成り行きを楽しむには「成る」前提があることなんだね
台風の影響で、昨日の夜の飛行機が欠航となり、一日余分の遠征となりました。
今日の飛行機もどうなるか心配だったので、新幹線を乗り継いで名古屋へ戻る道中です。
今回はスケジュールに一日の余裕があったのと、一日分の下着の余裕を持っていたので(笑)、
慌てることなく、何とか動くことができています。
一日余分に世話になった遠征先の皆様には快く対応して頂き、お世話になりました。感謝しています。
予定していたことや、計画していたことがあって、でもその通りに動いていかないと、
それは当然で仕方がないことだと頭で分かっていても、
何だか不安になったり、慌てたり、あたふたしたり、
「何だかんだうまくいかないなぁ。」と、多かれ少なかれ思ったりします。
でも、そのおかげで、
いつもとは違うところは行けたり、
いつもと同じ場所でも時間を気にせず過ごせたり、
特別観たかったわけでもない映画を選んで、グダグダしながら4本連続で観れたり(笑)、
ある人の違った一面が見れて、新たな視点に気付けたり、
そうこうしながら、知らなかったことをしれたり、新たな視点に気づいたりしていたことに気づくわけで、
そういう体験や経験ができるというのは、
もともとの自分の予定や計画、すなわちそもそも自分が良しといている時間の枠組みから外れるから得られるわけで、
予定や計画通りに行くことが良いのか、
予定や計画はあくまでそれそのものであるのだから、その通りでもないことが良いのか、
あるいは、どちらがどうというわけではなく、どちらも良いこととも言えるわけで、
ということは、予定や計画は前提であり、その後に起こる全ては良しという考え方が正しいという概念が芽生えるわけです。
新幹線の窓から見えた、感動するような夕日に煙る富士山の姿を見たときに、
今回の長期遠征の終わりに、今回の様々な出来事が象徴されているような気がして、
ここまで、書いたような内容を思ふのでした。
人生というのは、まるでライブのように例えることができて、
もし、ライブで演じる側でいるのなら、無策でステージに立つことはないわけで、
でも、その通りに行かないからこそ、その場だけでしか得られない何かがあるからこそ、
ライブの価値と言えるのでしょう。
仕事として、プロとして、人と人とが関わる時間があるとすれば、
特にこれからのビジネスに対する考え方はそうでなければならないのだろうな、
と、そう思いながら、
自分の予定を確認してみたら、明日からまた大阪方面へ遠征の予定です(笑)。