本人が訴える感情よりも事実の評価(苦笑)

「楽しい」と口では言いながら、なんだか辛そうな人もいる。

「大変だ、忙しい」と口では言ってはいるけど、とても楽しそうな人もいる。

「私は幸せ」と口では言いながら、不幸せそうな人もいる。

「私は不幸だ」と口では言うけれど、どう考えても自分がそれを選択し続けている人もいる。

 

 

その本人が口から出す言葉や、書いたりしている文字よりも、人はその人のリアルな行動から本当の感情を察するのだと思う。

本人が、他人にどう見られたいかをどんなに意図して、口で言ったとしても、文字を書いたとしても、

そこに相手が無理を感じてしまえば、それは、なんだか無理をしていると思われてしまう。

そういうこと、自分が相手にそう思ったり、相手から自分がそう思われたりすることに時々出くわす。

 

ということは、楽しいだの、辛いだの、嬉しいだの、悲しいだの、自分の感情をいちいち訴えては、

他人を自分の感情に引きずり込もうなどという迷惑で子供じみたことはせず、

自分の感情を訴えたいのは飲み込んで、ただただ愚直に行動している事実のみ伝えて、

それをどう感じるかの判断は人に委ねる方が潔く、自然体で、等身大で、好感が持てるのではないか?と思うのである。

 

ということを、

コーン器具がケツにブッ刺さって、悶え苦しむ程に痛がっている表情を演じてみたところで、

どう見ても、やりたいからやってんだろ、テメーが単に楽しいからやってんだろ、と見られるに決まっている、

自らのアホ画像を見ながら思ふのでした(苦笑)。

 

果たして、この事実は、無理しているのか、本人らしいのか、

どう受け止められるのかの評価は、全面的に受け入れるしかないと、覚悟だけはしています(苦笑)。

 

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ページの先頭へ