自分の「立場観」を振り返り、明確にしておく7月
あっと言う間に7月に突入ですね。
Facebookの「過去の思い出」に2013年の今日に書いた文章が出てきていました。
いま喋っていることと大して変わらないなぁ、と思いながら、
それは、
「一貫している」
と捉えるべきなのか、
「変わりばえのしない人生」
と捉えるべきなのか、どっちなんだよ(苦笑)と思いながら、
まぁ、どっちとも取れるなら、都合の良い方に捉えておこう(笑)、
と思う新しい月です。
あれから7年経って、この期中で最も変化を感じる今年は、
結果として、新たな立場で、新たな場に所属することになっています。
色んなことはあるけれど、「立場観」というのはとても大事だと思っているので、
自分の「立場観」に基づいている文章をもう一度読み直しながら、自分を確認しています。
数カ所に修正を加えて、リライトしようとしたら、言い回しとかは結構な大幅修正になってしまいましたが(苦笑)、
本筋は変わっていないリライト記事です。
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2013.7.1の記事と画像のリライト
自分が所属している集団や団体・組織が気に入らない、
もしくは、自分の価値基準と、どうしても違っていると言うのなら、
一人静かに去るべきだというのが私の見解です。
一人で去るリスクを許容する腹がないのなら、
心の中で何を思っていようとも、全て受け止めて進むべきですね。
私が理解できないのは、自分は変わらずに、相手を変えることにより、自分にとって都合の良い環境にしようとするアホ丸出しの存在です。
それは、不可能です。
リスクを張ってその立場にいる相手を変えるなどというのは、不可能です。
だから、理由が何であれ、そこに所属していることが、そんなにイヤなら、そんなに違うなら、
とっとと自分の理想に向かって自分一人で始めるか、
すぐに始められないのであれば、始められるだけの準備に向かった方が生産的でしょうね。
「いやいや、まぁちょっと言いたいだけで、そこまでのつもりはないよ・・・。」
という程度であれば、黙って今の目の前の与えられたことに全精力を傾ける方が、
自分の未来が開ける可能性やチャンスは、確実に高まると思っています。
お友達同士ならまだしも、生産性が問われる世界や、何らかの成果や目的達成を意図した集まりが前提の場では、
あたかも、人のことを考えたようなセリフを言おうが、正当論を振りかざそうが、
そもそも自分の労力を費やしたくないという人とは、いつまでもお付き合いしてられません。
もし仮に、私がリーダーの立場にあるのなら、
私が、アドバイスを求める人以外の、どうでもいい人からのアドバイス、単なるは大きなお世話です。
聞く耳持たないどころか、聞くに耐えません。
命の時間を奪われるばかりです。
自分から取りに行った情報に基づいて、自分で変わると意思決定しない限りは、方針を変える気は一切ない、
でも結果に対しては真正面から受け入れるというくらいの気概がなければ、そもそもリーダーではないのです。
ですから、リーダー側からアドバイスを求めるまでは、ほっといて下さい、黙ってやることやって下さい、気に入らないなら、とっとと出て行ってくれてかまいません、となる。
仮に、私がメンバー側なら、リーダーが言わんとしていることを確認することははすれ、求められなければ、個人的な意見はしません。
リーダーやトップにアドバイスや依頼などおこがましい。
所属しているのなら、ただただやるのみです。
どうしてもやりたくなかったり、価値観が違っていたなら、黙って去るだけです。
実は、メンバーや社員に与えられた唯一の権利とは、
「辞めること」
だけなのです。
私は、生まれてから今日までの間に、様々な立場を経験させて頂きました。
30名ほどの少人数から、1000人程度までのリーダーとされる立場から、
リーダーを補佐するサブリーダー、
理不尽極まりない要求をされる一番下っ端のメンバーから、
リーダーとメンバーの間に入るメンバー。
アドバイザーの立場や、教える側だったり、教えられる側であったり・・・・・・・。
やりたい・やりたくない、の意思に関わらず、様々な場で、多くの立場で、それぞれの経験をさせて頂けました。
今では、全ての経験に感謝こそすれ、
でも、もう片方でやってみたからこそ、二度とやらないと意思決定している立場もあります。
「得意」ではあるけど、「好き」ではない、という立場があることも分かってきたし、
他人は変えられないし、自分は他人からは変えられないことも分かったし、
自分の意思決定は自分しか決められないことも分かりました。
生きていれば、多くの嬉しい出会いもありますが、
同じ数だけの、人とのお別れもまたあります。
多くの人にとって、何が辛く悲しいかと言えば、自分は他人から必要とされていない、自分は社会や人にとって価値がないと自覚させられる時なのではないかと思いますが、
それは、人とのお別れの時に実感するのではないか?と経験上、思います。
そういう傷ついたり、悲しくなったりするリスクが取れないから、
自分の価値観ややり方を推し進めるだけの意思決定ができないわけで、
今の環境のまま、なんとか居心地よく、かつ自分に都合よく、かつノーリスクで進んでいく為に、
メンバーに関わらず、真顔でリーダー批判を、全力でウダウダと言い続けるのでしょう。
周りの人が自分の思い通り、都合よく合わせてくれたらいいのに、そしたら幸せでいられるのに、と本気で考えているのだけど、
でも、そういう自分に気づいていないという、身体も顔も大人にのに、脳だけは3歳児という、
どうにもこうにも救えない人に陥っている人は、まだいるんだなぁ、と感じることはよくあります。
自分も含めて、複数名揃えば、全て自分の思い通りにいかないのは、当たり前です。
合わせる努力ができないなら、合わせないで済む自分一人の道を進めばいいでしょう。
それに対するリスクを感じて、合わせる場にいたいのであれば、他人と協調したり同調できる自分になる努力をするしかないのです。
必要とされていない能無しほど、口数は多いものです(苦笑)。
口数を増やせば増やすほど、社会から必要とされなくなるリスクを取るよりも、
自分の人生のステージくらい、自分で決めにいくことを考えるリスクの方が、
結果として社会で生きていくリスクは低くなるんだろうな、と、
そんなことを考える7月の初日です・・・・・。