本との出会いは作者との必然の出会いと見直してみる
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最近、すっかり本を読まなくなっていて、
それは、外出をめっきりしなくなって、比例して、無目的に本屋さんにフラリと寄ることもなくなったことや、
街のフラリと寄れる本屋さんが少なくなったことや、
そもそも、肝心の学習欲そのものがなくなっている(笑)ことや、
色んな言い訳要因があるとは思うわけですが、
問題は、比例して、こうして文字入力することが少なくなっていることとも思ったりします。
先日、本来の目的とは別に、無目的にフラリと寄った本屋さんで、いくつかの本に出会えました。
外に出ると、色んな出会いからの気づきはあると思いますが、
本との出会いは、作者との出会いでもあるのだなぁ、と改めて思ったりもします。
気になっていたことや、何となく思ってはいるけれど、言語化ができないことで、自己理解すらできずにいること、
あるいは、1人では気づけなかったことを一緒に深堀りすることで、新たに気づかせてもらえたりすることが、
コミュニケーションの醍醐味だとすると、
本との出会いもコミュニケーションの一つとも言えるのでしょうね。
2020年以降、圧倒的に動画配信で喋る頻度が増えていっている中、
今年はフラリと本屋さんに寄れる頻度と、文字入力する頻度を上げたいと思っています。
正しい装いは同時に不安も身に纏う(苦笑)
ドレスコードがスーツの場だったので、久しぶりにスーツを着ました。
相変わらず、ビジネススーツと、スーツの場が苦手なのですが、
コロナや胃ガン以降の私のライフスタイルが大きく変化していたのか、
以前に増して苦手意識が増している自分に気づきました(苦笑)。
スーツを着ると、身だしなみを整えると共に、
社会に対して自分を正そうとする意識や、緊張感を持ったりすることがありますが、
そこに違和感が増しているということは、以前に増して、自分が社会不適合であったり(苦笑)、
社会で生きていく上で大切な何かが欠陥している自分になってきているのではないか?
という不安も同時に身に纏う感覚があります(苦笑)。
いやいや、そんなもんは皆そうで、それが普通なんだろうけど、誰もがそうしているんだよ、
という見解もあったりしますが、
それで普通だと言われれば言われるほど、
だとしたら、より普通に適応できない自分に劣等感を感じてしまったりして、
これから、どうやって生きていこう?という不安に身を包まれる自分に気づかせて頂くのでした(苦笑)。
心身共にスーツの似合うカッコいい大人になりたいと思ってはいます(苦笑)。
頑張るか頑張らないかの一線を頑張らないと越えられない(苦笑)
「さぁ、今日も一日明るく元気に頑張りましょう!」
みたいな、前向きでポジティブなのが普通で日常過ぎる投稿を朝から見ると、
やだ、今日は頑張りたくない、と思ったり、
さっきまで徹夜で頑張ってたんだから、もうグダグダのダラダラさせて、と
お願いしたくなることがあって(笑)、
でも、そもそも私は頑張ったことがあるんか?というと、
よくよく考えたところで、ちゃんと頑張ったという自覚や記憶がなくて(苦笑)、
だとすると、自分はそもそも頑張ることなんてできないのではないか?
と思えてきて、
今日は、頑張るか、頑張らないのか、
その一線を越えることから頑張らないといけないといけなくて、
スタートラインにも立てていないことをやっと理解し始めたとろです(苦笑)。
頑張るか、頑張らないか、を頑張って考えないと、ここまですら分かっていなかったのですね(苦笑)。
もういい、ずっと頑張りたい人だけ、頑張ってて(苦笑)。
頑張れ!(笑)。
頑張ってもいいけど、でも、「しましょう」とか、誘わないで(苦笑)。
ペースでやらせて(苦笑)。