見果てぬ夢を持てたら幸せとも言えますね
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ある経営者勉強会に参加した頃に、
「気の遠くなるような目標を持て」
と教えられたことがあります。
初めて聞いたのは、まだ30歳の頃で、「なんでそんなことせんといかんのか?」と理解できずにいながらも、
それでも、まぁ研修なのだからと、それなりに本気で無理して絞り出すようにやり始めました。
周りの人達を見ると、当たり前のようにポンポンと数値目標を書いたり、○○で日本一になるとか、定量目標を書いていたりして、
スゴイなぁと思いながらも、それをやって、この人それができたとして一体何が楽しいんだろう?と思ったりもしました。
どんなに数値目標を書いても、数値そのものには何の喜びも楽しみも見出せない私は、
その目標が叶ったとしたら、自分は何が嬉しくて楽しいのか?周りの人達は何が嬉しくて楽しいのか?を考えました。
目標が達成された時に、自分と周りの人達にどんな映像が巻き起こっているのかを克明に妄想しては、
そこにワクワクしたりドキドキするような状態を書き出しました。
書きながら、その状態が実現できるなら、必ずしもその目標数値ができてなくてもいいじゃないか?と思い始め、
余計に数値目標に意味を感じなくなる自分に陥るに至り(苦笑)、こんな自分でえぇんかい?と思ったりしました(笑)。
それ以来、数値目標からビジョンを考えて、創ったビジョンから逆算してもう一度、数値目標を考え直すようになりました。
それから月日が経ち、今になりました。
気がつくと、当時書いていた目標やビジョンのいくつかは実現できていました。
そして、改めて気づくことがありました。
実現できた夢は、すでに夢ではなく現実であり、現実は大して面白くないということです。
言い方が難しいのですが、夢や目標が実現できた今が楽しいと言えば楽しいといえるのですが、
夢や目標がたくさんあって、必死で追いかけていた時の方が楽しいと言えば楽しいという言い方もあるということです。
何かを実現できている今が楽しいと感じるのか、
まだ実現できていない何かを追いかけている時が楽しいと感じるのか、
それもまぁ人それぞれでしょうが、私は適度に両方がないと、生きた心地がしないというワガママなタイプなのだと思います(苦笑)。
それらを振り返りながら、ここにきて、やっと
「気の遠くなるような目標を持て」
という当時の言葉は、その方が良いとか立派なのではなく、その方が楽しくて面白い人生になるからなんだろうなと、私なりに、やっと(苦笑)その意味を解釈するように至ったということでしょう。
叶った夢は、夢でなくなります。
夢のある人生が、楽しくて面白い人生だとするなら、
人生を賭けても叶わないほどの気の遠くなるような夢があった方が、
人生が楽しくて面白く、
そして、それが「生きている」ということになるとも言えるのでしょう。
問題は、歳を取るほどに比例してなくなっていく、本音の本気でやってみたいと思えるような、バカげた夢や目標やビジョンがあるかになってきますね。
私は私で、あと少し、まぁ最後になるでしょうが、もがいてみたいと思います。