論ずるより前に実績だろ
多くの経営者の方達とお会いしていると、
他の経営者の評価を聞くことがあったりします。
経営者には大きく分けて
① 業績を落としている経営者
② 業績を上げている経営者
の2通りがいます。
その中から、さらに評価の分類には、
「あの人は業績は上げているかもしれないけど、遊びが足りないから人生に面白みがない。話していても面白くない。もっと色んな経験しなきゃダメだよ。」
と評される経営者もいます。
評している人は、業績を落としている経営者だったりします。
逆に、
「あの人は、やれセミナーだ、勉強だ、仲間だ、なんだと言いながら、結局、遊んでばかりいるから業績が上がらないんだよ。」
と批判される経営者もいます。
その批判している人は、逆のパターンで、業績を上げている人かというと、実はそうでもなくて、
やっぱり業績を落としている経営者だったりします(笑)。
真逆の正比例しないから不思議です(笑)。
経営者が、何をしている時が「仕事」で、何をしている時が「遊び」か?
というのは、その人の「経営観」や、「経営者観」によって違うので、私は何とも言えません。
セミナーや勉強会を、「学びの場」にしている人もいるでしょうし、
「現実逃避」「遊びの場」「居心地の良い場」にしている人もいるでしょう。
セミナーや勉強会なら、そういう名称が付いていれば、まぁ、あたかも「経営者の勉強の場」として、他人には通し易いというのはあるでしょうが、
例えば、「映画」や「落語」や「演劇」や「芸術」や「海外旅行」や「買い物」といった、その文字だけ見たら、どう考えても「遊び」と目される事柄も、
きっちりと「勉強」や「学び」の場にしてしまう人もいます。
さらに、
そういう『どんな場面でも、経営に対する「勉強」や「学び」の場にしてしまう人』を見て、
本当はただ遊んでいるだけなのに、「私は勉強している。」と、表層の現象だけ真似ては自覚してしまう人もいます。
自覚なのか、勘違いなのか、よく分かりませんが、本人がそう思い込んでしまったら、そうなので、
そう言い切られてしまったら、それ以上は何とも言えないし、
何が「学び」で、何が「仕事」で、何が「遊び」なのかというのは、
まずは、本人の自覚は自覚であるでしょうし、それはそれで正しいとも言えるかも知れないし、
本人の自覚とは別に、他人から見てどう思うのかはまた違っていたりするかも知れないわけで、
この手の話というのは大変面倒です。
自分で自分のことをどう思おうと、他人のことを見てどう思うかというのは、
言ってみれば本人の勝手なわけですから、勝手に言ってればいいと思うわけで、
だから、結論として、
「私は何とも言えません。」
となってしまいます(苦笑)。
まぁ、私の自論としては、
「学んでいる」か「遊んでいる」かどうかというのは、
その行為そのものをどれだけ論ずるよりも、結果として実績が上がっているか、下がっているかでしか証明ができないと思っています。
セミナーしかり、研修しかり、読書しかり、映画しかり、芸術しかり、旅行しかり、
対象が何であれ、良くも悪くも、「結果による証明」でしか他人は判断ができないのです。
そうなると、根本は、
①「本質を見る心の目を持てるかどうか」
②「どこからでも学ぶ謙虚な気持ちがあるかどうか」
③「自分に置き換えることができるかどうか」
の能力になってくるのではないか?と思うわけですが、
じゃあ、それだけでいいのか?となると、また面倒なことがあって、
「ビジネスにおける結果」というのは、経営者の能力の前に、「ビジネス環境」というのがあって、
そっちの方が経営者個人の能力など「への虫」でもないほどに大きく影響するからです。
私は、子供の頃から見続けてきた漫画や、映画や、プロレスから間違いなく大切なことを学んだ自負はあって、
よく置き換えたりして話したりしましたが、
廃業した時は、そんな戯言なんぞ、誰も相手しないどころか、聞く耳すら持たれないし、聞いてくれたとて、説教やお叱りに至ることも珍しくありませんでした。
ところが上場したら、同じこと言ってもまるで反応が違うどころか、どうしたらそんな視点が持てるんですか?教えて下さい。となるわけです。
その違いは何か?といえば、単純に「実績の違い」であって、
じゃあ「実績の違い」は何か?と言えば、
衰退業界の「傘屋」から、時流の「リサイクルショップ」に乗り移っただけといえます。
物事を見て何が本質かを考えたり、置き換えたりする視点が、大きく変わったわけではないのです。
それほどまでに、どの「ビジネス環境」に身を置くか?というのは大きいのだと確信している現在です。
だからと言って、誰もが
「はい、ここで今のビジネスは終わり、明日からはこの仕事。」
とできるのか?と言えば、現実的には難しいわけで、
そういう難しいことを、私が実際に経験させて頂けたということは、
私の場合は「いかに運が良かったか」
に尽きると言えましょう。
お仕事で、経営者やビジネスリーダーへのアドバイスとして、
私はその人の「運」など分からないし、「環境を変える」ということは現実的ではないとなると、
運がどうあれ、環境がどうあれ、「今できる効率的な努力の方向性」で打ち合わせしたり、
将来どんな場面でも適応や応用が効くであろう研修内容にフォーカスしていく、ということにならます。
私の研修の出口は、「業績アップ」一本です。
人間性がどうだとか、人としてどうあるべきかというのは、その向こう側だと思っているし、
そもそも、私にそんなこと語れるほどの力量も達観もありません(苦笑)。
というか、そっち方面で、何か聞かれたことありません(苦笑)。
業績は上げているが、遊びが足りないと言われる経営者もいます。
遊んでばかりいるから業績が上がらないのだと批判される経営者もいます。
経営者が何を学び、どう遊んでいいかどうかというのは、
その人の実績が上がっているか下がっているかでしか、他人に対して証明ができません。
セミナーしかり、研修しかり、読書しかり、良くも悪くもそういうことでしか、他人は判断ができないのです。
だから、私の場合は、「私には何とも言えない。」という結論になるわけです。
だとしたら、「経営者としてどうあるべきか?」を自ら論ずる前に、
まだ自分よりも実績のない誰かから「論じて下さいませ。」と聞かれるまでは、先に何らかの実績を上げるしかなく、
それが、よく言われる
「実績のない奴は喋るな。」
という端的な言葉になるのだろうなと思うわけです。
ということを考えながら、自分がいかに考え抜いたお仕事先での研修内容やプログラムであっても、
見た目に、どうしようもなくアホにしか見えない現象は、
自分から何をどう言おうが、他人から見たらただアホなだけであって(苦笑)、
ただ単にアホがアホなことをやっていると見られとしても、
それはそれで仕方なく、
だって、まぁ、まだ、何の実績もなく、何の実力もないわけだから、要するにアホなんだから、それが適正な評価とも言えるわけで、
それはそれで仕方ないといえるわけですね。
私は私で頑張ります(苦笑)。