夢中な時はアホ丸出しか?(苦笑)

アホな画像を撮りたいと、夢中になって自撮りしているところを、撮ってもらっていました(笑)。

 

常々、「自分を客観視できるようにしないといけないなぁ」と思いながら、

何かに夢中になっている時は、それそのものに夢中になっているわけで、冷静に自分を客観視などできないわけで、

そういう時に、自分の姿を撮ってもらえていると、自分が何かに夢中になっている時に、他人からどう見られているかが、よく分かます。

 

私は、自分が夢中になっている時というのは、夢中なだけに、

それが楽しいとか、嬉しいとか、面白いとか、そういう感情は、自分では自覚できていません。

 

でも、他人がその姿を見ていて、「なんか、楽しそうですねぇ。」「自分だけ楽しくていいですねぇ。」「なんか、嬉しいことばっかりでいいですねぇ。」とか言われて、

あぁ、今、自分は楽しかったんだな、と自覚させられることがよくあります。

 

夢中になっているということは、その時点の瞬間瞬間は、自分では「楽しい状態でいよう」などとは意図していないわけで、

ということは、「楽しくいたい」とか、「面白いと思いたい」と自分が意図して何かやっている時は、

他人から見て、果たして、楽しそうとか、面白そうか、と純粋に思えるのか?ということにもなります。

 

逆に、自分では一緒懸命に仕事をしたり、会議に参加しているだけなのに、

「お前は、自分だけ楽しいことばっかりやって!」「ツヴォイは自分が楽しいことはやるけど、興味がないことは一切やらないから。」

とか、言われたり、やっかまれたりすることもあったりして、

なぜそんなこと言われるのだろう?と不思議に思ったことは何度もありますが、

それだけ集中して夢中になっていただけとも言えますね(笑)。

 

誰もが、「自分の人生を楽しくしたい」「楽しい自分の人生でいたい」「自分が面白いことをしたい」という願望を持っていると思いますが、

自分がそう意図しているということは、他人からは、楽しそうに見えなくて、面白そうには見えないのかも知れません。

 

時々、「自分はこんなに楽しい」「自分はこんなに嬉しい」「今日はこんなに楽しくて面白かった」と、異常とも思えるほどに発信する人を見ながら、

なんだか、そうは見えなくて、言いようのない違和感を感じたり、

実は、日常があまりに楽しくないから、いつもいつも楽しいことを求めて彷徨い続けてるのかな?とか、

何だか、無理して楽しい自分でいなきゃいかんのかな?と思ったりすることがあって(苦笑)、

 

それは、そういう、「意図せねばならないのか」「意図せずともそうなっているのか」の曖昧な境目がきっとあるんだろうな、と思ったりします。

 

そういう意味で、「自分を自分でどう思っているか?」という視点と、

「他人から見た自分はどう見えているのか?」という視点の2つは、自分を知る上ではとても大事で、

後者は、こうして意図していない自分を撮ってもらって、後から見直してみることが有効な手の一つでしょうね。

 

「楽しい」というのは、「自分が楽しい」と自覚したり、

自分から「自分はこんなに楽しいんだ」と言わなくていい程に、夢中になっている状態であることなのかも知れませんね。

 

ただし、夢中な時の自分を「楽しそうですね。」と言われる時の自分の姿は、

極めてアホ丸出しであり、そういう自分を見せつけられるわけで(苦笑)、

要するに、他人から「楽しそうだ」と思われる時は、いかに自分がアホに見えているかであって、「アホ丸出しですね」と言われているのと同義なので、

果たして素直に喜んだり、「いつも楽しそうですねって言われるんですよぉ。」と迂闊に喜んでいいのかどうかは、分からんぞ、と、自分のアホ画像を見せつけられて思うのでした(苦笑)。

 

他人からの「楽しそう」は「アホ丸出し」と同義(苦笑)
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