「勇気」よりも「選択」しなかったことが心残り
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私の中では、クリスマスディスプレイと同じくらいにこの時期の風物詩と思っている、
名古屋駅コンコースの愛知県警年末特別警戒の整列風景。
たまたま通りかかった時に、出くわすタイミングで出くわすもんだから、
それが、どれくらいの確率なのかすら分からないんだけど、
私にとっては年末ならではの場面なので、出くわした時はなんだか気分が高まります(苦笑)。
子供がウルトラ警備隊に遭遇したような「うわ〜」っていう気分になって(笑)、
ホントは、一緒に整列して記念撮影したいんだけど、
それは、さすがに、注意されるんじゃないかと思えたもんだから、
せめて後方からと思って、撮ってもらったんだけど、
でもさ、よく考えたら、お願いしたり、聞いたりしたことすらないんだよな。
もしかしたら、快く一緒に写ってくれるかもしれんし、
もしかしたら、一緒にイェーイとかやってくれるかもしれんし、
もしかしたら、一緒に変顔とかアホポーズとかやってくれるかもしれんじゃんね。
(それはさすがにないと思ってはいるけど(苦笑)。)
そんなお願いしたら不謹慎だとか、注意されるんじゃないかとか、迷惑なんじゃないかとか、怒られるんじゃないかとか、怪訝な顔して断られて恥ずかしい思いするんじゃないかとか、
実際には、今まで一度も聞いてもいないし、聞いてみたという人も知らないし、
なのに、そういうことを勝手に考えて、聞くことや、お願いしてみることすらしていないじゃんね。
そんで、「せめて、後ろからだけでも・・・」なんて、見方によっては、みみっちぃことやってるわけです(苦笑)。
こういう時に、私は、結局、勇気がないんだな、と思い知らされます(苦笑)。
聞くだけなら聞いてみりゃいいのに、恥ずかしいとか、変な風に思われるんじゃないかとか、
そういうことばっかり気にして、
日頃は、勇気だ、挑戦だ、やってみなきゃ分からない、とか言いながら、
でも、いざとなると、勇気もないし、器も小さいし、チャレンジ精神も、当たって砕けろなんていう気概もないんじゃんね(苦笑)。
結局は、何だかんだ言ったところで、自分の枠の中でしか生きてないんだろうな、と痛感させられるんですね。
まぁ、
「一緒に並んで撮ってもいいですか?」
と、実際に聞いてみようとしたところで、
やっぱり、ちょっと考えて、結局は聞かなかったと思うんですけどね(笑)。
大事なのは、「聞かなかった」ことではなくて、
「聞く」「聞かない」の選択を自分でせずして、自動思考してしまっていたことなんでしょうね。
ということは、どっちにせよ、私は、土壇場になると、結果として「勇気」がないのは仕方ないとして(苦笑)、
「選択」をするという人間らしさがないことが問題だということですね(苦笑)。
こういう日常の中にこそ、本性というものは出てしまうものだったりするわけで(苦笑)、
日常だからこそ、今年、残念だったことの一つに色濃く残りそうです(苦笑)。