「何で伝えるか」の前の「何を伝えられる人か」の絶望感(苦笑)
AI動画にせよ、砂浜に描くラクガキにせよ、
ひいては、ブログに入力する文字も、喋る言葉も、SNS発信も、ライブ動画も、
たくさんある全てはアウトプットの手法なわけで、それは、
「なにで表現するか」
のバリエーションであると言える。
問題は、その根幹である
「何を伝えたいか。何を伝えられる人か。」
であって、それはまさしく、
「日々と、その連続である人生で何を積み重ねてきたか?」
が問われることであり、
だから、私は、昔からベラベラ喋ったり、お絵描きして喜んでるだけで、
積み重ねたものが何もない問題があることに、この便利になった時代にようやく気づいてきて、
いささかの手遅れ感と絶望感に満ち溢れています(苦笑)。
「最新技術」が証明する自分のスカスカ人生(苦笑)
AIの登場で、画像から動画まで、今までやりたかったことが、すぐにできるようなって、
「わーい、これで何でもできるぞ!」
と一瞬思うけど、
ちょっと触って、すぐにやってくるのがネタの枯渇なわけで、
それは、すなわち自分のスカスカな日常と、その連続である人生そのものがスカスカだった現実を、突きつけられることになり、
それでも頑張って情報発信するも、誰からも反応されなくなって、
無価値な自分にキズつくことが、耐えられなくなって、だから、継続ができなくなる。
というのは、ブログから始まり、SNS、ライブ動画、Youtube、そしてAIと、
いつの時代の新たな技術やツールが生まれる度に、普遍的に自覚させらて、
最新技術では何ともならない、根本の人間としての限界を自覚させられ続けるのが、
私にとっての、「最新技術」と「人間性」の融合です(苦笑)。