「好き」「嫌い」の評価の前に存在する認識(苦笑)
研修の場で、
「まず知ってもらうには、『普通』であっては知ってすらもらえない。スルーされるだけ。
だから、『異常値』を出さないと認知すらしてもらえない。
認知されてから、初めて「好き」「嫌い」の認識が相手に生まれる。
だから、やってみたことが良かったか悪かったかを知る為には、やってみることしかない。
私はそう思っています。」
とか何とか言っているのですが、
言ったはいいけど、当の本人の私が、最近、写真を撮る時は、「普通」の写真しか撮ってねぇよなぁ、と反省して、
色んなポーズを撮っていたら、気づけば、昨今ではとても公には出せない程度のポーズになっていって(苦笑)、
(これくらいしかまでしか出せない程の程度(苦笑))
せいぜいこれくらいまでなら大丈夫かな、と思って撮ったその視線の先には、
新幹線改札の出口で、人を待っていた数名の人達の姿が目に入ったのですが、
そこには、明らかに「冷ややかな視線」を感じました(苦笑)。
「好き」「嫌い」という判断の前に、「冷ややか」という選択もある・・・・・(苦笑)。
やってみたから、よく分かりました(苦笑)。