格言は言う人の実績に比例するんだろうな

「欲すれば手に入る。」

というような格言を聞く時もあるし、

「追えば逃げる。」

というような格言を聞く時もあって、

 

どっちも格言なんだから、格言たる由縁はあるわけだけど、格言同士で二律背反することはあって、

結局どっちなんだよ、と思ったりすることはあったりして(笑)、

どっちも格言になるということは、それなりの理由があるわけで、

その理由は何なのか?と考えてみると、

その言葉そのものに説得力があるのではなくて、

その言葉を言った人に説得力があるからなのでしょうね。

じゃあ、なぜ説得力があるのか?というと、任意の認められるだけの明確な実績があるからなのでしょう。

 

言葉だけなら、言葉を覚えれば使えるわけで、

何かが、手に入った時は「要するに、欲すれば手に入るんだよ。」とか格言めいたことを言えばいいのだろうし、

手に入らなければ「結局は、追えば逃げるんだよ。」とか格言めいたことを言って纏めてしまえば、それなりに聞こえると言えば聞こえてしまうわけで、

使いたければ、状況によって覚えた言葉を適当に出せばいいのでしょうから、

まぁ、都度、都合の良い時に適当に使ってればいいことなのでしょう。

 

裏を返せば、どんな実績があるのかよく分からん人が、格言めいたことや、さも分かったような本質論を語ったところで、

何の説得力もなく、ただ、なんか知らんけど、覚えた言葉を喋っているというだけ、ということになんでしょうね。

 

まぁ、そういうのは、「人生の格言みたいなのはありますか?」と、人から聞かれた時に、あれば言えばいいだけのことで、

自分からわざわざ言うことでもないのだろうなとは個人的には思います。

(というか、私はないので「ない」としか言えないけど(笑)。)

 

まぁ、「欲すれば手に入る」のか「追えば逃げる」のか、どっちが正しいのかは、私は知りませんし、

使うとしたら、都合の良い時に都合よく使っている程度ですが、

その前に「手に入れたいものは明確に具体的にあるのか?」という問題があって、

改めて自らに問うと、何となく曖昧で抽象的で聞こえのいい言葉程度は言えるのですが、

具体的な数値とか映像で固まっているかといえば、かなり適当なことが多いわけで、

そうなると、「手に入る」も「逃げる」もへったくれも、実は最初から何もないんじゃねーか、と自覚させられるわけです(苦笑)。

 

そうなると、いちいち何かをさも考えているとか、何かに向かって生きているとか、そんなご大層なことを自分から言わずに、

そもそも、何も考えてないし、刹那的に感情で動いているだけだし、ただ無意味に生きて死んでいくという味気ない人生を歩んでいるだけです、と、

割り切って日々を懸命に生きているだけの方が、結果として、誰もが認めるような実績ができて、気づいたら他人から

「どうしたらそんなことできたんですか?」

「それをやり切るだけの人生の教訓や格言はありますか?」

と聞かれて、その時に初めて考えればいいことのかも知れないね、とも思うのです(笑)。

 

というようなことを、

手に入りそうで手に入らない、遠近アホ画像を撮りながら(笑)、

この場合、何という格言がしっくりくるのか?と考えながら思うのでした(苦笑)。

 

格言は実績を出してから。
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