「カッコいい」というのは「カッコ悪い」ということなんだよ(笑)
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私はカッコつけて何をチェックしていたのか(笑)
出かける前に鏡を見ながら最後のチェックをしているところを撮られていました(笑)。
私は別に一般でいうところの「お洒落」さんではないと自覚しています。
ファッションそのものは好きでよくファッション雑誌は見たりしますが、自分の毎日の服装をいちいち考えるのは面倒臭いから(苦笑)、
お気に入りのブランドの似たような服ばかり持っていて、なんでそうなるかと言うと、そのブランドのモノづくりの背景にある考え方が好きというのもあるけれど、
最も大きい理由は、適当に着てしまっても、それなりこだわってスタイルのある人に見えるだろうから・・・・、というのが本音です(笑)。
「男は流行りの服にはちょっとピンぼけくらいで丁度いいのさ」みたいなのが粋でカッコいい、と私は思う訳で、「・・・・みたいなのがカッコいい」と意識している時点でどう見られたいかを意識している訳ですから(笑)、それを「お洒落」と言えば「お洒落」というのかもしれませんが、
まぁ、私のような、レザーとかジーンズとか、粗野で着る程に味が出るような素材や、古臭いスタイルを好む者は、今の時流からいけば女性受けが良いとは言えず(苦笑)、もっと言うならモテないスタイルの代表格みたいな訳で(苦笑)、
そんなのに高いお金払うという意味では「お洒落」とは言えないだろ・・・・というとこでしょうか?
じゃあ、なんで鏡の前で最終チェックなんてするのか?と写真を撮られた自分のアホ面見ながら改めて考えてみると、
全体に「『違和感』があるか・ないか」とか、「全体に『無理』がないか・感じてしまうか」とか、そういうことだけは気になって全身チェックしている・・・・・、
すなわち全体を通して「一貫性」があるかどうかだけはスゲー気にしている自分に気が付きます。
よって、最後に鏡を見て、何となく「違和感」や「無理」を感じてしまったりすると、インナーか、アウターか、ボトムか、靴か・・・・・、どれかを変え始めたり、全部変わってしまったりと、極めて面倒な事態となります(苦笑)。
何をもってして「カッコいい」と定義するか?
この「一貫性」という言葉に対して、私は何故か強烈に反応してしまうところがあって、それは「らしさ」とか「独自性」「継続性」と似たような感覚というか臭いを感じていて、その人のビジネス観や人生観を象徴する最も大切な要素だと定義する・・・・、とすら思っています。
逆に、とても苦手なのが「違和感」や「無理」を自分や他人に感じてしまう時、ということになりますね。
男性ならば「カッコよく生きたい」と標榜して当然だと思いますが、何を持ってして「カッコいい生き方」とするのかは人それぞれであり、他人のカッコよさの定義なんてのはどうでもいいと思っているし(苦笑)、実は、他人がカッコよく生きようと頑張れば頑張るほどカッコ悪く見えるという現実があったり(苦笑)、
要するに人それぞれの「好き・嫌い」の価値観は違うからしかたないね・・・・・、ということに落ち着いてしまうので、誰もが自身の価値観に準じて勝手に生きて、そのリスクを負えばいいとは思いますが(笑)、
私が「あぁ、カッコいいなぁ」と思う人は、唯一この「一貫性」を感じる人です。
カッコいいと思える「一貫性」とは何者か?
それはファッションスタイル云々という表層的なものではなく、ファッションにまったく無頓着、あるいはファッションなんて気にするなんてのはバカだマヌケだと思っていてもいい、それがその人の一貫した「考え方と発信・発言・行動行為に基づいている」と感じられればいいんじゃねーの?ということです。
ここで言う「一貫性」というのは、例えば、その人との一定期間の関わりの中から、
「生き方そのものに『一貫性』を感じる」「言ってることとやってることが一貫していると感じる」「SNSで発信していることと実際の行動行為に一貫性を感じる」「内面と外見が一貫しているように感じる」
という事です。
これまた個人の価値観や基準によるものなので、定量的な指数があるわけでもないので、「自分で勝手に感じたことを信じるしかない」ということになるんですけどね・・・・・(苦笑)。
それは「違和感」や「無理」から「カッコ悪さ」を感じるから
「一貫性」があると感じる場合よりも、「違和感」や「無理」を感じてしまうことの方がリアルな場で圧倒的に多いのでそっちの具体事例の方が、自分で分かりやすいです。
例えば、
「社員の成長が一番大切なことだ」と口では言いながら、実際に毎日喜んだり怒ったりするのは業績結果だけだったりするトップだったり、
「自分を越えていく部下はいないものなのか・・・」と口では嘆いていながら、自分より求心力や影響力が高い者が現れそうになると、強烈に潰しにかかる迷惑な人だったり、
「挑戦する集団にしたい」と言いながら、ミスや失敗をした時に厳しく問い詰めるリーダーだったり、
「全てはお客様の為に」と言いながら、お客が困った時に粗利額以上のコストをかけて対処したら怒り出す人だったり、
人の話を聞くのが好きだ、と言いながら、自分の話ばかりしている人や、
「部下のいいとこを伸ばしたい。個性を伸ばしたい。」と言いながら、結局はバランスを取りにいく指導をしてしまったり、
人の人生に光を与えたい、と言いながら、当の本人は仏頂面していて全然輝いているように見えなかったり、
「笑顔の溢れる会社にしたいんだ!」と怒りながら叫んでいたり、
「お客が喜ぶことをやりなさい!」と眉間にしわ寄せて社員に叱咤していたり、
「現場が大事だ。現場にしか答えはない。」と言いながら、現場には全然行かなかったり、
「この仕事が大好きだ。」と言いながら、常に優先するのはプライベートや遊びの予定と実行だったり、
「あんな人、もう大っ嫌い!」と皆の前では言いながら、いつも会っていたり・・・・・・、
まぁ、誰かに対して、そういうのを目の当たりにし続けたり、フと我を振り返るとそうなってたんじゃねーのか?となる場合です。
要するに、「他人からどう見られたいか?」「自分を他人にどう見せたいか?」だけを強烈に意識し過ぎる行動行為に偏り過ぎて、それが透けて見えてしまうと、自分にも他人にも感じてしまう時に、「違和感」や「無理」を感じてしまうのでしょうね。
多かれ少なかれ、自分も含めて人にはそういうところがあって普通なのは分かっていますが、
あまりに口で言っていることと、実際の行動行為のフリ幅が大き過ぎる人には、相手が誰であろうと自分であろうと何だろうと、強烈な「違和感」や「無理」「浅はかさ」を感じて、強烈に「カッコ悪-----!」と思ってしまいます。
こればっかりは、一定期間、リアルな同じ場で、同じ目的の下、同じ体験・経験をしながら人と自分と関わってみないと分からないということになるんでしょうけどね。
「どう見られたいか」と「どう見られているか」のギャップ
特にトップやリーダーと言うのは、「自分がどう見られたいのか」と「相手からどう見られているのか?」にギャップが生まれて当然なのは前提なわけだけど、仮に、誰かがそういうギャップについて提言したとしても、頑なに譲らない場合・・・・、
何を譲らないかと言うと、どこかの勉強会で聞いて気に入った気持ち良い言葉を譲らない、すなわちどう見られたいかだけに必死になっている人・・・・・、
あぁ、もうこの人は自らを客観視できない人なんだな・・・・と認識してしまうと、私は心の中で完全に馬鹿にしてしまって(苦笑)、まともに相手しなくなります。
まぁ、人と人が離れていく時というのは、えてしてそういう時だったりしますよね・・・・・。
かくいう私も立場になった途端にそうなるに決まっている、と過去の経験則から確信しているので、そういうカッコ悪い人になりたくないから、だから今、「一人」を選択しているとも言えます(苦笑)。
「違和感」「無理」を感じるのはカッコ悪い・・・・、と感じるが故、逆に、カッコいいというのは「一貫性」を感じる、すなわち、カッコよくいたいから「一貫性」を私は持っていたいという論法になったというのが私の場合です。
この価値観は私の中ではいつしか強烈になっているようで、知らぬ間に、自身のファッションチェックみたいな、他人から見たらどうでもいい、すなわち、(お前なんて何着てても変わんねーよ。)と思われてるのは頭では分かっているものの(笑)、やっぱり気になるのでしょうね(苦笑)。
「一貫性」を意識すると「一貫」していない自分に気づくジレンマ(笑)
とかなんとか言いながら、私はパイロットでもないのにフライトジャケットを着たいし(笑)、バイクの免許すら持っていないのにライダースジャケット着るわけだし(笑)、ワーカーでもないのにワークスタイルの時は上から下までワークスタイルで一貫させようとしていし(笑)、そもそも、この時代に、1940~50年代に憧れを持って、そういうスタイルでいたいということそのものに無理があるという・・・・・・(苦笑)。
スタイルの一貫性にコダワルというのは、まるで一貫していないカッコ悪さ全開とも言える迷宮に入り込むわけで(笑)。
こうやって、どうでもいいことを考えると、「カッコよくいたい」と追求することそのものが、実は恐ろしく「カッコ悪い」行為であるという滑稽さを自分で自覚はしておきたいですね(笑)。
実は、「カッコいい」=「カッコ悪い」なのです(苦笑)。
そう考えると、「カッコいい生き方」=「一貫した生き方」というのは、「自分を客観視できる生き方」と同義とも言えるのでしょうね。
一周まわって見えてきたのは「本質」か「何も考えなくて良い」(笑)ということか?
まぁ、私は、こういうことをあれやこれや一旦考えてみないと気が済まない、というか人としての深みが培われないと思い込んでいる特性がありますから、こうやってグルグルとことん回してみるのですが、回してみることで分かるのは、最後はとてもシンブルなことに行きつくことです。
ここまで色々書いてみて、結局一番カッコいい奴というのは
「何にも拘らずに、ただただあるがままに今を生きている奴」
ということになるんじゃねーか?と思えてきたからです(笑)。
と、いう訳で、何も考えずに、気の向くまま、今日も好きなレザージャケットに袖を通せばいいや、思うのでした(笑)。
それが、人からどう思われても、別にいいや、と思うのでした(笑)。
そして、相も変わらず、最後に鏡を見るのを無意識にやっているのだと思います(笑)。