかし、私が一番に重要視しているのは、業績アップする方法や論理ではありません。まして、それをやったかやらないかではありません。

そんなことどうでもいいと言えば、どうでもいいのです。

 

父だけでなく、私も含めて、多くの中小零細・個人の経営者は、

「利益を出したいのでなく、業績を上げたいのではなく、

自分のやりたいようにやって、自分の気に入った方法で、自分の生活スタイルや価値観を変えることなく、

自分の成功定義に基づいて、うまく利益を上げたい。」

のです。

 

逆に言えば、利益や業績アップよりも、自分が優先することがあるから今があるわけで、

ということは、すでに成功は手に入れているとも言えます。

もう、成功しているのです。

 

だから、利益や業績アップに対して、悩むことは本当はないのです。

悩んだつもりをしていたり、悩んだフリをしている自分でいたいのです。

エゲツない言い方かもしれませんが、私の経験上、私はそう思っています。

 

それでも、なお、本当に利益を出したいのですかね?

本当に業績アップしたいのですかね?

自分の現実の行動や、ライフスタイルや、生活習慣や、日常を変えてまで、やってみる気はあるんですかね?

私は、余程に追い詰められるか、切羽詰まるか、誰かに徹底管理されないと、できません。やりません。

そういう自分を知っています。

 

 

だから、私は、本格的に個別のご相談を頂いた時は、お相手が、目の前として欲しがっている具体的方法論よりも先に、

お相手をどれだけ知れるか?に注力します。

「その人の本当の成功とは何か?」

を知る方が、結果として近道だと思うからです。

 

そこを相互理解しない限り、方法論で納得しても、結局のところやりません。

よって、やらない為の時間とコストを使わせるわけにはいかないと思っています。

 

実際に、人を知るということは難しいし、無理でしょう。

そもそも、その本人、一人一人が自覚したり、腹に落ちたり、仮説を立てて進んでみながら、また気づいていくしかないのです。

私はただ質問したり、話を聞いているだけとも言えます。

 

多くの人が言っているように、

「経営やビジネスは『論理』だけではうまく行かない。」

というのは、私も上記の経験上、よく分かるつもりです。

しかし、「論理」でつめきっても、成功を手に入れなかったからこそ、「論理だけ」では経営者の成功は計れないことを知ったとも言えます。

よって、「論理だけ」では無理ということであって、「論理」は必要です。必要ないと全く思いません。

そもそも「論理」を理解していないのに、「論理はいらない」などと言えるわけがないのです。

「論理」を知った上で、「論理は必要ない」と言うのと、

「論理」を知らずして、「論理は必要ない」というのと、全く違うのです。

 

私が関わった人に、どうしても色々な角度から根掘り葉掘り聞いてしまうのは、こういう自分の経験があったからなのかも知れません。

もしかしたら、時にご迷惑かとは思ってはいますが、お許し下さい。

 

でも、誰でもなく、自分自身で、自分と向き合い、しっかりと考えてみるだけの必要と価値はあります。

「利益としての成功」と「自分の人生の成功」の2つと、その接点を。

口で言っていることと、悩んでいたりすることと、

本当に欲しいものは必ずしも一致していません。

経営をしていくにあたり、それを考えること自体、私は大事だと信じています。

 

本当は何が「成功」なんでしょうね。

自分で見つけるしかないのです。

 

本当は何が成功なんでしょうね。
応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ページの先頭へ