考えた結果、何も考えないことが一番考えたことになるのか?(苦笑)
子供の頃、
「バカって言ったら、自分がバカなんだわ!」
というのがあった(笑)。
きっと、人にバカとか言ってはいけないんだよ、ということの教えだと思うのだけど、
でも、子供心に、
「自分がバカなんだわ!」
と言い返している方も、最初に行った相手をバカだと言っていることになるので、もし相手が、
「バカって言ったら、自分がバカなんだわ!って言う方がバカなんだわ!」
と言ったら、どっちがバカになるんだろう?
さらに、言われた方が、
「バカって言ったら、自分がバカなんだわ!って言う方がバカなんだわ!って言う方がバカなんだわ!」
と続けて、さらに永遠にこのやりとりが続いたら、どっちがバカになるんだろう?
先に死んだ方がバカってことになるんかな?
あるいは、やり取りし出したら、キリが無くなって、貴重な人生の無駄だから、他人の言うことは、適当に受け流しといて、自分のことやった方がいいよ、という教えなのかな?
とか、あれこれ考えていました(笑)。
その時間の方が無駄だっつーの(笑)。
「思慮が深いな」
と思う人Aさんがいたとしても、もっと深い人Bさんから観たら、
「こいつは思慮が浅いな」
となって、
でも、もっと深いCさんから観たら、Bさんは浅い人になる。
自分から観たら、誰かがバカに見えたりしたとして、でも自分は、その人よりはバカではない、誰よりもバカではない、という客観的な証明は無理で、
同様に、誰かを浅いと思っても、自分はその人よりも深い、誰よりも深いという客観的な証明も無理で、
ということは、他人が言ったことに、いちいち反応すること自体、自分の人生にとっては、どうでもいいことになるので、
他人の評価など、どうでもいいや、私は一番思慮が浅くて、一番バカだ、
と認識しておいた方が、一番楽でいいや、
となると、
思慮が浅くて、バカでいることが、
もっとも、思慮深く、頭がいいことになるとなると、
もう何が何だか分からなくなるので、
もうどうでもいいや、となるのは、
結局、どっちがどうなのかなどどうでもよくなる(笑)。
こういうことを命の時間を使って書いている現実があるわけで、
私は、どうでもいいことに命を使っていると認識せざるを得ないと、ちょっと思うのです(苦笑)。
消費動機の適当さの最強事例は自分(苦笑)
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小学校2年生から高校3年生までボーイスカウト活動をやっていました。
いま思えば、よくもまぁあんな指導者をやっていたい願望を持っただけの、指導的立場の親達の元で、盲目的に信じてやってたなぁ、と思うわけですが(笑)。
(何とか訓練に始まり、チーム活動、奉仕活動やゴミ拾いや募金活動など、活動そのものは、きっと素晴らしい経験ですよ、念のため(笑))
小学生の頃は、カブスカウトで夏にはキャンプに行きました。暑いし面倒くさいことばっかりで、私は嫌いでしたが(苦笑)。
キャンプ用品のスプーンやフォークや箸のセットがあったのですが、時々なくしたり、間違えて取られたりとして、
私の憧れは、写真に載っているような、本格的なマルチツールでした。
大人になってから、昔には、こんなカッコいいのがあったんだ、と知るようになって、
昔の憧れを手に入れるように、古いタイプを見つければ購入するのですが、
でも、手に入れた以降、キャンプには行ったことがありません(笑)。
むしろ、この画像を撮る為に、いじくっていたら、ナイフで指を切りました{笑)。
なかった方がいい(笑)。
人の消費動機というのは、いかに不確かで、不合理で不明確なものだというは、
私は自分の消費体験が最も理解しやすい事例だと思っています(笑)。
本人が自分のことを言う時は、他人にどう見られたいかを言う(苦笑)
「私、人の話を聞くのが好きなの。」
と、ずっと喋り続ける人だったり、
「私、変わった人なの。」
と言う人は、その辺にゴロゴロいる普通の人だったり、
「私、普通なのに・・・・。」
と言う人ほど、変人だったり、
本人が自分のことを言う時は、
大抵は、他人にそう見られたり、そう言われたいのだけど、
誰も言ってくれないから、自分で言うしかなくて、自分で言ってたりする(苦笑)。
ということを、他人を見て思うのだけど、
そうか、
「俺ってカッコいい。俺ってスゴイ。」
と、よく自分で自分に言う私は、そうか、誰も言ってくれないから、自分で自分に言うしかなかったのか(苦笑)。
まぁ、いいや、どうでも(笑)。