「欲しい」なら、先に「捨てる」ことです
「経営上の問題解決」や、「業績不振の回復」「これからの新たな事業構想を考えたい」ということに対して、
打つべき対策の基本バリエーションは、実はそんなに多くありません。
最初は選択肢を広げながら、優先度や得意分野を考慮しながら、
一つ一つ絞り込んで、どの方向で行くのか決めに進んでいくうちはいいのですが、
そこからいざ意思決定や具体的行動まで落とし込もうとすると、その段階で、
「その方法はやりたくない。」
「そんなやり方はしたくない。」
「それは無理だ。」
となったりします。よくある話です。
じゃあ、仕方ないとばかりに、また振り出しに戻して、次の選択肢を出すまで、改めて進んでも、
それも、いざ意思決定して行動するかという段階になると、それも、また気に入らないとなる。
じゃあ、仕方ないとばかりに、さらにまた振り出しに戻して、さらに次の選択肢を出す・・・・、
と、さらにさらに、ドンドンそれを繰り返していくうちに、
要するに、解決するに至る全ての意思決定と行動はしたくない、
と、そもそも「やりたい」と言っていたこのは「やりたくなかった」のだ、となる、まるで漫才みたいになることは往々にしてあります。
まぁ、それが、中小零細個人企業においては、そういうことは普通に起こっているんじゃないか?と、ここ数年で特に思うようになりました。
「今まで、やりたいように、好き放題、好きなようにやってきて」
それで得たい成果を出し続けているなら、何も問題にはなっていないわけで、
でもそんなことできるのは、ごくごく一部の天才だったりするわけで、
少なくとも私は、そんな天才に会ったことはまだないんですね。
ほとんどの人は天才ではないので「好きなようにやってるだけ」では無理なのではないかと思うのですけど・・・。
面倒なのは、適切なやり方と努力をして成果を出している人でも、
「いやいや、大した努力なんてしてなくて、私なんて好きにやってるだけですから。」
と言うことです。
何をもってして「努力」というのかの認識は、人それぞれ違っていて当たり前だということくらい、誰もが知っているのだろうけど、
成果を出している人が「努力なんてしていないよ」というと、その言葉だけを都合良く間に受けて、
「適切な努力」を何もせずして、本当に好きなようにしていても成果が出せると思い込んでしまう人は、思ったより多いんじゃないか?と思っています。
そもそもおかしいよな、と思うのは、
「好きなようにやってるから無理」なのだから、「適切なやり方と行動」を勉強しようと思うまではいいけど、
いざ「適切なやり方と行動」でやろうとすると「それは嫌だ、やりたくない」となるなら、
「今まで通り自分の好きなようにやる」と言ってるのと同じなわけで、
逆説的に言うなら
「私は欲しい成果など欲しくない。」
と、訳の分からないことを言ってるとしか思えなくて、それは、一体どうしたいんでしょうとなるわけです。
じゃあどうしたらいいんだよ、ということで、切り口を変えてみます。
多くの人と話していると、「変化」することの重要性はほとんどの人が知っています。
「変わらなきゃ。」
「いかに変化できるかが大事なんだよ。」
それらは日常会話でよく出てくるし、宣言する人も多く見ます。
でも、それは容易いことではないと、私は思っています。
それは私自身が、「自分で習慣を変える」ことができない人間だからです。
「行動を変える」というのは、一日とか一週間とか一年とか三年とか、一定期間に渡り、
それまでに「慣れきった習慣のうちのいくつかをやめて、慣れていない新しいことのいくつかを始めて、かつ期間中ずっと続ける」ということです。
例えば、私で言うなら、「タバコを吸うのをやめる」だけでも相当なストレスなのに、
やめるのみならず、「タバコを吸うのをやめて、その時間をマラソンに当てる。それを一年間やり続ける。」というくらいのイメージです。
週に3回、友達と飲みに行く習慣がある人は、それをやめて、型にはめられたやりたくもない何かを3年間やらされるということになるだろうし、
毎日スマホでゲームするのが習慣的は楽しみになってる人が、ブログを毎日書き続けるのを一年間やるということになるだろうし、
そんなとんでもないストレスがかかるようなこと、ちょっと決意した程度でできますかね?
私にはとてもできない。
そんなこと、私、自発的に、かつ、自分一人でなんて絶対にできませんでした。
過去、何度、決意したり決断したり宣言したに関わらず、何一つできなかったことか。
だから、ちょっとやそっと勉強したり、知識を得た程度で、自分は、自発的に「変化」できない人だと自覚しているということです。
私が変化した時があるとしたら、
① 余程の変化せざるを得ない状況に追い込まれた時
② 変化せざるを得ないほどに強制管理される場に身を置いた時
のどちらかです。
自分で変化すると言っている段階は、正確にいうと「自分で変化できる範囲で変化する」ということですから、
それはどこまでいっても「自分の範囲のこと」なので、「変化」にはなっていません。
一人で「変化」することは無理です。
まずそこからスタートしないと「なんかうまいこといい方法見つからないかなぁ。」と増やすことを探し続けます。
仮に見つけても、肝心のやるかやらないかの段階になって、やらないから、いつまで経っても、次の欲しいものが手に入らないのです。
そういう意味から言うと、いざ「行動」の意思決定をしなきゃいけない段階になると、
「その行動はしたくない」となるのは、
「変化したくない」と言っているのと同じで、
「変化したくない」というのは、
「今手に入ってる何かを手放したくない、やめたくない」ということと同じになります。
「行動の意思決定」というのは、実は「やることを増やす」のではなくて、
「今やっている何かをやめる」「今手に入っている何かを捨てる」ということなのですね。
ということは、経営や仕事における問題を解決しよう、あるいは、今よりもより良くなろう、とするならば、
「仕事で何をしたらいいのか?」よりも先に、
「プライベートや自由な時間の何をやめるか?」の「何」を決めるのか?ということになります。
そうでないと、冒頭に書いた漫才のような状況を繰り返す確率が増えます。
経営相談や業績アップのご依頼を頂く時に、私は急いだ方がいいと判断した時に、
「まず何を捨てますか?やめますか?」
と聞くことがあります。
「新しくやること」を聞きに来たのにポカンとされる時もありますが、
経験上、それが最も効率的で、時間もコストも使わずに進めることだと思っているからです。
「今よりも何かを得たい」という欲求が出た時、
「今持っている何を捨てるか」と同時に考えみるのは、有効な考え方の一つです。
私は経験上そう思っています。
それも嫌なら、運良くか悪くか、どうしようもない状況になれば、それまでの人生や生活から「変化」せざるを得ない時は来るので、何もせずに、ただ待ってればいいのです。
それも一つの方法でしょう。
「行動」や「変化」というのは、生きている間に、いつそれをやるかだけの話かも知れませんね。
そんなことない方が幸せなのか、あった方が幸せなのか、
私にはまだよく分かっていませんが。