ブーツの面倒くさいを越える時(笑

ブーツをいちいち履くのは面倒くさいけど、

足を組んだ時に自分からカッコ良く見えたいから、いちいち履く(笑)。

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2025年版「独自のビジネス」を生み出す絶対条件①

家業を廃業した時と、株式上場した時と、

私は同じくらいの「努力量」をこなしてたと自覚しています。

 

努力量のことを「気合と根性」と言い換えるとします。

こと「気合と根性」という意味においては、

衰退家業を3代目の俺が何とかしなきゃいけないという想いもあるわけで、

廃業当時の時の方が、大きかったのではないかとも思っています。

 

では、何が大きく違っていたかというと、

スタート前の「論理」、すなわち事業を行う前の「仮説」や「設計段階」が明確だったかどうかの違いがとても大きかったと思います。

 

「何とかなる」「何とかする」、と言い聞かせて頑張った結果、廃業という現実が目の前に現れて、

漠然と「何とかなる」は、結果「何ともならない」のだと、私は学びました。

「何かをする前」に、その「何とか」を先に意図しない限り、人の何倍も努力量を増やしても「何ともならない」のです。

だから私は、「気合と根性」だけを前提にしたビジネスモデルや、事業開発も、投資も、仕入れも、採用も、反対です。

成功確率は、博打より低いと思っています。

「論理」を前提とした、「気合と根性」は大賛成で、むしろ、走る時には気合と根性だけで全力で走るべきです。

 

では、始める前の「論理」とは何か?を考えた時、

私は、以下の5つの要素が全部組み合わさっているかどうかは最低限必要だと思っています。

①自分が夢中になれる「好き」の要素があるか?

②他人から依頼されたり相談される有料レベルの、自分の「できる」ことがあるか?

③誰が「顧客」で、その顧客のことをどれだけ深く細かく理解しているか?

④同業にはなく、自分にしか絶対にない「独自の価値」はどこか?

⑤上りエスカレーターたる成長段階にある「時代性」や「環境」があるか?

このうち、どれかではなく、全てが組み合わさっているかです。

全てが完璧でなくとも、せめて5つとも大体でもいいから人に語れるかどうかは大事です。

 

ただ、あっちを取ればこっちが取れずを行ったり来たりしながら、組み合わさるまで、

いちいち考えたり、調べたり、人に聞いたり、客観性があるかとか・・・・、

そう、要するに面倒くさいのです。

 

面倒くさいから、「考えるより、先に動こう」とばかりに、

突っ込む人は、突っ込んでいきます。

始める前にどんなに論理上合っていても、実際にはやってみないと分からなくて普通なのに、

面倒くさくて、何も考えずに突っ込んだ結果、泥沼にハマる確率は上がってしまいます。

 

私の考えるハマりの最大リスクは

①「借金を返すためだけの残りの人生になる」と

②「残りの人生、二度と立ち上がれないくらいの精神的挫折」という、

自分の人生時間の使い方が縛られることの二つです。

裏を返せば、その二つさえ除けば、どんどんやってみるのはいいかも知れませんが、

人生時間は限られていて、いくつできるかは、残り時間によるので、

できれば、始める前に、最低限の設計はしておいた方がいいと決めています。

 

ところが、ここにも大きな弱点があります。

今の成熟期においては、そもそも5つの全てが組み合わさるというのは相当ハードルが高く、そもそもスタートしにくい時代背景があることです。

私は、「廃業と上場」という二つの経験をしたが故に、

新たな次の事業スタートの前提が分かる程に、スタートが切りにくいというのもあって、

だから、シャレでも何でもなく、いまだに「無職」のままなのです。

「そんなこといいから、やってみりゃいいじゃん」

という人は、人に言わずに自分がやってみればいいでしょう。

ド・ハマり経験した私、あるいは、そうやってド・ハマりした他人のその後の人生を鑑みるに、私はとてもそんな無責任なことは、自分にも他人にもしたくのです。

 

となると、それでも今できることは何か?は、絞られてきます。

①自分ができて(誰でもできて)

②すぐできて

③できるだけコストがかからない

方法を、できる限りブン回して実験することくらいはできます。

 

完璧に設計しても成功確率は低い時代なのですから、

大きく張るだけの設計ができないうちは、

不完全ながらも小さい張りをどれだけ数打って、偶然でも棚から牡丹餅でも、一つのヒットがでればラッキーでしょう。

そういう考え方を私はします。

「要するに、やるしかないんだよ、やるしか、ってことじゃん。」

と言われてしまえば、まぁ、そうなんでしょうけど(苦笑)。

 

それは、新たなリアルの場に数多く出ることかもしれないし、こうしてブログやSNSの発信なのかも知れません。

「何やったらいいのか?」とよく聞かれますが、それは人によって違います。

「これをやれば大丈夫」などという、画一的な成功方法など私は信じません。個体たる人間を舐めとんのかとすら思います。

故に個別カスタムが必要だと思っています。

 

①・自他ともに納得のいく設計を思考し続けながら、

②・今できることを数多く打つ。

③・①と②を行ったり来たりしながら①を創る

 

実はこれが株式上場に向かう前と、向かっている途中にやり続けていたことだったわけで、基本思考が大きく変われない自分だとも気づきます。

 

一見、どこをどうも見てもガンジガラメ状態でも、実はそこからが、できることのスタートなのだろうな、ということを、

いかにも両脇から壁が迫ってきて、ガンジガラメ状態に見える自分の画像を見て思うのでした。

 

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時代変遷の客観性から見るべき普遍と独自性のバランス

2020年以降、私の環境変化と、伴うビジネススタイルが大きく変わったこともあって、

商業施設を意図的に巡る回数は大幅に減りましたが、

経済の動向をリアルに肌で感じるのは、私の場合はやはりリアルの場だったりもします。

 

しかしながら、以前よりも興味が無くなっているのか、個人的興味が絞り込まれた結果なのか、

多くの立ち並ぶ店舗のほとんどは、私には見分けもつかず、

店舗も商品も、どれも同じようにしか思えなくなってきていて、

私のような者にとって、よほどブッ飛んだ店頭表現や、そこのそれと一目で分かる商品でないと、スタートの認知すらできません。

いわゆる「興味がない」という領域に近い状態でしょう。

 

大学時代に、上京した両親と共に、ファッションビルを巡った時がありました。

多くの売り場がある中で、店舗に入り、アイテムをチェックしたり試着する私の動きに対して、

当時、家業の洋傘メーカー社長をしていた父が、

「お前はどこに何があるのか分かって選んでいるんだろうけど、お前が入る店も服も、お父さんには全部同じに見えて、何が何だか分からへん・・・。

お前を大学に行かせても、ロクに勉強もせずに、ファッションだの学生プロレスだの何だの、そんなどうでもいいようなこととも思うけど、

反面、時代も変わって、傘もファッションになってきて、魅せ方も何も、お父さん達はついていけへん・・・。

将来、経営者にならないかんお前にとって、お父さん達にはない感覚は役立つかなぁ、とも思うというだかなぁ・・・・・。」

と、困惑とも呆れ顔とも寂しそうとも言える感じで言っていたのを思い出します。

 

当時は、そんな時代から外れていくような、つまらん大人になったらつまらんだろうな・・・、と不遜とも世間知らずとも思っていた青二才は、

その後、当時最大手のファッションメーカーに就職し、家業の跡を継ぎ、父の淡い期待を裏切って廃業するに至り、

そして、理想の商業施設を探求しながら、結果、株式上場までは経験させて頂き、そして今に至ります。

 

いつの間にか、歳を取って、つまらんと思っていた父の側になってしまったのかなぁ、とも思ったりするし、

経済の高度成長期から成熟期における限界点まで達している現状を冷静に目の当たりにしている、とも思ったりもするし、

単に、色んなことに興味を持てなくなってしまった自分への危機感、にも思えるし、

その答えは、まだ模索中のままです。

 

どの店も自分の個性や「らしさ」を全面に打ち出そうと意図しているのでしょうが、

ブッ飛びたいけど、ブッ飛べば客数の減少に影響するリスクを感じるのだろうし、

定番の量を多くして、多くの人を広く取ろうとすれば、選ばれる要素が無くなるだけ、

魅せ方を工夫しても、どこも上手くなっていて、同一化して埋もれるだけ、

というジレンマは、経験上からか、痛いほどに分かるつもりです。

 

そして、それは、今や普遍となったWEBやSNSの情報発信の在り方にも、同じ原理原則に思えます。

だから自分はどうしていくかの個人的な意思決定はとても大事だと思っていて、

リアルだろうとネットだろうと、共通する個人的な見解をそろそろ纏めようとしていて、

だから、「街と人と店」が交錯する商業施設のリアルは見ておかないと、と、フロアの中でポツンと一人立っている、

傍から見たら、誰も認知すらしない、まだ何者にもなっていない自分の姿に思うのでした。

 

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