「自分はできている」自覚こそは滑稽で無様(苦笑)
仕事術関係のビジネス書を読み返していたら、
その中の一つのキーワードに「自己分析力」というのがあって、
それは、要するに「自分を俯瞰的に見る目」とか「自分を客観的に見る目」とかの、
「メタ認知」ができるかどうかが基礎になるそうで、
でも、そんなもん、「自分はメタ認知ができる」と言っている自分は、客観視してみたら果たしてできているかどうかは、分からなかったり(笑)、
「自分はメタ認知などできない」と言っている人は、実は冷静に自分を見ているとも言えるので、実はメタ認知ができているとも言えるわけで(笑)、
メタ認知は、最も高次元の脳の処理とも言う見解もあって、それが基礎と言われてしまうと、私は永遠に「自己分析力」など身につかずに、
生きれば生きるほどに、滑稽で、無様で、間抜けな、裸体そのものを、無意識のうちに世間様にさらしまくっているのではないか?という不安にかられ、
これは、いかん、せめて自己分析の基礎とも言えるメタ認知の素養を身につけようと、
常に自分を客観的に見れるよう、もう一人の自分を想定できるようにしようと、
即実行とばかりに、ちょうどいい場面があったので、これは良い訓練になると実行してみたら、
・・・・・・・・・、
その姿そのものが、滑稽で無様で間抜け極まりないという客観的な現実を付けつけられるのでした(苦笑)。
「自分はできている」という高慢こそは、
「自分はできていない」という謙虚さと直結させねばならないことを学びました(苦笑)。