ツヴォイ式お絵描き117「レザージャケット」02

イギリスの「ロッカーズ」に代表される、スタッズやワッペンで派手にカスタムされたレザージャケットは、

アメリカのそれとは全く別物としての魅力を感じます。

本場のリアルレーサーの、いかにも道具として着こまれたレザージャケットは、

年季の入ったやれた感じ、傷・皺の入って、唯一の色気を放っているようで、どれにも惹かれます。

そういうレザージャケットの魅力を何とか表現したいと思って描いてはいますが、

この「黒」とか「茶」のレザーの質感の表現というのは、なかなか上手くいかずに、

それは、着ている人としての人生の深みを踏襲できていない自分とも比例しているようにも思えます(苦笑)。

カッコいいレザージャケットのような年季の入り方をする人生でいたいと、20代の頃から長年に渡って思い続けていますが、

結果として、中身の肉体ばかりが朽ちていくばかりで(苦笑)、

表層に自然と滲み出るような、深さやリアルがない自分の人生の浅さばかりを、

こうして描きながら、実感する現実の苦痛と向き合いながら描いています(苦笑)。

 

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ツヴォイ式お絵描き116「ビル・ロビンソン」11

「ビル・ロビンソン」の必殺技「ワンハンド・バックブリーカー」の動画第5弾です。

いったい、どんだけこの「ワンハンド・バックブリーカー」好きやねん、という感じですが(笑)、

私はとにかく、この「ロビンソン」の「ワンハンド・バックブリーカー」に想い入れが強く、

1976年のvs猪木戦で魅せられた一撃以降、プロレス最強技だと信じて止みません。

さらに、1976年~1977年頃にかけての「ジャンボ鶴田」との一連の名勝負に炸裂させている場面は、どれも最高で、

それは、目の上まで持ち上げるハイアングルから、膝に打ちつけるまでのバランスとタイミングは、

受け手のジャンボ鶴田の受け方もまた最高だったからでしょう。

ここまでこの技をド迫力で受け切れるのはジャンボ鶴田以外にはいませんでしたね。

この動画の場面は、

「1976年3月11日・東京日大講堂・UNヘビー級選手権試合」

での一撃。

王座奪還を目指すジャンボ鶴田が攻めても攻めてもロビンソンにかなわずに、タイトルは海外流出となって、

「ロビンソン強し!」

を印象付ける思い出深い試合でした。

バックブリーカーを決めた後の、

「この小ざかしい若造が!」

とばかりに、ポイっ投げ捨てるように仕草もまた、格の違いを魅せつけるようなロビンソンらしく、私は好きです(笑)。

 

別の試合の後方からの動画はコチラ。

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やっぱり、鶴田のリスクを張った受け方がスゴイ(笑)。

 

ちなみに、vs猪木戦

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vs馬場戦

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vsカマタ戦

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一体、どんなだけ好きやねん、ですね(笑)。

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ツヴォイ式お絵描き115「アントニオ猪木(vsモハメド・アリ戦)」13

「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」(1976年6月26日・日本武道館)

のポスターです。

数あるポスターがあったと思いますが、個人的には、これが一番好きです。

この伝説の一戦については、近年になって再評価され、既に多くの場で、中には極めて専門的かつ関係者からの証言も含めて語られており、ここでは特には書きませんが、

やはり、アントニオ猪木という人は、本当にとんでもないことを、本当に現実にやってしまう人だったのだと改めて思います。

 

私は、当時小学校5年生でした。

この試合は土曜日の昼間の生放送と、同日の夜にも放送されるという、それだけでもどれだけのことだったのかが伺い知れます。

 

なぜ「土曜日」だと明確に記憶しているか・・・・。

当時、私は「お習字」にいやいや(笑)通わされていて、その「お習字」の塾は、毎週、火曜日と土曜日でした。

私は、試合当時の6土曜日、学校から帰って、生放送を観たかったのですが、母親が、

「どうせ夜もやるのだから、それは観ても良いから、先にお習字に行きなさい。」

と絶対に譲ってもらえなくて(笑)、それこそ仕方なく「お習に行かされて、生放送が観れなかった苦い思い出があって、

だから「土曜日」だったことは明確に記憶しています(笑)。

 

こういう、(人によっては)人生で二度とはないような希少と予測される価値に対し、

その価値を説明し切れない自分への歯がゆさと(笑)、

この試合をリアルタイムで体験するという価値を、

一方的な価値観で規制するような大人(母親)の偏見に満ちた人への関わり方に対する憂いの二乗の想いは(笑)、

その後の人生に大きく影響し、故に私は、自分の想いや価値観や感情というものを、

しつこく詳しく、これでもかと人に伝えるようになったのかも知れません(笑)。

 

いやいやながらも、「お習字」に行っていた私でしたが、

友達の「野田陽一郎」は、この試合を観終わって習字に来ました。

時間的に、野田君が観終わってから来たであろうことをすぐに察した私は、野田君を見つけるや否や、

「とっちが勝った!?猪木勝った!?負けた!?」

と聞きました。

「引き分け」

と、さしてプロレスには興味もないのに、生放送を観れていた野田君は、そっけなく答えました。

 

「どんな試合だった!?」

と、私の興味沸点の質問速射砲は続きます。

「なんか、猪木、こんなことばっかりやっとるもん。」

と、野田君は、猪木がリングの上であお向けになっている様子を真似て見せてくれました(笑)。

有名な「猪木アリ戦状態」の様です。

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「ドロップキックは出した!?」

「卍固めは!?バックドロップは!?」

そもそもプロレス技が禁止されていたことは知っていたので、そんな技出せないことは知っていたに関わらず、私は聞きます(笑)。

プロレスの技の名前すらよく分からない野田君が、プロレスの技の名前を聞いても分かるわけもなく(笑)、

もう一度、

「なんか猪木、ずっと、こんことばっかりやっとった。」

と「リングの上あお向け猪木」のマネだけを、やっぱりしてくれました(笑)。

 

いくら何でも15ラウンド全部をそんなことしてるわけないだろ・・・・と思った私は、

(そうか、野田君はプロレスのことを全然知らないから、そんなことしか言えないんだな・・・・)

と、思い込むしかなく(笑)、

ところが、夜7時からの再放送を観た私は、ほぼ野田君の言う通りの15ラウンドの展開に悶絶するのでした(笑)。

 

「アリ側の要求を聞くにつけ、両手・両足を縛られて試合をしろと言うようなものだ。」

真剣勝負を挑むが故に、試合前に、アリ側の要求をすべて飲まざるを得ない状況に追い込まれた猪木の言葉でしたが、

本当に直前までルールが決まらずに、実際に試合が行われる時点で、両者はもとより、関係者もセコンド陣も、レフェリーですら、誰も完璧にルールを把握していなかったという説もあるし、

もはや、猪木は「アリと試合をする」よりも「アリをリングに上げる」ことが優先されていたとも言われていて、

故に伝説とされている由縁なのかもしれません。

 

しかし、昨今のビジネス環境や、経済状況、特にこの数年に渡るコロナ禍での状況というのは、

この試合のような、正しく「がんじからめ」で「どうなるか分からない」のと同じような感覚を覚えることは多く、

「何をやっていいのか分からない」と思うにつけ、私は、この「猪木vsアリ」戦の、試合成立に向かう猪木の逸話や、当日の闘う両者の姿を思い出しては、

これくらいは、この時の猪木に比べたら「屁」でもないだろうと鼓舞されたりするのです。

 

 

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