「極み」とはアホの連続性なのか?(笑)
1980年代、私がまだ大学生だったころ、東京の喧騒にまみれながら、
「スティーブ・マックイーン 」の映画や、
「アメリカン・グラフティ」「グリース」をはじめとするアメリカ映画に影響されて、
本番のアメリカ衣料のカッコ良さに憧れては、
レザージャケット・ジーンズ・スニーカーやブーツと、コスプレのごとく、その世界に、のめり込んでいきます。
巷は、DCブランド全盛期で、いかにもファッションというものは、「=オシャレ=モテる」の構図でしたが、
私は、それよりも、安く買えるアメリカ古着や、映画に出てくるようなバリバリのアメリカ衣料をあさりに、上野・原宿・渋谷を毎日のように徘徊します。
(故にモテなかったのか?という言い訳にも使える(笑)。)
中でも、「スタジャン」
(スタジアム・ジャンパーの略だけど、そもそもこれは和製英語)
のシニール(ワッペン)ベタベタの、いかにもバタ臭さ満載の魅力は、私にとっては、とても輝いて見えて、際立っていました。
故に、当時の私の夢は、アメリカのスポーツ選手の青春が一杯詰まったような、世界中のスタジャンを全部集めることでした(笑)。
まぁ、そんなアホなことは本気では考えていなかっただろうし、
こんな夢は、自分が50歳過ぎた大人になった時には、若き日の新鮮でアホな思い出として懐かしむんだろうな、と思っていましたが・・・・・・・、
60歳に手が届きそうな今、同じようにアホなことを嬉々として40年近くコツコツと続けているアホ丸出しの自分がいました(笑)。
あなたがずっと続けていることは何ですか?と聞かれたときに、まともなことは何一つありませんが、
こういうアホ丸出しの象徴のようなことは、こうしてずっと続けてしまっているんだな、と、
今でもスタジャンを見ると心トキメク自分に思います(苦笑)。
「極み」とは何か?を考えた時、
それは、一般の物差しではとても測れないような、
はたから見ればアホ丸出しとしか思えないようなこと、ではないのか?
と、他人には思うことはあって(笑)、
私にとっては、もしかしたら、こういうことなのかも知れない、と肯定的に捉えることにします(笑)。
あぁ、世界中の当時のスタジャンが欲しい(笑)。