憧れと絶望のファッション哲学・54「80’sスタジャン」

80年代に青春時代を過ごして、
80年代には、30~40年前に当たる50~60年代のアメリカ衣料の古着に影響されていたのだけど、
2026年になればなったで、30~40年前の80年代当時に新品で買った現行品に、郷愁と希少価値を実感するわけで、
ということは、ノスタルジーや郷愁というのは、絶対値があるのではなく、
今の自分から遡って30~40年前という相対値によって認識されるものなんだろうな、
と、80年代当時の「スタジャン」を見ると思ったりして、
私の場合は言語の認識は、学問よりも、体験からくらいしかないんだろうな、と思ふ(苦笑)。

憧れと現実のギャップを埋めようとすることが人間的成長である(笑)

子供の頃から、唯一無二の圧倒的な存在に憧れます。
私は、自分にも人にも、絶対にその人にしかない圧倒的価値があると信じていますが、
自覚したい価値と、他人や社会から求められている価値は必ずしも一致しないのがほとんどだとも思っていて、
人は、自分と他人の価値の一致を一生をかけて探し、追い求めるものなんだろうなとも思います。
憧れを持つのは、自発的にそれに近づこうとするわけで、「なりたい自分になる」有効な方法ではありますが、
「憧れ」は自分とは別物でもあるわけで、どんなに追い続けても「それそのもの」にはなれないジレンマとも向き合うことになります。
というドロ沼と向き合いながら、それでも諦めないという気持ちを持ち続けることが大事と思い、
ついつい、憧れの存在を見つけて、ゴジラとレザージャケットの皮膚感は似ているという昔からの認識を証明する為に、こういうことをやってしまうのですが、
撮ってもらっている人や、周りで見ている方からすれば、「いい歳こいて何やってんだこの邪魔くさいアホ」は、という感じで失笑されるリスクはあります(苦笑)。
まぁ、いいや、どっちもどうせすぐ忘れんだろうから(苦笑)。