この2か月で自覚した「私は暇が命」と「私のクソ野郎加減」(苦笑)
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久しぶりに街へ出ました
4月~5月、この二か月間、ほとんどの日を引きこもっていましたが、久しぶりに名古屋駅地下街の本屋さんに行って、買えなかった本や雑誌をまとめてどっさり買ってきました。
GW中にアマゾンで頼んだ本が、コロナの影響から物流も円滑でなく、届くまでにヤキモキしたので、通常に戻るまでは本は本屋さんでリアルに買おうと思いました。
外に出る時には、通常は不謹慎な私でも、まださすがに一応マスクは装着します(笑)。
シャッターの閉まっていた地下街も開けている店舗がほとんどになり、近くて遠かった通常社会を改めて感じながら歩きました。
ブログをサボって何をやっていたか
この二か月、どうせ引きこもるなら徹底気に引きこもってやろうと思って、
①Facebookライブの発信
②zoomでのリモートワーク
③オンラインサロンのzoomミーティングはじめ情報発信
の三つを徹底的にやってみた二か月でした。
これがまた面白く楽しく、新たな気づきや発見もあって、集中し過ぎたせいか、不慣れなためか、予想以上に忙しく、
このブログの更新はすっかりご無沙汰になりました。
こうなると、果たして暇だったのか忙しかったのか、よく分かりませんね(苦笑)。
最も大きな価値の一つは「暇」(笑)
しかしながら、次の自分のビジネスの新しい展開を考えていた時期でもあったので、こういう状況でもなければ、まとまった時間も恐らく取っていなかったと思われ、
この「暇」というのは相当に有効な「時間」の在り方だったのだろうと思います。
新しい何かを始めたり、何かを創ろうとする時は、圧倒的な「暇」を創り出さないことには、
もともとグウタラな私には無理だということがよく分かりました(笑)。
「暇」は間違いなく「価値」です(笑)。
思い起こせば、私にとって新たな価値とステージが訪れた時は、必ず「暇」が前提としてありました。
2月から振り返ってみると・・・
少し振り返ってみると・・・・・、
2月から入ってきた新型コロナ脅威のニュースは、対岸の火事程度にしか思っていませんでしたが、
2月26日に行われた、毎年行われる大規模な講演会で登壇させて頂いた際に、明らかにそれまでと違う当日の会場の雰囲気と、
当日に予定されていた懇親会が急遽中止になるなど、その風景と時間の経過に、それまでとは違う得体のしれない違和感をもち始めました。
3月31日に、私の本の出版の話が上がっていた出版社さんの、まさかの倒産のニュースが突然入りました。
その出版社さん主催の前出の講演会に出ていた関係で、その講演料は入らないことはその時点で諦めて、そもそもお世話になっていたのでその諦めは簡単でしたが、
そんなことより、なんだか大変な状況が、リアルな現実として実感してきて、倒産の根本的な原因がコロナではないにしても、自分の今後について少しづつ緊張感が高まってきました。
同時に志村けんさんの突然の死去が発表され、知っている人の具体的な情報に、当然の心理ながら世間の影響は大きく、その動きは一気に高まりました。
世間の動きより何より、それは、4月2日~3日に予定していた私の主催のビジネス実践塾に対して、キャンセル依頼が相次いだことで、私を私の現実の問題として認識させました。
結果、13名の参加予定が、6名になりました。
心に刻まれた千切れるようなあの声
キャンセルの連絡が入る度、宿泊予定先へ連絡を取るわけですが、その際に、お相手の状況を聴きながら、その胸中を察しながら、
「緊急事態宣言が発動されない限りは、全キャンセルはいたしません。最悪2名になっても何が何でも当日はお邪魔しますから。」
とお伝えしたところ、お相手の若い女性スタッフの
「ありがとうございます。」
という、いまにも千切れそうな声が脳裏に突き刺さり、
「こんな状況のまま、今後何があろうと、絶対にこのまま終わらせない。終わらせてたまるか。」
という気持ちを強く強く認識したのを覚えています。
緊急事態宣言での踏ん切り
その合宿を無事終わらせた直後の4月6日、緊急事態宣言が発表されました。
私は、今年は3月と4月の仕事の予定は、別の理由もあり、そもそも空けてありました。
5月以降の新たな構想を現実にしていく為の期間として予定していました。
それは、出版と、リアルの場を前提とした構想でした。
私にとって、今回のコロナによって何が大きく影響したかと言うと、5月以降の構想が全て白紙になった、という程度といえばその程度ということになります。
他人からの心配は真に受けない
何人かの方と、近況を電話で話すことになるのですが、別件が前提ではあるものの、
「ツヴォイさんはどぉ?」
となれば、都度、私の近況を話すわけで、
(電話で近況を聴いてくるくらいだからブログもSNSも見てない程度の距離の人達(苦笑))、
話した後には必ず、
「ツヴォイさんみたいなリアルが前提の人はどうなんだろう?と心配してたんですよ・・・・。」
と言ってはくれるわけで、そういう心配をご丁寧にしてくれる人は、心配という言葉を口に出してくれるだけで、
「私の方がまだ大丈夫なんですけどね・・・・」
と始まって、絶対に何も具体的にはしてくれなくて、要するに、興味本位か、自分が安心したい程度で聞きたい人だというのは、廃業経験時に十分理解しているので(苦笑)、お気持ちだけありがたく頂いて、とっとと電話を切り上げることに専念していたものの(笑)、
ニュースや巷で騒がれているような、『経済』などという大論は、
「私程度には関係ねーだろうな・・・・。」
と予測していたのに反して、思いっきり直撃弾をくらっている実感を比較的早めにできたということは言えたと思います。
まぁ、大金持ちか、とてつもない資産家ならまだしも、二人の生きているだけでお金のかかる2人の大学生を持つ親であり、労働者階級の一人の私としては、何とかしなきゃいかんことは確かなわけで、
何とかしようと思い始めたのはやっとこの頃ですかね。
何をしていいのか分からない時の対処法
政治や医療に文句を言ったり、批判していれば何とかなる人はそれでいいのでしょうし、
困ったり悩んでたりすれば何とかなる人はそれでいいのでしょうが、
そういう生産性のないことはまずは除外することは決めたものの、
経済が止まる前提になってしまっている以上、何をしたらいいのかすら分からないわけで、
私の選択肢は、
①何をしたらいいのか分からないから、何もしない
②何をしたらいいのか分からないけど、何かする
に2つに絞られました。
どちらも、メリットとリスクはあるわけで、後は、どのみち死ぬ時に、どっちの自分がカッコ良かったかと思えるかの予測に従い、迷うことなく②の「何かする」。
「何かする」と言っても、そもそも何をしてもいいのかが分からないのだから(笑)、どうしようもなく(笑)、
それまでに、ほとんど興味のなかったzoomの「手軽さ」と「予想以上に機能的」であること、恐らく今後の「コストダウンにおいて標準」になる予測は立ったので、
とりあえず、全ての予定をリモートワークへとシフト。
コストダウンと価値創造は違う
だとしても、今後の社会は、コロナの影響で新しい価値観になるだろうことに対する解決にはならないわけで、
「新しい価値観」に対する「新たな価値」を生み出すにはどうしたらえぇもんかな?と考えた挙句、
とりあえず、
「過去に、自分が新たな価値を認識できた時は、新しい人達との出会いが前提にあった」
ことを頼りに、「新しい人達と出会う」ことから始めることを「何かする」の「何か」に当てはめることにしました。
んで、何をやり始めたかと言うと、新しい人達と出会える実験として始めたのが、
①のFacebookライブでの配信でした。
これが4月6日のことです。
んで、毎日続けて、今で55日目。
んで、5月から、その派生で、さらなる実験の為に「オンラインサロン」の開設。
んで、今に至るという感じ。
これが、この2か月のざっとした私の動きです。
この際、ラッキーも実力のうちと思いこもう(笑)
そもそもが実験で始めたFacebookライブに、予想以上の手応えと即効性と相性がいいことに気づけたのは相当にラッキーで、
さらに実験を増やすべく開設した有料オンラインサロン「ツヴォイ式ビジネス実験室」も、参加者に恵まれ、相当に楽しく有意義な環境を頂けたことがラッキーで、
この2か月で、当初の課題であった、新たなビジネスモデルは構想段階ながら4つ程度。
うち一つは6月には、実験スタートしてみたいとこまで来ています。
さらに大きいのは、ここ1年程悶々としていた、次のビジョンが大きく固まってきたことですね。
これは大きいです。
纏めてみれば「暇」と「クソ野郎」の自分(笑)
引き続きのお仕事の予定も継続しながらですので、結果、今まで以上に忙しくなり始めましたが、この2か月で大きく変わる自覚ができ始めたのは、
①そもそもグダグダしていた「ゆでガエル」状態だったところに、コロナの影響でケツに火が着いただけ(苦笑)。
②強引に引きこもり環境になって、「くそ暇」というまとまった時間ができただけ(苦笑)。
という、結果、環境に脅かされて、環境に救われただけ、という、まるで脳なしの自分だったことの自覚でした(苦笑)。
本当にクソ野郎だったわけですね(苦笑)。
ただ、この2か月という期中に、一つ強烈に思ったことはあって・・・・・・、
たかが(と言っては語弊があるかも知れませんが)新種のウイルスが発生しただけで、ここまで経済が右往左往して、誰も何も手が付けられない状態というのは、原因が何であれ情けないわけで、
人間というのはその程度かよ、と。
「新たな価値」を作り出し続けるというのが、人間だけが卓越している「大脳新皮質」の特徴だったのではないか?と。
やることと言えば、給付金の取得と、融資の情報取得に奔走しては、延命措置だけかよ?と。
その後のことについては、誰も手付かずなのかよ?と。
つまらんな。こんな生き方はつまらんな。こんなつまらないなら生きてても面白くねーよな、そもそも何のために生きてんだよ、と、
他人や自分を鑑みては思えたことでした。
あまりにカッコ悪い。
カッコ良くいたい煩悩にまみれた私としては(笑)、ゆるせないくらいにカッコ悪い。
そういうことを考えることができたということはとても大きかったということですね。
ということは、今までの「経済や経営に対する教え」そのものが間違っていたのではないか?と。
強引に無理やりにでも、そう仮説だけは立てることで、ここまでのストックは、一旦全部捨ててやろうと思えたのも大きかったですね。
そんなこんなのこの2か月でした。
まぁ、書きながらざっくりと纏めているとも言えますが、
よって、当面は、新たなフィールドでの実験に奔走することになりそうで、このブログの更新頻度は優先順位から落ちるとは思いますが、
効率化を図って、できる限りはアップしていきたいと、気持ちの上では狙っているところです。
次の実験をまた上乗せすることになったら、必ずお伝えするつもりです。
できるだけ「暇」を創れるよう(笑)、暇の為に忙しく頑張りますので(笑)、今後ともよろしくお願いいたします。
しかし、この長文、なんて暇なんだろう(苦笑)。