どうせ無駄かもしれないからやめとくか、でもやるか
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どうせやっても同じなんだったら、やらない、
のか、
どうせやっても同じかもしれないけど、やってみる、
のか、
そういう
「どうせやったところで何も変わんねぇんじゃねぇのか?」
と思えることに出くわした時に、さて、どっちを選択するのか?
みたいな時に、その人の哲学みたいなものが問われる、というか、人間が出るような気がします。
これは、「やらない」という意思決定とはまた別物で、
「やろうとしたけど、」という前提がある時です。
「やらない」というのは、ある意味、未来に対する意思決定とも言えます。
対して、「やった方がいいとは思っているけど」というのは、
未来に対して、今をどう生きるか?という自分なりの正解は持っているものの、
未来というのは、次の瞬間からなわけで、
次の瞬間なのてのは、その時になってみなけりゃ分からなくて、
もしかしたら、死ぬかもしれないし、富士山大爆発するかもしれないし、火星人が攻めてくるかもしれいし、
想定外のことなんて当たり前のようにドカスカ出てくるので、
やってきたことが無駄になる確率ってのは結構高いような気がします。
分からないことに対して、「やる」というリスクをしょって、してきたのに、
それがモロくも崩れ去ると、
人というのは基本的に、それまでに使ってきた時間=自分の命や存在が無駄で無価値になるような感情を憶えてしまうことを本能的に持っているらしく、
その焦燥感や挫折感や失望感といった類のストレスというのは半端ないらしいですね。
そんな経験が続くと、
「そりゃ、未来に対して前向きに向かった方がいいのだろうけど、どうせダメなんだろうからやらない」
という気持ちになるわけで、私なんて、すぐそうなります(笑)。
やってもどうせ無駄なら、やらねーよ、と。
はいはい、分かりました、もう何にもしねーよ、と。
コロナとか、癌とか、天災とか、戦争とか、
それが発覚する直前までは、私はそれがそうなるなどと1ミリも想像などしてなくて、
そういうことが続くと、
「もう未来の為の思考や行動の一手など、やるだけ無駄なんだからどうでもいいや」
という感情と、
「脳天気に未来のことを考えられていること自体、まだどうにもならない状況ではない証明みたいなもので、
それ自体、恐ろしく幸せな状況なわけだから、精一杯でその幸せを堪能しよう」
という2つの価値観の闘いが生まれます。
基本的には後者にシフトして、それでも素敵な未来を創ろうという方に向かうんですけどね。
理由は3つあって、
①一つ目は、
「そんなこといったら、どうせ死ぬんだから今生きててもしょうがない」
という論理において、でも自ら死ぬ勇気がない。
私にはない。
ということは、何か意味があると自分を思い込ませるしか手がない。
そうだ、俺は、この時代に人として生まれてきた意味があるのだ!
人類の中でも選ばれた人間なのだ!
と強引に自覚して、無力感から死ぬという恐怖から逃れたいから。
②二つ目に、
「どっちが、もう一人の自分が自分を見た時にカッコ良く思えるか?」
というヒロイズムにおいて、私は誰が何と言おうと、俺はカッコいいという評価を自分にできれば、他人からどう見えていようと、それでいいので、
その観点から言うと、この件に関しては圧倒的に後者。
③三つ目に、
「っていうか、そもそも俺なんて生まれつきクソ以下なんだから、今更やろうとしたことができなくて当然で、
それが普通なんだから、ちょっとやったくらいで、できるかも知れないなどと思うこと自体が大いなる不遜であって、今更なに言ってんだよ、このアホ丸出しが。
できてる人なら、今頃こんなブログ書いてることなく、生まれてから今日までという時間がある中で、なんかスゲェ成果をすでに出していて、人類史上最高の何かをもたらしてんだろうから、
できない奴が、必死でできると思い込んでやってんだから、できない方が当たり前が前提なんだから、そもそも成果なんて望む方がおかしいんだよ。」
という、諦めとも、謙虚とも、自虐的とも、やる前からのリスク回避とも、逆説的ポジティブとも言える開き直り。
大きく分けて、
①いかに死ぬか
②どう生きたいのか
③開き直り
という3つのカテゴリーに対する個人的価値観が影響しているのではないか?と思っています。
生きてきていて、やっても意味がなかったり、無駄だったんじゃねーか?と思えることの方が、何となく多いような気がするのだけど、
意味がないからやめるのか、
意味がないかも知れないけどやってみるか、
と問われれば、
そもそも生きてる意味などロクに理解せずして、今日も今日とて、
脳天気にこうして、平和ボケ真っ只中でブログなんかを書いてる余裕があるのだから、
せめて、今に感謝を込めて、より良い未来に、諦めずに向かいたいと思うのです。