「やる気」の有無を聞くほど理解できないものはない(苦笑)
「お前は、やる気あるのか!?」
と聞かれる時がありました。
「あります。」
と答えると、
「そうは見えないんだよ!
大体、お前はだな・・・・・」
と、その人の主観や感覚値の否定前提で怒り出すか、
「やる気があるだったら、もっとこうしろ!」
と、さらに面倒な行動量を増やすか、楽しんでやっていることを止めさせられることが要求されるのが分かってきたので、
(なぁんだ、俺の「やる気」の有無が知りたかったんじゃなくて、
怒りたいか、自分の価値観通りに動かしたかっただけだっんだ。
っていうか、聞く時点で何か怒ってたじゃんね。)
ということに気づけたので、次に聞かれた時は、正直に、
「やる気はありません。」
と言えばいいんだ、と思って、
ここぞとばかりに言ってみたことがありました。
案の定、もっと怒り出されて、胸ぐら掴まれて、とんでもないことになった経験があります(苦笑)。
以降、私は、どっちともとれないような曖昧で適当な答えをするか、質問に答えないように喋るようにしていましたが(苦笑)、
「他人のやる気の有無」
なんて、聞いたところでよく分からないし、
本来の目的からすると、どうでもいい前置きを、人は何で聞きたくなるのか、
私はまだよく分かっていません(苦笑)。
例えば、いかにもグダグダの見た目で「やる気ない」けど、他人の3倍の行動量だったら、
「やる気」はあるんですかね?ないんですかね?そもそも「やる気」の有無の問題はあるんですかね?
私はいまだによく分かっていません(苦笑)。