独自性と普遍性は相関関係にあると思うのです
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- 坪井式ビジネス論
私は、ブっ飛んでる人(私の基準ながら)を見てると、やっぱり面白いし、惹きつけられるし、新しい価値や世の中を創ってきている人が多いから、
そういう人が周りにいると、強烈な興味を持って知りたくなります。
中小・零細・個人ビジネスにおいては、どこで独自性を出すかというのは重要で、それは言い換えれば、ブっ飛んだ部分をどこにするか?ということと同じだと思っています。
ただし、ブっ飛び過ぎてると、個人においては、社会不適合の印象になって、多くの人が近寄りづらくなるし、あるいは変人とか変態というレッテルを貼られて相手にされなくなるし、
特にビジネスにおいては、一定の共感者が必要なわけで、一定数に満たないと、収益の面で成立しない、というジレンマが付きまといます。
仮に、ブっ飛んでいるとして、受け入れられるとしたら、今度は、受け入れられているのだから、それが時間の経緯と共に普通になってくるわけで、最初はブっ飛んでいても、いつしかブっ飛ばないことになるわけです。
市場における独自性と普遍性というのは、どっちがどっちというわけではなくて、互いに行ったり来たりするものであるというのが正しい、と私は思うのですね。
だから、今、ブっ飛んでるから、私はブっ飛んでいる人である、という自覚は大変危険で、
それは、今、独自性で収益を上げているビジネスでも、やはり同様なのだと思います。
私は、アホだから、過去に何度も、今度こそ私は誰もやったことのないカテゴリーを作ったと勘違いしたり、
ちょっと経験して分かったつもりになって、15年は持つとタカをくくってあとは走ればいいだけと思っていたカテゴリーが、10年どころか8年くらいで終わっていて、慌てるというようなことをしてきました。
ブっ飛び続けながらも、世の中に受け入れられるにはどうしたらいいのか?
と、そこで初めて悩みながら、仮説と実験の数を増やせる人というのが、ビジネスにおけるブっ飛んだ人ということができるのだと思っています。
ブっ飛ぶというのは、他から見たら、強烈なバランスの悪さです。
何かを、一定の成果が上がるまで徹底的にやり切ったかどうかだから、
徹底的にやるということは、それ以外はしない、というくらいまで優先度を上げて、他から見たら異常とも思えるほどやるということです。
それが、勉強なのか、スポーツなのか、音楽なのか、芸術なのか、業績なのか、ボランティアなのか、勉強会なのかは知らないけれど、
一つの分野で、何をどこまでやったら、周りが認めるのか?認め始めるのか?心が動かされるのか?空気が変わるのか?というラインやハードルを体感で知っているかどうか?
というのは、とても大きな要素に思えて仕方ありません。
ところが、そんな人はゴロゴロとはいないわけで、私のような凡人はどうしたらいいか?ということになります。
私が価値創造において、いま最も興味があるのが、このあたりなわけで、
私なりの仮説に基づいて実験をしてみたいと思っています。
実験だから、外す確率の方が高いわけですが(笑)、よしんば、そこでまた何か気づいたら、報告できたらと思っているところです。