何を行動していいのか分からなければ取り敢えず丸飲みしてみる(笑)
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何かの課題に対して、あれやこれや考えて、一つの方法をやってみようとする、とします。
そうすると、やってみようとしたことに対するリスクや、デメリットというのは必ず出てきて、
「それをやったら、このリスクがあるから・・・。」
と足踏みすることは誰でもあるでしょう。
そういう時は、あれやこれや考えることや、情報を取ることが足らないのだから、さらに、あれやこれや考えた方がいいと私は思います。
「考えてばかりで行動を起こさないのは悪い」というのはよく言われますが、
人は、まず先に脳で考えてから、脳が行動を指示するようにできていますから、時系列は置いといて、「考え」が先で「行動」が後なのです。
「考えてばかりで行動を起こさない」のが悪いのではなく、「行動を起こすまでよく考えない」のが悪いのだと私は思っています。
考えて考えて、時間をかけて考えて、「これ以上考えいても何も起こらない。考えていてもしかたない、よし、動いてみよう。」と思えるまで考えていないのです。
考えている時間は何も動きませんし、人からは見えません。
対して、行動は人から見て客観的に分かります。
だから、「行動せよ」というのは結論において正しいと思うし、言いやすいのだとは思いますが、
行動している人というのは、行動だけしているのではなくて、考えて行動している人なのだから、目には見えなくてもちゃんと考えているのです。
考えている人は、考えていることが重要なのではなくて、行動することが大事だと分かっているので、「考えている」と多くは言いません。
「行動している。」という事実だけを多く残します。
ということは、行動している人というのは、「考えて行動する」ことのサイクルが速いのだとも言えるのです。
サイクルを速くするには、どうしたらいいかというと、一定時間に「考えて行動する量」を増やすしかありません。
行動する人というのは、何も考えずにただ行動だけしているのではなくて、「考えて行動する」という量が圧倒的に多い人のことを言うのだろう、と思っています。
自分で考えることをせずに正解を人に求める人は、仮に有効な打開策を提示されても、二言目には、
「でも、あれがあるからできない、それをやったらこれがこうなるからできない。」
と、結局は行動の一手を起こそうとしません。
本を読んでも、セミナーを受けても、アドバイスほ乞うても、やるかやらないかを、自分で考えない人は、行動しません。
行動しない人というのは、「行動しない」のではなくて、「行動に至るまで考えない」という方が正しいのだ、と私は定義しています。
何をやるにしても、何かしらのリスクは必ずつきまとうのですから、何かをやったら、リスクがあるのは当然です。
行動するというのは、何らかのリスクを負うということと同義です。
考えられるだけのリスクを想定して、それでも「やる」というのが、「腹をくくる」とか「覚悟する」という事なのだと私は思っています。
その上で、「やる」となったら・・・・・・、
あとはもう「丸飲み」するしかありません。
ここまで書いといて何ですが(苦笑)、「考え」というのには限界があって、どんなに考えたところで、実際にゆってみると、
「想定するメリット・リスク」と「想定しなかったメリット・リスク」の四つが必ず出てきます。
それを実際に知るということが、「体験」とか「経験」と言うのだと思うし、積み重ねることで得たことが「経験値」とか「実力」と言われるのだと思うのです。
勉強会やセミナーで、受けるはいいけど、選り好みする人はどこにでもいます。
でも、「受ける」ということは、それまでの自分とは違う何らかの「考え」を受けるということなのだから、
少なくとも受けている期間だけは、つべこべ言わずに「丸飲み」してやってみるというのを、私は正しいと思うのは、こういう考えからです。
全部丸飲みしてみて、それで消化できないものがあれば、後から口が出せばいいのです。
そうしながら、段々と自分の考えが明確になってくるものだと思うのです。
①まず自分で考える。行動してみる。
②それで何を行動していいのか分からなければ、本やセミナーで勉強したり、人に聞いたりして、自分で考える。行動してみる。
③それでも何を行動していいのか分からなければ、勉強したり人に言われたことを、選り好みせずに「丸飲み」して行動してみる。
その「行動パターン」の組み合わせで、「経験値」や「実力」というものは付いてくるのではないかと思うのです。
てなことを、以前撮った、スケート選手の銅像を丸飲みしようと試みた画像を見ながら、
突発的に何か思いつくままに動くのではなくて、ちゃんと考えてから行動できる人になりたいと思いながら、思うのでした(苦笑)。