「個性」と「個性的ビジネス」は全く違う
レザージャケットのバックペイントを、カッコ良く撮ってもらおうとしたら、
そもそも後ろの髪の毛が跳ね上がっていて、間抜けでした(苦笑)。
「カッコいい」のと「カッコよく見せたい」のは違うわけで、こういう時に露呈して、残酷ですね(苦笑)。
「個性的なビジネス」と「個性的」は似ているようで、全く異なります。
「ビジネスの独自性」と「独自性」も似ているようで、全く異なります。
その明確な境目は「ビジネス」を前提にしてるかどうかだと認識しています。
そもそも「個性」や「独自性」というものは、人が生まれたら細胞一つ一つが異なる故に、
生まれつき、全ての人が既に手に入っていて、いちいち探す必要のないものという認識を私はしています。
よって、「自分らしさ」とか「自分の個性は」とか「自分の独自性とは」とかを、探求したり思い悩むことそのものは、不毛であり、
ただ生まれてきて、生きて、死んでいくことさえしていれば、それそのものが「個性」「独自性」は手に入っている、というからつべこべ考えなくていいよ、という認識です。
よって、「私は私!」などと、いちいち言わなくても、すでに「私は私」に決まっているのだから(笑)、
要は、既に前提なのだから、考えなくても言わなくてもいいだろ、別の感情があって訴えているのだろ、と、思ってしまう傾向があります。
(ちなみに、昔、「私はビアノ」という歌を高田みずえさんが歌っていたことはあった(笑)。言葉尻だけを捉えれば、それはそれで圧倒的な独自性である(笑)。というか、独自性の前に「人」としての領域ではない(笑)。)
ということを前提にするなら、
「個性的なビジネス」「ビジネスの独自性」
という課題に対して、必要な要素は何か?、ということになるわけで、
それは、言うもがな「ビジネス」という単語になります。
要するに、あたかも
「人とは違ったように見える『個性的ビジネス』」
という、他人とは違ったことをやりたいという欲求を叶える正体は、
「『本来のビジネスの原理原則』をどう捉え、学ぶのか?」
という、誰もがやるべき本来の基礎勉強に行き着くという、皮肉とも言える出口に行き着くことになります。
「違い」を求めるほどに、「違わない原理原則」が必要ということですね。
問題は、誰から何を学べばいいのか?ということになる、と私は思っています。
そういう考えを前提に、その課題を解決すべく効果的な方法をベラベラ喋りまくっている動画を
YouTubeにアップしました。
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なんか喋っていますが、結局、「カッコよく見せようとして」、後ろの髪が跳ね上がっいる詰めの甘いオッサンが喋っていることには、説得力がないという(苦笑)、
いかんせん、自分の「個性」そのものが社会適応できていないのではないか?という欠落を目の当たりにする結果になりましたが(苦笑)。
それでも良かったら、是非観てください(笑)。