ツヴォイ式お絵描き091「スティーブ・マックイーン」28
映画の観方というのは人によって様々です。
ジャンルを問わず幅広く観て、様々な角度から感性を磨く人もいれば、
絞り込んだカテゴリーを徹底的に深掘りして、
制作に纏わる意図や背景や思想に至るまで深掘りすることで物事の本質を見る目を養う人もいれば、
単なる娯楽や趣味として楽しむことこそが映画の本当に時間という人もいるでしょう。
私の場合はかなり偏りがあると自覚しています。
影響を受けてしまった、映画作品・監督・俳優・演技・演出・場面・年代・背景・と、その要素は様々ながら、
一つの作品の一つの場面や、一人の俳優の演技を何度も何度も数えきれないほどに観ては、
新たな発見や、瞬間に込められた製作者の隠されたメッセージを後から知ったり、
時間の経緯と共に、同じ映画からもまるで違うことに観得る自分に気づいたりしては、
その背景やバックボーンや制作秘話に至るまで掘りまくってしまう傾向があります。
それは、こうして「スティーブ・マックイーン」の映画のワンシーンを描いまくっては、改めて気づいたりもして、
この
「シンシナティ・キッド」「シンシナティ・キッド」(原題:The Cincinnati Kid・1965年・アメリカ映画)
に限っては、共演の「アン=マーグレット」の色っぽさにマックイーンは、まんま食われる(笑)というのが、私の私見なわけですが(笑)、
まぁ、そうやって、共演のスターにも興味は連鎖していってしまいます。
人の映画の観方は、話していると、まんま、経営観や人生観の、広さと深さ・センスや感性という、圧倒差が垣間見えるように思うわけですが、
時に、圧倒的な鑑賞数で「幅広く」、かつ、一つ一つに対する洞察は「奥深く」というとんでもない人に出くわして、
そしてそれは、その人の人生の豊かさや成果と比例しているように思えるのは、果たして偏見か本質かどっちなんだろう?と時に思ったりします。
同じ年齢とキャリアを重ねるなら、広さも深さも、豊かになっていく人でいたいとは思うものの、
まだまだ遠いと自覚しながら、
結局は、やはり「アン=マーグレット」の、小悪魔のような可愛らしさと色っぽさに翻弄されてしまう自分に落ち着く現実から逃れられません(苦笑)。