ツヴォイ式お絵描き068「藤波辰巳」01
青春期には、プロレスの世界から様々な影響を受けましたが、
その中でも1978年からの「藤波辰巳」の「ドラゴン殺法」には、それまでの常識を覆すような衝撃を受けました。
日本のお茶の間への戦慄のデビュー戦とも言える、
WWWFジュニアヘビー級選手権獲得の、
対「カルロス・ホセ・エストラーダ」戦(1978年1月23日・マディソン・スクエア・ガーデン)
で初披露した「ドラゴン・スープレックス」は、当時の私にとっては、まさしく衝撃でした。
実は、当時そろばん塾に通っていた私は、居残りの憂き目に合い(笑)、
帰宅した時には、時間的な都合で、この試合をリアルタイムで観ることができておらず(笑)、
実は、藤波の試合にさほど期待せずに、そろばん塾から帰ってきた私に、
テレビを観ていた弟が大興奮しながら、この試合と藤波の凄さを必死で説明してくれたのでした(笑)。
ただ、当時小学校4年生の弟のこの技の説明はよく分からず(笑)、私は全く違った技を頭の中で想像していました(笑)。
その後に、藤波が凱旋帰国した日本での試合や、プロレス雑誌でこの技の概要を知ることになります。
後から聞けば、藤波は、プロレス用の人形で何度も練習した後、ブッツケ本番で檜舞台のMSGでこの技を出したらしいですね。
人間相手に初めて技をかけた藤波の後頭部がマットにのめり込む様も凄まじいのはもちろん、
反対に、人間として初めて技をかけられた(笑)エストラーダの、フルネルソンに固められたままの受け身が取れない投げられ方も相当で、
真っ逆さまにマットに落ちるエストラーダの姿は、藤波以上に凄まじいものがあります(苦笑)。
当時、いくらプロレスごっこを精通していたとしても(笑)、この技だけは、絶対に誰もできないだろうと思っていました。
(今でもできんわい(笑)。)
この後、藤波は、それまで見たこともないような衝撃の技の数々を惜しげもなく披露し、
ピカピカの藤波時代が到来し、ジュニアヘビー級の戦いを日本に定着させていきます。
新しいことというのは、リスクが付き纏うわけですが、
次々と成立させていく背景には、構築された練習量から彷彿させる説得力があるわけで、
やらないかんよな、とこの技から教えられ続けて、はや45年近く経っている私です(苦笑)。