「努力」は具体化しないと分からないのです
「努力をしたか?」
と複数名に対して、聞けば、
「しました。」と言う人も、「していません。」という言う人もいるでしょう。
ところが、同じ相手に、
「100回やったか?」
と聞いてみると、「努力したか?」の問いに対して「しました。」「していません。」と答えた時の人数とは変わってきます。
大きな成果を出した人も、「私は努力をしました。」と言う人もいれば、「努力なんて全然していません。」と言うもいます。
実際に何をどれだけしているのか?という具体的な行動や、
一定期間内の何にどれだけ時間を費やしているのかを聞かないと、
何をもってして努力と認識していいのか、よく分からないから、具体的な思考や行動としての努力を認識できません。
相手が努力と言っていても、こちらは努力してないなと認識する時もあるし、
逆に、相手が努力していないと言っても、こちらからすると凄まじい努力をしていると感じる時もあるのです。
「努力」というのは、その人の認識や意識の問題になってくるので、言葉だけではよく分かりません。
私から見て成果を出している人によくよく話を聞いたり、あるいは可能な限り観察していると、
24時間の中で一定時間を成果に対する努力に使い、そしてそれを継続しています。
ただ時間を使うのでなく、適切な時間の使い方をしていて、
あぁ、そこまでやらないと成果など出ないし、努力などと言えないのだな、と思い知らされることが多く、
グウタラな私からすると、簡単に「努力しています。」などと言えないのだな、と思い知らされます。
皮肉なことに、努力というものを具体的にすればするほど、努力が遠のくような感覚になることがあります。
だって、努力の方法が分かったところで、そんなことまではできないとなって、結局やらないのですから(苦笑)。
もし、成し遂げたい何かがあるのら、それを達成している人の具体的行動行為を真似てみることからがスタートなのでしょうね。
ということは、そういう人がいるかどうか、実際に会って話が聞けるかどうか、一緒にいられるかどうか、になってくるでしょうね。
そういう人がいたら幸せと言えます。
というようなことを、カップからウニュっと抜け出しているような画像を撮ってもらうのに、
10回撮り直してもらう努力をしながら思うのでした(苦笑)。