ツヴォイ式お絵描き146「武藤敬司」01
「武藤敬司」の「ムーンサルトプレス」!!
1986年に武藤が最初の凱旋帰国。
まだ「スペース・ローン・ウルフ」の異名で、ネイビーのロングタイツだった頃の「ムーンサルトプレス」です。
当時、私は大学生で、1986年10月9日・両国国技館に「アントニオ猪木vsレオン・スピンクス」戦を観に行きました。
その日には武藤の凱旋帰国の挨拶がありました。
登場する際の「610」の数字の入ったヘルメットや、宇宙的なコスチュームがあまりに間抜けに見えたのと(笑)、
あまりに露骨な次世代スターの売り出しを感じさせる印象が悪く、そのまま武藤のイメージになってしまい、
何かというとメインに抜擢される武藤でしたが、そのプロレスは、何だかチャラくて軽く見えてしまって、興味を持てずにいました。
(当時のプロレス研究会で私が描いたイラストにも描いている(笑)。「最低」と書いている(笑)。)
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そんな中、当時、在籍していた早稲田大学の会報中心で活動しているプロレス研究会の三橋先輩が、
「武藤の運動神経ってのは、とんでもねぇと思わねぇか?ありゃ、天才的じゃね?」
と、ある日の飲み会の場で言い出したのを憶えています。
その時は、
「そうですかねぇ・・・・、俺は武藤の試合はそんな風には見えないですけどねぇ・・・・。」
程度にしか、私は答えなかったし、ホントにそうとしか思えなかったのですが、
当時、「輪島」のプロレスに、プロレスの神髄を観ていた感のあった三橋さんが、
カッコいい武藤に対して、それはそれでちゃんと評価していることがとても意外で、それで記憶に残っています。
しかしながら、今、改めてこういう武藤の動画を観てみると、確かにそうだよなぁ、と思いますね。
まるで宇宙空間とか空中遊泳といったインパクトのある、とんでもない高さと綺麗なフォームですね。
人には、一つの物事に対する「〇〇観」というものがあって、
「プロレス観」というのは、プロレスそのものが曖昧で確定的な定義がないが故、観ている人それぞれにある。
その擦り合わせや議論や会話というのは、個人的にはとても面白く、
それは、そっくりそのまま「経営観」や「ビジネス観」、「人生観」から、「映画観」や「芸術観」に至るまで、重要な思考性にも置き換えられると思うのです。
ツヴォイ式お絵描き145「マリリン・モンロー」03
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私が大きな口を開けて笑うと、
下品で間抜けなアホにしか見えないけど(苦笑)、
この人だけは、「満面の笑み」として、ポジティブで、大らかで、色っぽく、魅力的といったアイコンになってしまうわけで、
こういう時に、生まれつき色んなことが決まってしまっているのだろうな、ということを突き付けられたりします(苦笑)。
ツヴォイ式お絵描き144「藤波辰巳」02
「藤波辰巳」の「飛龍風車固め」です。
1978年に凱旋帰国した「藤波辰巳」が、「マスクド・カナディアン(ロディ・パイパー)」にブチかました一撃。
私の中では(笑)藤波の「名」必殺技の一つです。
(ビック・ファイトシリーズ・1978.03.24・和歌山県立体育館・藤波辰巳&山本小鉄vsイワン・コロフ&マスクド・カナディアン・一本目)
当時の藤波はピッカピカという表現が相応しく、カッコ良さもキャラクターもスピードも、
そして、次から次へと出す見たこともないような必殺技の数々さの全てが新鮮で、
毎週のTV中継が一気に華やかになり、瞬間瞬間が脳裏に焼き付いています。
この「マスクド・カナディアン」こと「ロディ・パイパー」は、直前のロスでの初防衛戦の相手でもあり、
最初の藤波のライバルとして相性が良く、個人的には「隠れ」(笑)思い入れの強いレスラーの一人です。
1978年1月23日に、ニューヨーク・MSGで、鮮烈な「ドラゴン・スープレックス」でWWWFジュニアヘビー級タイトル奪取した時の動画とブログはコチラ
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