「やる時はやる!」なんて言えないなぁ(苦笑)

「(ウチの部署は)やる時はやる!遊ぶ時は遊ぶ!っていう、そういう感じなんだ!」

って、女性を前に力説してる若いビジネスマンがいて、

その言葉聞くと思い出すんだけど、

そういうこと言う人で、本当に「やる時はやってる」人って、見たことねぇんだよなぁ(苦笑)。

 

まぁ、何をもってして「やる時」と「やること」と定義してるのか分からないのだから、断定できないんだけどね(苦笑)。

総じて、たいした成果を上げていない人が、自分の都合で自分に付き合わせたい何かがある時に、その言葉をよく使ってて、

若い頃の私は行きたくもない場所や事によく付き合わされたんで(苦笑)。

 

成果が上がらないってことは、時間当たりの生産性が低いってことになるわけで、

そうなると、やる時間の量を増やしてカバーするしかないから、

「やることやってから、遊ぶしかないんだよねぇ。」

と言うしかなくて、私のような大した能力も才能もない凡人は、

そうすることくらいしか、目論む成果なんて追いつかない。

 

まぁ、振り返ると、結局は遊んでなくて、ずっと仕事してた人が成果を上げてたからなぁ。

っていうか、ずっと仕事してるんだけど、遊んでるように見えて、

遊んでるような時も、仕事に置き換えられるような話してて、

言ってみれば、オンとオフの境目が良く分からない人で、

それを肯定せしめる圧倒的な実績が付いてきてたから、そういう人が私の中で「できる人」になってるんだろうな。

 

だってさぁ、やってるとか、やってないとか、そういう心情をどんなに力説しても、

結局、結果でしか評価されないじゃんね、社会なんて。

実績上げた人が「結果じゃないよ。」と言えば様になるけど、

実績もない奴が同じこと言っても、誰も相手にしないじゃんね。

そんなもんだと思うんですよ。

 

だから、まぁ、実績をどの辺まで行こうとしてるのか?も、「やる時はやる」に関わってくるから、

その若者が力説していたことが、正しいのか、言いたかっただけなのかは、聞いてるだけでは断定できない、となるわけなんですけどね(笑)。

 

私の経験則だけで言うなら、

家業の赤字を黒字にひっくり返しに行った時や、上場に向かう過渡期のことを思い出すと、

あれが「やる時はやる」だとしたら、あんな状態は、ヘタレな私なんて、もう二度としたくないですもん(苦笑)。

 

だから、私なんて、

「やる時はやる!」なんて、そんなこと口が裂けても言えない(苦笑)。

本当に「やる」人というのは、私がこんなブログ書いてる間にも、

ずっと座り続けてる店頭の置物オブジェのごとく(笑)、

淡々と愚直に、本来の何かを愚直にやってるわけです。

そんな奴には敵わない。

「僕も頑張るぞ!」なんて口が裂けても言えない(苦笑)。

 

だとすると、私が力説するとしたら、

「やってるかやってないか、遊んでるか遊んでないか、よく分からない程度にグダグダに、でも成果だけはシコシコ出たら嬉しいな。」

になるけど、それは力説とは言わないだろうし、

アホ丸出しになるから、結局、言わないんだろうな(笑)。

 

そうなると、口に出して言うだけ、あの若者の方がマシですね(苦笑)。

 

やる時もグダグダでいたい(苦笑)。
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