いま立っている場所は安全圏かギリギリか?
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荒々しい日本海の大波を背景に、
どんな荒波にも果敢に立ち向かう男を演じたかったのですが、
冷たい波しぶきが被るのにビビって、かなり手前でしかポーズができませんでした(笑)。
何だかんだで、安全圏でなんかやってるわけですね。
こういう場所でアホポーズ取ると、その自覚程度は持てるメリットはあるような気がします(笑)。
安全圏の時に、口で言っていることは、なんとでも言えるといえば言えるわけで、何だかんだ言っていても、
「本当に追い詰められた時」と、
「安全圏でいる時」とでは、
実際にやり出すことは違うわけで、
もし、本当にギリギリのところにいたら、こんなポーズをとる余裕は、とてもないでしょうから(苦笑)。
本当に崖っぷちギリギリのとこまで行って、こういうアホポーズがとれたら大したもんでしょうが(笑)、
私にはそこまでのリスクを背負うだけの根性はありません(苦笑)。
それは、恐らく、私なりにギリギリに追い込まれた過去があるという自覚があって、
その当時の経験と感情に対する恐怖があるからだとも思います。
どこまで行ったらギリギリなのかが感覚値で分かるには、経験はした方がいいとも言えます。
ギリギリになったからギリギリを認識するのではなく、ギリギリになる予兆段階で認識できるかどうかの感覚値は、経験上大事だと思うからです。
ただ、できればそんなギリギリの経験は誰にもして欲しくないという想いは、常に同居しています。
本当にギリギリになる前に、ギリギリになったら何をするのか?を設定して動かないといけないんだろうな、
とは一応頭では思ってはいますが、それがなかなかできなかったりもします(苦笑)。
大なり小なり、ギリギリを実感した経験は、過去何度かある自覚はありますが、
その時は、なりふり構わず何かやって、
「もう二度とこんな思いはしないようにしよう。」
と硬く決意するものの、ちょっと余裕ができたり、安全圏を確保できたりすると、アホはすぐ忘れてしまうわけだから(苦笑)、
学習能力がないとも言えるし、口で言うほど変わらんのが人間なんだろうなとも思います。
頭で分かっているだけではなくて、実際に準備するとなると、
準備はどこまで行っても準備なわけだから、その準備が功を奏するかどうかは、
ビジネスの世界では、やってみないことには分かりません。
私の経験則からいえば、準備そのものに一定時間かかって、さらに成果につながるかどうかを実験してみないと分からないわけで、
今やっていることと、準備することが最低2つくらいは欲しいイメージです。
そうすると、一般的には、今の通常の仕事が終わってからの時間を何に使うのか?ということになりますから、
そこに「ねばならない」が入り込むのは相当キツイのではないかと思うけです。
となると、ストレスなく準備ができる状態が最も好ましいわけで、
そこにこそ「好き」「趣味」「得意」のキーワードが適応されるのだろうというのが私の結論です。
何がギリギリの状態なのかは、年齢や環境によっても違ってくるとは思いますが、
ギリギリになるスピードが、以前より速くなっているな、というのは、私程度でも実感してきています。
行けると思っていたビジネス構想に対して、思ったよりも、速いスピードで後ろから波がやってくる感じですかね?
一の手がギリギリになってきたので、二の手で行こうとしたら、それももうギリギリになってたみたいなことないですかね?(笑)
そういう危機感は感じてはいます。
今の段階で何も準備していない人には、
「今からでも遅くはないよ。」
としか言いようがないし、実際に始めるしかないでしょう。
それでも、自分で具体的に考えようともしない人は、私はお手上げです。
私は私で、次の準備の仮説を立てているところですが、
そういう話があれこれできる人との環境はつくりたいところですね。
私は安全圏が大好きなので(笑)、
こういうこを感じられるように、今年も積極的にこういう場所に行きたいと思っているところです(笑)。