「自分の話と感情『だけ』を聞いて欲しい人」への唯一の対処法
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コミュニケーションのことを、
「自分の話を一方的に聞いてもらうこと」
あるいは、
「自分の感情をまき散らして受け取ってもらうこと」
と認識して、他人の命を道具のように扱う人はいます。
できるだけ避けたいですが、人との関りが増えるに比例して、出会ってしまうことは結構な確率であります。
それは、出会って関わってみないと、そういう人かどうかは分からないので、対処法は、出会ってしまったらどうするか?しかありません。
そういう人の傾向は、様々な場面で認識することはあったり、どういう場所に生息率が高いかはあって、ここでは細かくは割愛しますが、
最大の問題は、そういう人は、その人なりに自分は普通で、むしろ正しいとその人なりに自覚していること、すなわち悪気などないことです。
こちら側としての基本は、関わっている最中に自分が違和感を持ったり、関わった後に嫌な気分が残ったりするといったような、そういう時の自分の感情を信じていい、ということだと思っています。
唯一の方法は、「逃げる」しかありません。
出会ってしまったら、とにかく意図して全力で逃げましょう。
逃げるとは、「距離」「時間」「回数」を、できる限り、可能な限り少なくする意図と行動をすることです。
そういう人が、そうなってしまった理由が、
生まれつきの脳も含めた身体的な問題なのか、生まれた後の後天的な影響によるものかはどうであれ、
へたに同情したり、優しさ故に共感してあげたりすると、
自分の命を、ブラックホールのように限りなく奪われるだけなので、
もし、自分の命=時間を大事にしたいなら、できる限り関わらないことしか打ち手はありません。
最大の難関は、あの人は良いところもある、とか、反面教師としての価値がある、とか、自分で自分の事を冷たい人間であってはいけない、とか、あの人の為に諦めてはいけない、これも自分の人生に必要な課題だ、といったように、
関わってしまう自分を肯定化したり、あるいは、関わらない自分を責めてしまったり、いい人でいたい気持ちを捨てられないことです。
そういう気持ちは一般に大切かも知れませんが、一般とは別の次元で生きてしまっている人も確実に存在していて、それは一般とは違います。
「無知」は「知識」を与えれば解決できますし、
「無能」は「知識と経験」を与えれば解決できますが、
「幼稚」は解決の方法がありません。
プロの医者でも無理な病は、素人の自分では当然無理、されは私の問題ではないくらいに割り切って、自分の限られた人生の時間に向かった方がいいと思っています。
無理なものは無理です。
私にはできないこともある、と謙虚になって、逃げることが大事です。
そう考えるようになって、私は世の中のほとんどの人から逃げられていたのだと、やっと気づけた最近です(苦笑)。
憧れと絶望のファッション哲学・78「グレイトフルデッド・MA-1」


偶然か必然か、満月だからか(笑)、
なんでこんなに疲れてて眠たいんだろう?と思って、よくよく考えたら、
早朝に一件・午前中に一件・夕方に一件・夜に一件・深夜に一件と、
音声のみと、リアルと、zoomで、「初めて・久しぶり・通常」という方々、総勢25名以上の方と、
それぞれ違う目的で、ホスト・ゲストの立ち位置で、それぞれ15分~3時間に至る、対話や会話を、ろくすっぼ睡眠もとらずにしていたことに気づいた(笑)。
何で、今日一日でこうなったのかの経緯は別として、
久しぶりの圧倒的疲労感と共に、
そりゃ、これだけの数の人と毎日のように関わっていれば、
人間という存在を学んだり、社会の現実をリアルに体感したり、人という集落の中で自分の存在が見えて来るわな、とか、
人として学んだり、成長や変化し続けるわな、と曖昧に思うのでした。
久しぶりの感覚ということは、20代~50歳あたりまでは、私の日常と言うのは、そういう日々の連続だったわけで、
その上で、ほとんどの失敗と、自他ともに認められるくらいの些細な成果という結果なのだから、
やっぱり、やるだけやったところで、ほんとんどは成果になど繋がらない確率と、「結局は運でしょ」と考えると、
やっぱり、私は、ダラダラと自分だけが楽して暮らすことを本気でやろう、その為だったらどんな苦労も買って出よう(笑)、
という理解し難いがたい、矛盾で不遜なことを思うのでした(笑)。
ということを考えていたら、「グレイトフルデッド」の混沌としながらも斬新なビジネスモデルが頭をよぎったので、
グレイトフルデッドのカスタムモデルのMA-1(笑)。
何か知らんけど、人にまみれて頑張る皆さん、今日も一日、お疲れさまでした(笑)。
どうしようもないことは、どうしようもないのだから、どうしようもない(苦笑)
外見も内面も、自分を客観視できるメタ認知の力はとても大切だと思うけれど、
じゃあ、それができるか?というとなかなかできなくて、
だから人の視点は必要ということになるのだろうけど、
本当に思っていることを、ズケズケと言う人がいるかというと、それも分からないし、
また、その人の視点が正しいかどうかの判断もはなはだ疑問だったりするし、
認めてもいない、大きなお世話だけの人から、無責任にとやかく言われても、面倒くさいだけなので、
結局は、結果を見て自己判断するしかないということになる。
その結果と言うのは、自分の想定している、「どんな人と何人」という値に対してどうなのか?という、
(自分にとって都合の良いと思える人の)そもそもの目標値との対比になるので、
目標値が明確でないのに、自分という存在を憂いたところで、どうしようもなく、
だから、好き勝手にやってりゃいいか、と割り切って、言いたいこと言って、やりたいことやってると、
人は離れていく(笑)。
そういうことって、認識次第でどうとでもなるということになって、どうしようもないのだから、どうしようもない(苦笑)。