「『好き』を仕事にする」という私なりの一つの回答

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私の記憶の中で、生まれて一番最初に「大きくなったら、こうなりたい。」と思ったのはウルトラマンでした。

だから、毎日のようにテレビや絵本でウルトラマンを観察して、スペシュウム光線が出せるようになる練習や、マッハで飛べるようになる為に、階段を一段づつあげてジャンプしながら、いつかは飛べるようになる練習をしていました。

ある日、「ウルトラマンは本当に大きいんじゃなくて、人間と同じ大きさで、大きく見えるのは全部模型なんだぞ。だからウルトラマンは本物じゃないんだぞ。」と、一緒に水野神社で遊んでいる少し大きなお兄さんに教えられました。

お兄さんだから逆らえなくて、「うん、そうだよね。ボクだって知ってるんだ。ホントはウソなんだよね。」と大人びて話を合わせながら、でも、どうしても信じたくなくて、そういう目で改めてテレビや写真を見てみたら、確かにそれは「造作物」の世界だと知らされました。

大好きだけど、どんなに練習してもなれない偽物のウルトラマン・・・・、大きくないのに大きいから偽物なんだ・・・・。

「大きくなったらなりたかったウルトラマン」には、現実にはなれませんでした。

 

大きいのは偽物だけど、等身大の仮面ライダーは、私にとってはリアルで、頑張って練習すればなれると思いました。

毎日のように、「変身!」ポーズを練習して、階段訓練はマッハで飛べる練習から「ライダーキック」の練習に代わりました。

ウルトラマンや仮面ライダーを観察しながら、絵を描いていたので、絵本を見ながら「どうしたらこんなに上手に描けるようになるんだろう?」と頑張ってマネして描きました。

そうこうしているうちに絵を描くことも大好きになって、ウルトラマンや仮面ライダーがダメだった時は「マンガ家になろう」と密かに決めて、練習しては親や周りの人に見てもらっていました。

坪井秀樹君も、少しづつ大きくなっていって、色んなことを知り始めて、仮面ライダーも本当に変身なんてしてなくて、着ぐるみの偽物だと気づきました。

「大人になったらなりたかった仮面ライダー」には現実にはなれませんでした。

 

「造りもの」ではない、生身の人間のアントニオ猪木やジャイアント馬場は、リアルの世界でのヒーローでした。着ぐるみも来ていないし(覆面レスラーはいた(笑))、なにしろ裸だし(パンツとシューズは履いてるけど(笑))、汗も出ているし、ちゃんと本物の血(一部には「?」という説あり(苦笑))も出ている。

少年になっていた坪井秀樹君は、それなりに色んなことが分かり始めていて、血が出たり、痛いのはイヤだったし、同じ人間でもプロレスラーはあまりに遠い超人的存在だったので、プロレスラーにはなれないと思っていました。

でも、毎日、プロレスラーに会えて、プロレスラーの試合を皆に伝えていけるアナウンサーなら頑張ればなれると思いました。

ある日、母親にそれを言ったら、「アナウンサーなら頭がよくないとなれないから、特に国語の勉強や、皆の前で元気にお話ができて、皆が喜ぶようにならないといけないね。」と台所で適当に言われ、なるほど、と思って、素直に国語の勉強すればいいものの、大人向けのプロレス雑誌を一言一句、一所懸命読み込んで、分からない漢字を調べたり、書いてある内容を理解できるように訓練しました。

親が単に勉強させようとした意図はまるで分かっていませんでした(笑)。だから、プロレス雑誌ばかり読んで、絵を描いている毎日で、親が見かねて「そんなことばっかりやってないで勉強しなさい!」と怒られると「ちゃんと勉強しているのに・・・・。」と不思議でなりませんでした(苦笑)。

小学校5年生の授業参観の日、その日は「将来なりたい職業」というテーマで、「なりたい職業」を言ってから自分の作文を読む、という内容でした。

クラスの皆が次々と発表していく中で、皆があまりに立派に発表をしていくので私はなんだか気が引けて、いつまでも手を上げないので、先生が「坪井君は?」と指してくれました。

開口一番、「プロレスのアナウンサーになりたい」(「アナウンサー」ではなく「プロレスの実況中継アナウンサー」でなければ意味がなかった(笑))と発表した途端、親も含めて教室中が大爆笑になって、先生も苦笑いしながら、「はい、次~。」となって、私は題名を言っただけで作文を読むことなく進んでしまいました(笑)。

でも、この時の気持ちは、悲しいとか恥ずかしいのではなくて、「元気よく伝えて、皆を喜ばせる。」ことができた嬉しさや喜びで一杯でした(笑)。

この日、母親は来ておらず、それだけは「あぁ来てなくて良かった。」と思っていました(苦笑)。親が望む答えではないことや、その作文は親にとっては恥ずかしいんじゃないか?とは分かっていたのだろうと思います(笑)。

「人前で何かを発表して喜んでもらう」ことに嬉しさを覚えていた私は、放課中とか給食休憩とか、ことあるごとに全力を尽くしてアホなことやって、よくあったクラスの「クリスマス会」とか「お別れ方」では、一世一代の場だとばかりに何度も考えて練習しては、その場に立ちました。その全てが、私にとって練習であり、自発でした。

反応が良かった時も、反応が悪かった時も、あそこはこうすれば良かった、あれを言い忘れたと、一人反省会をしては次回に備えていました(笑)。

そんなことばかりしているうちに、人気者にはなっていって、やりたいなんて思っていない学級委員や議長や、そんな役が選挙で決まっては降りかかってきました。

中学校に至っては、無理やり立候補させられて、一年生で生徒会副会長、二年生で生徒会長をやらされていました。

大人達から褒められたり誇らしげに思われましたが、でも、その活動は私にとっては苦痛でしかありませんでした(苦笑)。

私の通っていた中学校は、一言で言うと悪い学校(当時は)で様々な問題が勃発していて、当時から東大合格を見込まれる優秀な子から、地元では有名なワルと言われる子まで、幅広い陣容でした。

なぜやるのかの意図も自分になければ、今の言葉でいうビジョンもなければ、やっている意味も理解できていない。でも、その立場や責任だけは覆いかぶさってきて、先生に問われ、様々な個性や価値観の生徒に問われ、さらされ、批判を受け、虐めてくる奴もいる・・・・、一所懸命はやっていたけれど、やればやるほど苦痛以外の何物でもない・・・・、そんな感じでした。

ただ、必然的に「人前に立って皆に何かを伝える」という場面は圧倒的に多くなりました。「伝えたいこと」から「伝えねばならない」ことは増えていきました。そういう環境の中で「どう伝えるか」は恐らく相当鍛えられました。自発的な練習ではなく、「ねばならない」中で鍛えられたということでしょうか・・・・。

 

月日は経って・・・・・、

 大学生になった頃、私の憧れは「スティーブ・マックイーン」と「ジェームス・ディーン」でした。

マックイーンもディーンも大人になってから「なれるもの」ではないことは知っていました。それは、ウルトラマン・仮面ライダーに限らず、自分は他人や他のモノになれるわけではないことは、既に十分理解していました。

私はそれを「憧れ」と定義していました。

「憧れ」に近づきたくて、映画のシーンに出てきたような、古着の革ジャンやジーンズを買っては着ていました。

大学のプロレス研究会に入って、学生プロレスをやっていて、学際や色んなイベントで、アホ・プロレスラーを演じ「人を喜ばせたい」をやりながら、実況中継をしながら「人を喜ばせたい」もしていました。プロレス同人誌の会報でアホな投稿もしていて、それは文章も書く練習にもなっていました。

「大人になったらなりたかったもの」は、その通りに「なれてはいない」けれど、少しは「なれているような気持ち」になっていました。

大学4年生の頃、あるイベントで、学生プロレスの実況をやっていたら、主催の某放送局の目に留まって、「ウチのアナウンサー試験を受けてみないか?」と誘ってもらいました。

大喜びで受けたものの見事玉砕して、でもプロから認められたのだから可能性はあると思って、東京のテレビ局関係のアナウンサー試験は全部受けました。

まぁ、そんな甘いもんじゃなく全部落ちまくって、素人が「好き」でやってる程度じゃ社会では通用しないんだな、と突きつけられました。

 

その後、私はアパレルメーカーに就職し社会に出ました。

22歳の「大人」になっていました。

アパレルメーカーの営業をし、家業の傘屋に戻って息子=専務をやり、廃業してからリサイクルショップの社長や副社長をやりました。

資本主義社会の中の、資本家・経営者・労働者・消費者・・・・、様々な立場で「ビジネス」の場を経験させて頂きました。

気がつけば、子供の頃、「大人になったらなりたかったもの」には、実際に大人になってから何にもなれていませんでした。

社会に出てからも、子供の頃から練習してきた「人前で何かを伝え喜んでもらう」こと・・・・・・・、結婚式の司会から、展示会や懇親会の司会進行、社内セミナーや会社説明会、人前で喋り、経営者勉強会の場で発表をし、それらを、分かりやすく伝えるために絵を描き、POPにイラストを描き・・・・・・、お金がもらえなくても、たくさんの場面でたくさんの「大人になったらやりたかったことのようなこと」はしていました。

でも、それらは「子供の頃かのずっとずっとやってきた練習は何だったのか?練習してきたことで、社会の中で生きているわけではないではないか?」としいうジレンマはいつもいつも持っていました・・・・・。社会に出てから25年近くの間、そう思うようなことは、色んな場面で数えきれない程ありました。

 

月日が経って・・・・・、そして今・・・・・、次の人生をどうしていくかを模索しながら、起業すらまだできていない中で・・・・・・、フと気がつけば、私は、相も変わらず、人前で喋っている。

時に、「講演」や「セミナー」や「研修」という形式だったり、時に「豪華な会場」や「会議室」だったり「セミナールーム」だったり「個人サロン」や「店舗」であったり、そしてあの「彼ら」がたくさんいる「このアホ丸出し事務所」だったり・・・・・・。

 

ビジネスという大枠のテーマに則ってやっている。

講演スライドの中には、ウルトラマンが出てくる。仮面ライダーが出てくる。猪木や馬場も出てくる。マックーインもディーンもやってくる。ヒロインのマリリン・モンローも、オードリー・ヘプバーンも出てきてくれる。

まるで映画みたいな、一つの物語みたいにして伝えたいと思ってやっている。

講演内容の本質部分は、彼らから学んだことがたくさんたくさん出てくる。

スライドの為に、一杯一杯自分で絵を描いている。イラストをたくさん使って分かりやすく伝えようとしている。

即興の「実況中継」もやらかしている。

マックイーンやディーンみたいに革ジャンやジーンズや、スーツを着てやっている。

ウルトラマンはスペシウム光線を出して飛んでいる。仮面ライダーは変身してライダーキックをしている。

そして・・・・・、最も大きな違いは、「人様に何かを伝え、喜んで頂く」ことを、「お金」を頂いてやっている。

 

今、気づく。

「大人になってから」のそれを、「50歳になる大人になってから」今、やっていたのだと・・・・。

私は、「大人になったらなりたかった者」を忘れてはいなかったのだと・・・・。

子供の頃の自分に嘘はついていなかったのだ。

5歳の坪井秀樹君に、「ちゃんとやってるからね。」言ってあげられる。

12歳の坪井少年に「俺はプロレスの実況中継みたいに喋っているぞ。」と誇れる。

社会に出て「大人」のはずだった坪井に、「それも、この為の練習だったんだよ。お前は大人のつもりだったけど、まだ大人じゃなかっただけなんだよ。」と諭してあげられる。

ウルトラマンも仮面ライダーも、猪木も馬場も、マックイーンもディーンも、ちゃんと、ずっとずっと私の中にいてくれた。

あの時、一銭の金にもならなかったと思い込んでた「練習」は、いまこうして、ちゃんと役に立っている。

ちゃんと「練習」していた。今の「練習」を、私は子供の頃からずっとずっと怠けずちゃんとしていた。

 

色んなことを振り返ると、そう思うのです。

そして・・・・・・、

ということは、今やっていることは、きっとまだ見ぬ未来の何かの「練習」だということだと思うのです。

例えば、このブログは、今は直接、お金は生みません。FBもツイッターも、インスタグラムも、毎日発信する時に、やっぱり面倒だと思うこともたくさんあるし、些細なことで気持ちが折れてしまうことなんてたくさんある。

でも、「意味など大してなくても、やりたいからやってるんだよ。」と純粋に思えているうちは、私はやり続けるのだと思っています。

なぜなら、何より誰より、「坪井秀樹君」の頃から「今の私」に至るまでが、証明してくれているのですから。

「誰を信じるか?」と問われれば、私は最後の最後は「自分」を信じます。それくらいはしましょうよ(笑)。

 

享年50歳の私のヒーローの一人・ハリウッドスターの「スティーブ・マックイーン」は不遇で貧乏な生い立ちだったらしく、悪事を繰り返し少年院に入り、数々の職業を経験しながら、俳優の道につく。リアリティを追求するその演技を追求し、世界的に有名になって成功し、巨額の富を手に入れる。そんな、ある時のあるインタヴューにこんな感じで答えている。

「私の決して恵まれなかった人生経験の全ては、その一つ一つが、今のこの仕事の為にあったと言っていい。今のこの仕事の為にそれら全てはあってくれたのだ。だから感謝しているのさ。」(記憶程度なので、正確には違っているだろうけど、大体こんな感じでご容赦を。)

どの役も迫真の演技とリアリティさを感じるマックイーンの演技から、演技を越えた人生とも言える何かを感じているファンは多いことかと思います。私もその一人です。

私も今年50歳になる今、マックイーンにはなれないけれど、マックイーンのそれは生きているのだと思うのです。

 

「『好き』を仕事にする」という言葉を私はよく使います。今の時代、それを標榜する人は多いと思います。

しかし、その捉え方は人によって違ってくるし、違って当然。「好き」と一言に言っても、人によって様々なバリエーションがあります。

私が「『好き』を仕事にしよう。」と言っている「好き」とは何か?の私なりの一つの答えがここにあります。

 

マックイーンよりも長生きしそうな予測をしている今、今のこの何かの為の練習は、未来のまだ見ぬ自分に何をもたらせてくれるのか・・・・・・。上手くいくのか行かないのか、それは分からないけれど、取りあえず、とても楽しみにして生きています。

あの頃の「なりたかった大人」はちゃんと生きている。
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