フィルターを通すと情報は歪むのか?(苦笑)
いくら透明でも、グラスのフィルターを通すと、顔が歪んで見えます(笑)。
先日、ある経営者の方とお会いしていた時に、
その方が、スポーツ界のある著名人の講演を聞いてきた時の話になりました。
話を聞きながら、なるほど、確かにそうだよなぁ、と思ったことがありました。
「スポーツ番組でテレビ解説までしているその人は、
『テレビの解説している手前、本当の本音はテレビであるが故に言えないですね。
言ったらシャレにならないし、テレビ解説の仕事の依頼が来なくなっちゃいますから(笑)。』
と言ってたんですね。
そりゃ、まぁ、確かにそうだよな、と。
それ聞いて、改めて、簡単に入ってくる情報を鵜呑みにして、知ったつもりになるんじゃなくて、
リアルなその場に実際に行って、聞きたい本人に会って、自分で見て聞いて感じなきゃいかんのだろうな、と思ったんだすよ。
だって、同じ人でも、テレビで言ってることと、本音のことは違うんですからねぇ。」
と、まぁこんな感じで話してくれたんですけどね。
確かにその通りで、一つの情報は、人を介すると、その人なりのフィルターがかかるわけで、
良くも悪くも、それは仕方ないわけですね。
ただ、その人が本当のことを言っているのか、ウソを言っているのかは、どこまでいっても分からないし、
仮に、その人なりに本当のことを言っていたとしても、それが果たして本当に本当のことなのか?というのは、
さらにどこまでいっても分からないわけで(笑)、そうなると、もう最後の最後は、
「相手を信じる」
のではなく、
「相手を信じるという自分を信じる」
しかなくなります。
まぁ、これが全ては自己責任というやつなんでしょうけどね。
自分にとって、どうでもいい情報なら、文字通りどうでもいいのでしょうが、
自分にとって大事なことなら、直に情報は取りに行って、自分で自分に確信をもった方がいいということになりますね。
本やセミナーで得た情報や知識をそのまま伝える人もいますが、そんなのより、
自分で実際にやってみた人の話の方が価値があるというのは、
直に取りに行った人のみぞ知る、連続したリアルがあり、そこにオリジナルの価値を感じるからなのでしょうね。
ただ、どんなに直に情報を取りに行ったとしても、得た情報・知識を実践してみたとしても、
自分が取得する以上、どんなにあがいても自分というフィルターはかかるのは仕方ないわけで、
そう考えると、
「フィルターは自分一つになる状態になるまで、どれだけ元に近づけるか?」
ということになるのでしょうね。
中に1つ、透明なグラスというフィルターが入るだけで、これだけ顔面が歪むのですから(笑)。
逆に、よく、
「机上論ではダメだ。」
という話は聞きますが、そういう話を聞く時は、私の場合は100パーセント机上だったりするわけで(笑)、
それをダメだ、と言われると、
「机上論ではダメだという論がダメ」
という屁理屈全開のパラドッグスに陥っていまうので(苦笑)、
私は、机上論は机上論で必要だと思っています。
振り返ると、実践で困った時は、必ず机上論から入って、すなわち本を読んだり、先行している人から教えをこうたりして、
そこからまた仮説を立てて実践しましたから。
というか、このブログ自体も、読んでいる人から見たら、文字情報を受け取っている時点で机上論バリバリです(笑)。
知識情報を得て、実践情報に変えていくというのが適正だと思うし、
まぁ、よくよく考えりゃ、誰もがそうしているんだろうな、とも思うですがね。
まぁ、これも机上論の一つなんだろうけどな(苦笑)。
まぁ、グラスを通した私の顔面を鵜呑みにすることなく、
実際に私に会えば、カッコいいんだよ、と、それだけ分かっといて頂ければ、それでいいです(笑)。