「全部」とはどこからどこまでのことなのか?(笑)
中身は全部正直に見せた方がいいと口では言えるし、
私も全部見せた方が良いと思ってはいますが、
全然と言っても「全部」の定義は人それぞれ色々とあるわけで、
同じ「全部」と言っていても、自分の基準の「全部」の範囲というのはあるわけで、
そうなると「全部」というのは、実は全部ではないということになる(笑)。
確かに、まぁ、コートをはだけて中身を全部見せるというのを、
「全部見せます」
と言えるといえば言えるのだろうけど、
中身が全裸だと、それはいくら何でもやり過ぎだろ、となる(笑)。
(っていうか、犯罪だけどな、それは(苦笑))
思っていることや、考えていることを、本当に全部口に出して言ったら、
恐らくは、一般社会では不適合になる可能性は誰にもあるわけで(笑)、
社会で生きるということは、ある意味、「嘘をつきながら生きる」とも言えるわけで、
私は、人から、「思っていることを全部言ってみろ。」と言われて、
それなら、とばかりに言って良かった試しがないだけに(苦笑)、
なおさら、そう思うわけです(苦笑)。
「全部」というものの、その時々と相手によって、尺度を予測するというのが、
社会で生きるという意味なのかもしれませんね(苦笑)。
私はこれを「全部のTPO」と名付けています(笑)。
ちなみに、私は、経験上、他人の言う「全部」を察することが、苦手だという自覚があります(苦笑)。