消費と無駄使いと正当性の狭間に経済の本質がある(苦笑)

旅先で、骨董市みたいなのに不意に出会って、
不意に何かあるかなぁ、と見たくなって、
ヨーロッパ系のキーホルダーやらピンバッジやらが山のようにあるのを、嬉々として漁りながら、
不意に、意味不明ながら、出会いを感じてしまうモノに出会ってしまうと、
やれ、旅の思い出とか、自分のお土産だとか、今日の日を忘れない為の記念とか、こういうのは出会いだ、とか、
そういう、あたかも真っ当な理由をつけて、
こういう、ちょっとした、必要でもなく、意味不明で、何に使うのか分からないモノを消費してしまうのだけど、
今や、どこの旅だったのか、いつのお土産で、何の記念で、どこで出会ったのか、全く忘れている、
キーホルダーや、バッヂや小物や小さいモノが、どんだけあんねん(笑)状態を考えると、
人の消費と心理と経済の一つのヒントが見えてくる、
と、また自分への正当性をまさぐって、行動こそが勉強だ、と自分を納得させている自分がいます(苦笑)。
調べると、フランスワインのビンテージの樽型キーホルダーのようですね。
これは、「今日という日のモノ」と、ちゃんと覚えておくようにします(笑)。