「言葉」に価値は宿る
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- 坪井式ビジネス論
人の「言葉」というのをどう捉えるか?というのは、私にとってはとても重要で、人が使った「言葉」に対して、出した「言葉」そのものの意味よりも、その「言葉」を出すに至る心理や心情や背景をできるだけ汲もうと心掛けてはいるものの、でも最後の最後はやっぱり出した「言葉」で、その人に対する認識や判断をしている自分に気づきます。
「言葉」は単なる伝達機能の一つという側面を訴える人もいて、それは一つかも知れませんが、地球上のあらゆる生物の中で、人だけが持っている機能の一つに「言葉」があるわけで、「人」が「人間」となりうる最も大きな要素は「言葉」が使えるかどうかとも言えます。
人の心の中や脳の中がどうあれ、それは外側から見ることができません。
いつもフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションが取れている間柄なら、表情や目の動きや態度や仕草によって、「言葉」以外の情報で、意向や真意を察することや理解することはできるかも知れませんが、ここまでSNSによるコミュニケーションや情報伝達・共有が普遍化してくると、少なくとも今までよりも「言語」「言語」による発信力が重要かつ必要になってくると実感しています。
豊かで楽しい人生や、ビジネスの成功に対しても、磨かねばならないスキルは、益々大きく変わってくると予想しています。
「言葉ほど便利で、言葉ほど不便なものはない。」という私にとっての名言がありますが、その捉え方の広さや深さすら変わってきていると思うのです。
どんなに正しくて美しい心を持っていようと言葉の使い方や、発信してしまったが故にアホに思われたり(苦笑)、実はどんなにアホでも言葉の伝え方で大きく人生が変わるほどの価値が生まれてしまうこともあって、それは言い訳がききません。
って言うか、言い訳も言葉を使わないとできないのです(苦笑)。
現代に生きる一人の人として「言葉」は「伝える力」の重要な要素として、今まで以上に探求して磨かねばいかんのだろうな、ということを、言葉など発しない夕日に教えられたような気になりながら思うのでした(笑)。