誤魔化しの効かない歳の自分を客観視できる勇気は持っていたい
古いレザージャケットの、朽ちかけたブランドタグや、
年季の入った分厚いレザーの皺や、鈍い光沢、金属パーツの錆びれていく様に、ついついやられてしまいます。
だから何なんだ?と言われてしまえばそれまでなんでしょうけど(苦笑)。
人間も、質の良いレザージャケットの年季が入るように、歳を重ねるほどに人生の皺や傷が増しながら、
艶やかで色っぽく魅力が増していくのが理想だと思うわけで、
単なるしょぼくれたオッさんになるか、魅力的な人生を積み重ねるサンプルの一人になるのかは、
取り返しも言い訳も効かない、滲み出る人生のリアルが物語ってしまうわけで、
そうなると、ペラッペラの人生しかない私のような人間は、どうしようもないので、
残る手は、こうして、50年代からの他人の人生の手を借りて(笑)、
せめて表層だけでも取り繕おうと、姑息なことを考えるわけです(笑)。
恐らく、このあたりの歳から、もうどうにもこうにも誤魔化しが効かない頃になるだけに、
どれだけの人生で、これからどういう人生にしていくのかは客観視できるだけの勇気は持っていたいと思っています。
そろそろ涼しくなってきて、新幹線の中は少し冷えるので、無理すればレザーに袖を通せるのが嬉しいです(笑)。