「できいてる・できてない」の自覚と他者評価の狭間をいかに認識するか
足が上がると思って、ポーズを取ろうとしたら、
全然足が上がらなくて、ふらつきました(苦笑)。
当たり前に「できる」と思っていることが、できなかった時に、できなくなったことは自覚しますが、
問題は、自分で「できる」と思っていることが、他人からの評価はどうあれ「できる」自覚がある時の方です。
特に経営というのは、人によって定義がバラバラなだけに、よって曖昧であるが故、
経営論を語るときは、一つの「型」や「モデル」を前提としない限りは、
自論や主張を繰り返すだけの不毛地帯と化すことはよくあります。
自分は経営ができると自覚していても、他人からできていないと評価されることはあるし、
自分はまだできないと自覚してもがいているいても、他人は立派にできていると評価する時もあるでしょう。
不思議と、自分はまだ「できていない」と自覚して勉強している人の方が、他人からすれば「できて」いたりします。
考えてみれば、当たり前の話で、
「10」やって「できた」と自覚している人がいても、
すでに、「100」ができている人から見たら、まだ何もできていないわけで、
「10」の人がどんなに喚き散らしたところで、「100」の人からは、実は相手にもされていないだろうし、
同様に「100」の人は、「1000」の人から見たら、まだ何もできていない人になるのでしょう。
そう考えると、どんなに、何かの領域で「できている」と自覚していたとしても、
誰かから、聞かれたり質問されたり、依頼されるまでは、ただ愚直に目標に向かって突き進むだけで、
やたらに教える側になど回らない方がいいとも言えるし、
あるいは、「社員一人の会社の部下育成術」とか、
「部下がいきなり30人になった時の緊急対処法」とか、
具体的な実績に基づいたフレームにした方がいいのでしょうね。
私の「廃業~上場まで」というのも、一つのフレームなのかも知れませんが、
あまりに広すぎて、何が何だか分からないとも言えるわけで(笑)、
そもそも、「廃業から上場」とグーグルで検索してところで、一つもヒットしないことに最近気が付いて(笑)、
そんなこと、誰も考えもしないし、やろうともしないからこそ、いないのだろうということが予測されるわけで、
ということは、知り合い以外、誰からも相手されないということに等しいわけだから(笑)、
希少性はあるにせよ、希少性がありすぎて「誰からも発見されない珍種なだけだね」という程度の、
無意味なキャッチということにもなります(笑)。
ただ認められたい、是認されたいというだけなら、ギャアギャア言ってればいいのでしょうが、
「誰に何を伝えたい」と本当に思っているのなら、
そのセグメントは具体的で明確にしておくことは、とても大事なのでしょう。
私の場合、少なくとも、
「足があがると思ったら、全然上がらなかった」
という自覚だけは、今のところできていると言えます(笑)。
そんなようなことをベラベラ喋っているYouTubeをアップしました。
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まるで自分に言い聞かせているような論法を客観視するにつけ
まだ何者でもない自分としては、謙虚に努力だけはしようと思うのでした(苦笑)。