スーツ嫌いを検証してみたら自分がアホなだけだった(苦笑)
今日はスーツの日でした。
やっぱり嫌いです(苦笑)。
いつからか、何でこんなに嫌いになったのかを改めて考えた時に、
① まず、「ネクタイをいちいち締めなきゃいけない」「シャツのボタンを首元まで一つ残らずとめなければならない」といった所作に代表される、着用する際の時間が、
私のいつものグダグダ服装の時より格段に増えて面倒くさいったらありゃしない(笑)。
要するに、たかが外出というために服を着るという行為にそこまで時間をかけたくない。
② さらに、それだけ人生のコストをかけるわけだから、
そういういくつかの面倒なハードルを一つ一つ越えてスーツを着るに耐えうる対象、
すなわちスーツを着る目的が自分にとってどれだけのメリットがあるか?を考えた時に、
本当に着る手間をかけるに等しいと思えるだけの対象は、一年のうちに一回あればいいという程度のライフスタイルになっている。
コストがかかるというのは、生きていること自体にかかるとも言えるのだから、
正確に言うと、そのコストをかけるほどのメリットを、行く場に感じられなくなってきている。
費用対効果に対する私の価値基準が合わない、ということなんでしょうね。
いや、仮に、もし、スーツを着て、その場に行ったら、それだけで1,000万円くれるとか(笑)、
「スーツを着るのが条件なんだけど、1時間で300万円の講演してくれませんか?」と言われたら、二つ返事ですぐに飛びつくし(笑)、
あるいは、「オードリー・ヘップバーンと会えるけどスーツ着用」と言われたら、迷うことなく着るし(笑)、
スーツ着てけば、ステキなお姉様達にモテモテ・チヤホヤされて、もう桃源郷並みに大変、みたいなことが予測されるなら、絶対着ていくだろうけど(笑)、
現状、当然ながら、そういう場は一つもないということになります(苦笑)。
③ じゃあ何で着てんだよ、となるわけで(苦笑)、
そうなると、せいぜい、その場における、礼とかマナーとかTPOとかルールの為にとか、「相手にとって失礼がないように」みたいな話、となる。
それはそれで、その国や、地域やコミュニティの「しきたり」や作法なのだなら仕方ないとも言えるんだけど、
でも、それ自体、いつかの時代に、どっかで誰かの価値観に基づいて、誰かが考えたことには違いないわけで、
そんな、いつ、誰が、どんな目的で決めたのか、よく分からん縛りや規制に合わせて、
何でこっちの人生コストを使わにゃならんのだね?と、やっぱりなる(苦笑)。
④ ここまで書いてきて、よく分かってきたのですが、
要するに私が私にとって都合よく生きていたいだけであって、どう考えても私のワガママなだけですね(笑)。
それを言うなら、スティーブ・ジョブズくらいの実績出してからであって、
そしたら「礼だ、マナーだ、失礼だ」などと言われることもなく、年中同じ黒のタートルネックとジーンズスタイルでも、
「その人らしさ」と言えるだけの説得力はあるんだろうけど、
私程度の人間は、
「あなたに会う為に、最低限の身だしなみとして、ここまでは時間かけました。シャツもパリッとアイロンかけました。靴もピカピカに磨いてきました。そうするコストをかけるに相応しいあなたです。」
ということを、見た目で分かる外見で表現しないと、会ってもらえる理由がないわけで(苦笑)、
「服装なんて関係ないよ、私は私なのだから。」なんていう、あたかも顔が売り、誰もが知ってるほどの著名人ならまだしも、
その他大勢程度の私が、言えることじゃないのだから、
せめて身だしなみだけでも人様に失礼のないようにしとけよ、このクソ凡人が!
という程度のことなんでしょうね(笑)。
はい。個人の趣味嗜好や「好き・嫌い」や価値観なんてのを吹聴する前に、
黙って、ちゃんとスーツ着ときます(苦笑)。
こうやってみると、個人的な「好き嫌い」の見解を、理解してもらおうとしてベラベラ喋るってのは、
いかにカッコ悪い自分を露呈しているのかってのが、よく分かるな(苦笑)。